第六十六話【対話】
街を出て、離れて、しばらく歩いて。
人の気配も無くなって、建物もずっと遠くなって。
マリアノさんがゆっくりとこちらを振り返ったのは、もう私達以外には何も見当たらない場所に着いてからのことだった。
「――これっぽっちも警戒って言葉を知らねえんだな」
「どうしてこんなとこまで平気なツラして付いて来やがる。頭の中何も入ってねえんじゃねえのか」
「っ?! つ、付いて来いとおっしゃったのはマリアノさんではありませんかっ!」
っ!?
ど、どうして、言う通りにしたのに罵倒されなければならないのだ。
ようやくこちらを向いた少女の顔は、とてもとても怪訝な……と言うよりも、呆れ果ててもうどうしたらいいかも分からないと言いたげなものだった。
「……悪いな。フィリアは真面目にやってこれなんだ。もうなんとなく分かってるだろうけど」
「っ!? ゆ、ユーゴっ?! 貴方までどうして……っ!」
ここには私の味方はいなかった。
と、ここまで緩みっぱなしだった空気だが、しかしユーゴが身構えれば、当然私の気も引き締まる。
どうやら、マリアノさんの様子が変わったらしい。
それに気付いたのは、彼の視線を追って彼女の顔を見た時のことだった。
「――剣、抜けよ。こそこそ嗅ぎ回られんのもこれで終わりにしてやる。オレがお前らを叩き潰して、それで全部――」
「――フィリア――下がってろ――っ!」
――終いだ――ッ! と、マリアノさんの叫び声がして、それを合図に地面が大きく抉られた。
彼女が振り回しているのは、以前と変わらない、身の丈よりもずっと大きな大剣。
刃は鋭くないだろうが、しかし物体を叩き潰すには支障の無い、剣のような形を模した鈍器。
いいや。かつては剣だったであろう、薄く平たい鉄の塊だ。
「――さっさと剣を抜け――クソガキ――ッ! でねえと――このままぶっ潰されるだけだぜ――ッッ‼︎」
「っ! 待て! ああもう――お前――嫌いだ――っ!」
マリアノさんの挑発に、ユーゴはついに剣を抜い――ていない。
腰からベルトを外して、鞘に入ったままの剣でマリアノさんの攻撃を受け流している。
ユーゴの脳天目掛けて真っ直ぐに振り下ろされた一撃は、彼のすぐ右横に叩き付けられて砂粒を巻き散らした。
そのまま彼の胴を真横に切り落とそうとした一撃は、彼の身体を捉えることなく空を切り裂く。
ユーゴの身は空中で真横に一回転して、すたすたと時間差で両足が地面に着地した。
「――ダァラアッ! 死ね――潰れろクソガキが――ッ!」
「――っ! そんなの――食らうか――ッ!」
ブゥン――ッ! と、剣は何度も空を切り裂く。
右肩に剣を担ぎ上げるように振り上げ、そのまま頭を叩き落さんばかりに振り回し、その勢いで捻じれた腰をバネのように戻して斬り返す。
マリアノさんの体型と剣の重量とを思えば、とてつもなく高速で繰り返された攻撃だった。
およそ剣技とは呼び難いそれだったが、しかし対象を破壊するという目的に特化した動きには無駄も無い。だが……
「――死ね――死ね――死ね死ね死ね――ッ! ぶっ潰れろ――ッ!」
それが一度としてユーゴに届くことは無かった。
射程も速度も十分、きっと並大抵の兵士では防御も回避もままならぬうちに真っ二つだったことだろう。
しかし、ユーゴには届かなかった。
その結果として、息を切らす少女と涼しい顔をする少年という、私の目の前にある光景が残されているのだ。
「――殺す、潰す――じゃなかったのか。そんな運任せの攻撃にやられるかよ――っ!」
「――――ッ! クソ――ガキが――ァア!」
ユーゴの言葉にマリアノさんは更に険しい表情になって、また一層苛烈な攻撃を繰り返し始めた。だが……
ユーゴの言葉は、マリアノさんの心理を暴いたものだったのかもしれない。
かつて彼女は、殺す、潰すと、そんな言葉を繰り返していた。
乱暴で、そして明確な意思を露わにしたもの。
“自らの手で相手を葬る”という強い意志がそこにはあった。
「――クソがァア――ッ! 潰れろ――ぶっ潰れろ――ッ!」
けれど、今日の彼女はそうではない。
死ね、潰れろ、と。
乱暴で凶暴な言葉には変わりが無いが、しかしどこか願望じみた言い回しにも感じられる。
それは……どうしてだろうか。
「……ユーゴと共に戦って……こうして二度目の手合わせをして……」
彼女の中で彼との力量差がはっきりしてしまったから……?
ユーゴには敵わない。自分の力では殺すことが出来ない。
だから、何かの拍子にうっかり身動きが取れなくなって、全く想定外の一撃で決着を付けたい……と?
いいや、そういうのではない。
そんなに後ろ向きな感情は彼女からは感じられない。では……
「――――クソガキが――ぶっ潰――――ッ」
「――潰れてろ――っ!」
ガォン――と、剣が地面を抉り、そして砂煙を巻き上げながらまた振り上げられる。
その煙幕に乗じて、ユーゴはマリアノさんとの間合いを一気に詰めた。
マリアノさんには、さっきまでぎりぎりで逃げ回っていたユーゴが、突如目の前に現れたように感じられただろう。
それこそ、振りかぶった剣を振り下ろしても当たらないほど近く、その大ぶりな剣では防御もままならないほど速くに。
ユーゴは振り上げられていた両手をわしづかみにして、マリアノさんの身体をそのまま仰向けに、投げ飛ばすように押し倒した。
ガランと地面を大剣が転がるのも無視して、そして以前と同じようにベルトで彼女の腕を縛り付けると、そのままうつぶせに組み伏せて身動きを封じてみせた。
また、彼が勝った。
マリアノさんをケガさせることなく、一瞬で彼女を拘束してみせたのだ。
「……なんのつもりか知らないけど、まだ林で会った時の方がおっかなかったな」
「なんだったら、魔獣と戦ってるときのお前は、もっと強く感じたけど」
「――ッ。クソガキが」
ユーゴは何かに気付いているのだろうか。
なんだか少し……マリアノさんに対して、警戒心も攻撃性も感じない。
もしや、彼女にはどうやっても負けないから……と、油断している……わけでもないだろう。では……
「……チッ。じゃあ……しょうがねえか」
「さっさと降りろ、クソガキ。いつまでオレを踏んでやがる。叩き潰すぞ」
「お前が襲ってきたからこうなったんだろ。ったく……」
えっ。えっ。
以前は私に言われて、そして今度はマリアノさんに言われて……いいや、自発的に、か。
ユーゴはマリアノさんの上から退いて、そして手を縛っていたベルトも解いてしまった。
わ、私にはあんなに冷たい目を向けていたくせにっ。
あんなに……あんなに考えなしと罵倒したくせに……
「……フィリア……いや、まあ……うん。もうちょっとだけ黙ってろ」
「っ!?」
っ?!
な、何故私が気を遣われたみたいな空気になっているのでしょうか。
マリアノさんは凄く凄くイライラした様子でユーゴを睨み付け、剣を拾いなおした。
そして……微妙そうな顔を私に向けて……な、何故、私が気を遣われた感じになってしまっているのですかっ。
「……オレにはとても……だが、まあ……約束だからな。付いて来い、二度は試さねえよ」
「約束? おい、結局何がしたかったんだよ」
「好き勝手暴れて言うこと聞けって、本当に子供だな、お前」
ァアッ!? と、マリアノさんはユーゴの言葉に噛み付いたが、しかしすぐに前を向いて歩き始める。
どこかに案内するつもり……誰かに言われて私達を連れて行こうとしている途中なのだろうか。
しかし……約束、とは……
「ユーゴ……その……」
「ん。大丈夫、多分。コイツ、騙すつもりは無いらしい」
「少なくとも、さっきも俺を殺すつもりなんて無かった。そこは前とは違う」
ユーゴを殺すつもりが無かった……か。
では、先の言葉の違い……心の、意志の違いは……
ユーゴは私に何かを問わせる間も与えてはくれず、歩みの早いマリアノさんに置いて行かれまいと少しだけ早歩きで彼女の背中を負った。
わ、私も……
マリアノさんの案内はずっと続いた。
黙ったまま、こちらを振り返ることも無いまま。
それは、街を出てからと同じだった。
私達を完全に信用してくれているらしい。
良い意味か悪い意味かは分からないが、少なくとも不意打ちをする人間ではないと思って貰えたようだ。
「……ここだ。もうちょっと待ってろ。多分、すぐだ。すぐ来なかったら……まあ、半日以上は来ねえけど」
「ここ……ですか? いえ、その前に……なにやら不穏な言葉が……」
来るなら来る。来ないなら半日以上来ない。なんて、そんな不確かな話が……
しかし、マリアノさんは私の言葉にも嫌な顔をせず、むしろどこか……落ち着いたような、安心したような顔で私を見ていた。
聞いていた通りだ。と、そう言いたげにも見えた。
「――誰か来るな。フィリア、一応俺の近くから離れるな」
「マリアノからは危ない空気は感じないけど、もうひとりからは……」
「っ。は、はい」
ユーゴに言われるままに彼のそばに近寄り、そして……近い! デブ! と、遠ざけられてしまった。
じ、自分で近くにと言ったのにっ。
しかし、すぐにユーゴも真面目な顔に戻って、それで……
「……おい、デカ女。オレの質問に答えろ」
「お前――盗賊団と協力関係を結びたいってホントか? どうしてンなバカなこと考えた」
誰かが来たらしい。
そして、その人物に私の意思を聞かせたいらしい。
マリアノさんの様子から、そんなことはすぐに分かった。
彼女はいったい、どの私を指してこの問いをぶつけている。
国軍に連れられていた間抜けな女か。
それとも、異様な力を持つユーゴのすぐそばにいる女か。
それとも……
「……私は、この国を救う為に。民を守る為に、彼らの協力を望みます」
「民を守る、国を救うと言うのならば、彼らに手を差し伸べないという選択はあり得ません」
きっと――女王としての私に問うているのだろう。
彼女がどこで私の素性を知ったかは知らない。知りようも無い。
ただ、盗賊団と通じているのなら――ユーゴの正体を知っているのなら。
彼女は私を王と知っている。
その上で、この問いを投げているのだ。
ならば、私の答えはこれしかない。
「――この国にあるもうひとつの脅威――既に彼らが戦っている未知の脅威に対して、手を取って立ち向かいたい。そうでなければ申し訳が立たない」
「私は女王として、彼らに協力を要請します」
「そして同時に、ひとりの愛国者として彼らに力を貸したい」
「この国を守ってくれている彼らに報いたいのです」
マリアノさんは何も言わなかった。
私の言葉を聞いて、甘いとか理想論だとか、そういった言葉すらも口にしなかった。
ただ、黙って何かを待っていた。
「――それ、本気で言ってる?」
「フィリア=ネイ=アンスーリァ女王陛下。貴女はそれを本気で――」
「――本気です」
「口から出まかせのように聞こえたのならば、何度でも宣言します」
「私は――この国は、彼らを何よりも頼もしい国民だと思っています」
「その権利を保障し、これまでの罪を償わせる」
「逆賊ではなく、民として。彼らを受け入れ、共に歩みたい。これが、私の本心です」
ユーゴは少しだけ驚いた顔を私に向けていた。
ここのところ情けない姿を見せ過ぎたといえど、そんなにも驚かなくてもいいではありませんかっ。
マリアノさんもどうやら感心した様子で……そ、そんなにも私はどうしようもない人物に見えていたのですか……?
そして、どこかから聞こえた男の声は――
「――やっぱダメだってそれ、その考え方。絶対に後悔するよ、フィリアちゃん」
「――それでも、私は彼らと手を組んで…………え? ジャンセンさん――っ!?」
暗闇の中から現れたのは、ヨロクで二度話を聞かせて貰ったジャンセン=グリーンパークだった。
凄く驚いた顔をしていて……あ、あれ?
ジャンセンさんだけではない。皆が……ユーゴも、マリアノさんも、誰も彼もが驚いた顔で私を見ていて……あ、あれ……?




