第六十四話【調査、二度目】
やはり、マリアノさんにもう一度会うのがいいだろう。
一晩考えて出した結論はそれだった。
それはなにも盗賊団について調べるだけでなく、北方――魔獣の気配の無い不気味な林を、もう一度しっかり調査するという目的も兼ねている。
もしもそれが、もうひとつの組織と関係しているのなら、今の内から情報を集めておかないと。
「……で、その結果がこれか。まあ……調査だけなら問題無いだろうけど」
「すみません……どうしてもこれ以上は……」
そう決めたのが昨晩。それを実行する準備を始めたのが明朝。
そして、ユーゴに知らせたのがたった今。
私達の前には、馬車三台、小隊ふたつ、工作部隊ひとつの大所帯が列をなしていた。
「……マリアノさんがこちらにもやる気があるのだと捉えてくれることに賭けましょう」
「そうだな。まあ、アイツの場合少なかろうと多かろうとキレてそうな気がするし、あんまり関係ないかもしれないしな」
その場合は、結局話し合いに持ち込めないではありませんか。
私もユーゴも目の前の正しい光景に頭を抱えて、どうにかしてマリアノさんと一対一……ああいえ。
こちらはふたりなので、二対一での話し合いの場を設けられないかと思案する。するが……
「こんだけいると無理だろうな。そりゃまあ、俺が担いで走って行けば、振り切るのもわけは無いけど……フィリア、重いからなぁ」
「っ!? い、今そんなことは関係……わ、私を担ぐのは、あの巨大な魔獣を倒すよりも重労働だとでも言うのですか……っ!?」
そ、そんな馬鹿な話が。
ユーゴは私から目を逸らして黙ってしま……ええっ?! そ、そんなことがあるのですか……?
あの巨体を殴り飛ばす、切り倒すよりも、私ひとりを担ぎ上げる方が……っ。
そ、そこまでとは思っていなかったと言うか……私がいくら大きいといっても、あんな規格外の怪物よりもとは……いささか……
「……冗談だよ。それより、ほんとにどうするんだ?」
「まあ……ふたりならどうなるって話でもない気がするけど、大人数だとやっぱり……」
「変なことが起きた時に、俺だけじゃカバーしきれないかもしれない」
「マリアノが出てくるとも限らないし、マリアノだけが出てくるとも限らないんだ」
「そう……ですね。しかし彼らも一般人ではなく、鍛錬を積んだ兵士なのですから」
「いざという時には貴方が私を守ってさえくれれば、彼らも自分の身を守ることに専念出来る。それならば、相手が魔獣程度なら……」
この考えが危険なものだと、良くないものだとは分かっている。
それでも、こうなってしまった以上は仕方が無い。
彼らにも仕事があって、立場があって、責任がある。
それを無視して私達が勝手をすれば、迷惑をこうむるのは彼らなのだ。
突然いなくなれば、当然彼らは林の中を捜索するだろう。
効率を考えれば、ばらばらに散らばって探す筈だ。
そんなところへ魔獣が現れれば、その方がよっぽど危険だ。
「ま、いいや。魔獣が出るなら気配で分かるし、そうなってから俺が守ってやればいい」
「その代わり……マリアノが出てきたら、フィリアは黙って引っ込んでるんだぞ? お前が出ると話がややこしくなるんだから」
「っ?! こ、今度は大丈夫です! 今度こそしっかりと対話を……」
今回こそは……きっと大丈夫……な、筈……だと思いたかったのだけど……
何をどうして大丈夫と言うかの根拠が無い。
そもそも、私は何故あの方に毛嫌いされてしまっているのだろう。
そこから分からないから、もうどうしようもないと言うか……
「とにかく、フィリアはちょっと引っ込んでること」
「俺も説得とかそういうのは得意じゃないけど、この前は一緒に戦ったんだ、それなりにアイツのことも分かった……と、思うし」
「……そうですね。近くで見て、共に背中を預けたユーゴにならば、マリアノさんも多少心を許してくださるかもしれません」
では……では……っ。
お任せします。と、そう言った私は随分と苦い顔をしていたのだろう。
ユーゴは呆れたようにため息をついて、そして小さく頷いてくれた。
だって……だって、そこまで彼にやらせてしまっていては、私の立つ瀬が……
「女王陛下、準備が整いました。どうぞお乗りください」
「はい、ありがとうございます。では……皆、聞いてください」
っと。ユーゴと遊んでいる時間は終わり。
ここからは、名目上は公的な調査……遠征となる。
魔獣との接敵を想定した準備もした、そういう前提で話を付けた。
ならば、この場はしっかりと纏め上げなければ。
「これより、ヨロク北方の調査遠征を開始します」
「目的は、先日の襲撃による影響の確認」
「先日まで、その地では魔獣の姿は確認されていません」
「ですが、あれだけ大きな群れの動きがあったのです。何があっても不思議ではありません」
「ヨロクだけでなく、この国の安全の為に。十全な調査が必要だと判断いたしました」
ユーゴは退屈そうにしているけれど、これも大切なこと。
私は皆に向かって演説じみた指示を下す。
その目的、重要性を説く。
もちろん、彼らには話していない裏の目的もあるが……しかし、それとは関係無く、魔獣についての情報の更新は急務だ。
あれだけ大規模な移動があったのだから、北には今も魔獣がいないと言い切ってしまうのは危険極まりない。
全員と表向きの目的を共有すると、私達を乗せた馬車――三台編成の二番目の馬車は、ゆっくりと動き始めた。
今日はユーゴも覗き窓から外を眺めたりしていない。
人数が多過ぎてそういうことをする余裕も無いのか、それとももうこの先の景色には飽きたのか。
なんにしても……
「……多い。フィリア、やっぱりこんなにいらなかっただろ」
「そ、そんな言い方をしてはいけません」
「あの巨大な魔獣が現れてしまった時点で、街の外の調査には大変な危険が伴ってしまう……と、そういう印象を皆が受けてしまったのですから」
「少人数での調査など、とても許可は下りませんよ」
そう、そうだ。あの巨大な魔獣。
結局、アレについては何も分からなかった。
ユーゴ曰く、ニオイも気配も突然現れた、と。
役場を守っていた兵士達も、それを視認出来ていなかった。
私達の常識とは違う範疇で何かが起こっている。
少なくともそうとだけは考えられるのだから、皆が慎重になるのは当たり前なのだ。
馬車はしばらく進んで、そして馬では侵入出来ない荒れ地へと差し掛かる。
ここで隊の半分が馬車から降り、大量の装備や調査用の罠を持って、徒歩であの林を目指し始める。
「ユーゴ、まだ魔獣の気配はありませんか? それと……貴方の感覚で分かる範囲は、ここからだとどの程度までなのでしょう。まだ林の中の様子は……」
「中はまだ無理。だけど、これだけひらけてるからな。街の手前までと林の手前までは大体分かる」
「まあ、遠くに深いくぼみとかがあって、そこに潜んでるとかがあったら分かんないけど」
ユーゴの言うニオイや気配という部分ではなく、視覚的な情報も込みでなら、かなりの広範囲を探知出来るのだな。
それと同時に、まだ林の中の様子が分からないのだけは気掛かりだ。
彼は人の気配も敏感に感じ取るが、しかし魔獣のそれよりもきっと薄くて分かりにくいものの筈だ。
身体の大きさや獣臭さ、血のニオイなどの情報は少ないのだし。
「荷物の準備、整いました。出発します」
指揮官のひとりが私にそう言って、隊はすぐに林に向けて歩き始めた。
残った兵士達は馬車の警護に当たる。
一度帰らせて、信号弾で……なんてやり方は、やはり効率的ではない。
人数が確保出来るのならばこうした方がいいだろう。
「……帰り、ちょっと心配だな。林の中からはここの様子も見えないし」
「そう……ですね。しかし、ここは彼らを信頼しましょう」
「このヨロクの地を……魔獣の脅威に晒され続けた街を守っていた兵士達です。戦う技術も、危険を察知する能力も持っているでしょうから」
ユーゴはまだどうにも不安そうな顔で周りを――兵士達を見ていたが、しかしそれ以上の文句は言わなかった。
どちらにせよ……と、諦めているわけではないだろう。
彼にとってはさして強くもない大人達なのかもしれないが、それでも魔獣から身を守るだけの能力は備わっている。
前線で兵士達の動きを見ている彼には、それが分かる筈だから。
隊はずんずんと進み、そして遂に林へと足を踏み入れる。
その前に点呼や荷物の整理、装備の変更などの準備もあったが、しかしものごとは順調に進んでいる。
「……フィリア。魔獣の気配、今んとこは無い。んで……多分、マリアノもいない」
「……そう……ですか」
無駄足かもな。と、ユーゴは他の誰にも聞こえないようにそう言った。
お金も時間も人も物もたくさん使ってのことだ。
それを何も見付からないうちから無駄だと言ってしまえば、皆の士気に障る。
彼はやはり優しいから、気を遣ってくれたのだろうな。
調査はすぐに始められた。
しかし、初めにユーゴが言った通り、林の中には魔獣の姿も痕跡も無く、また、マリアノさんとの再会も成されることは無かった。




