↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/56

?? : ?? たましい

 雨が降りしきる。

 風が吹き荒れ、地上を穿つ雷が途絶えることはない。

 濃く漂う霧がまとわりつくたびに、肌がぞくっと粟立った。


 ここは“ヤナ”の世界。

 フェンサーではなく、退魔を生業としていた俺の慣れ親しんだ空間。


 視界を遮る霧の奥には、風雨に曝され頭を垂れる竜がいた。


 何人たりとも。

 たとえどんなに強大な力を持っていたとしても、ここへ誘い込まれた時点で決着はついている。


 騎士と化物の世界へ迷い込んだ俺が、思えば唯一絶対の安心を得られる場所かもしれなかった。

 俺が生きた現代とどれほど異なっていようとも、ここだけは不変だから。


「“嘆きは振り止まぬ”――」


 祓詞(はらえのことば)を呟きながら、刺突剣を手に下げ、歩みを進める。

 か細く唸る竜は、肉がぼたぼたと削げ落ちて痩せた翼を威嚇のように広げた。


「“烈々たる慟哭に、もはや鎮魂も否なりと解す”」


 圧倒的な体躯に受けた存在感も、今は弱々しく。

 止めすら必要ないのだろうが、これはけじめだ。


「“ゆえに絶無”」


 竜を墜とすこと。

 人間より上位にいる存在を殺すこと。

 すなわち“神”に逆らうことの決意を表明する。


「“消失を以て――……」


 歩く足が、ふと水溜まりを踏んだ。

 雨とは違う、わずかな粘性に気を取られて足もとへ視線を向ける。


 おびただしい量の血の中へ沈んだ足を見下ろし、言葉を失った。


「これは……まさか……」


 赤い水面に気泡をぼこぼこと弾けさせながら、霧の空間を浸食するように血溜まりが広がっていく。


 見渡すかぎり赤い海の真ん中で、唾を飲み下す。


「……なぜ。と、そう問いたげだねフェンサー」


 声がどこから届けられるのか判別できない。

 どしゃ降りの雨が血溜まりに無数の波紋を描き、その一つ一つから声が発せられているようにも聞こえる。


「僕にも理由はよくわからない。だけどね、疼くんだ。胸の辺りが……」


 その前にあり得るわけがない。

 俺が奴をここ(・・)で殺したのは、何度目のループの話だ?


 あの延長線にあった未来で、俺とルイセは脳の化物に殺された。

 俺がここで奴を殺した事象は無くなり、つまりは奴相手に“ヤナ”を使用した過去も消えたはずだった。


「全身の皮が剥げ、肉が削げ、骨が断たれても。僕はこの霧の世界に留まっていた。暗黒に落ちていく破片を尻目に、必死でしがみついていた」


 血溜まりの中から剣山のごとく噴出する薄っぺらで細長いもの。

 それらは大蛇のように俺の足や首に巻きつき、強く締めつけてくる。


「ぐっ……が……ッ!」


 気道確保のため指一本は首もとに差し込めたが、凄まじい力で前のめりに血の海へと引き倒されてしまう。

 首から離して咄嗟に地へつけた両手は、バシャッと飛沫をあげた血溜まりに肘まで沈んだ。


 首にぎりぎりと食い込んでいく冷ややかで弾力のある物体を人皮(・・)だと認識したとき、見下ろす血中に影が浮かび上がる。


「ずっと待っていたんだ。胸を焦がす熱が僕を繋ぎ止めたのかもしれない。君が教えてくれたことだ。恨むということ……これが“呪い”だろう?」


 両手の間にザプンと浮上した顔は、頬や鼻の肉が腐れて流れ落ち、ヒビ割れた白い骨が露出し、闇のような眼窩をたたえた髑髏(しゃれこうべ)

 目線を下げれば、胸骨の檻の中で赤黒い心臓が鳴動している。


 それが変わり果てたシューターの姿だった。


「がはッ……! ぐ、ぁが――……ッ!!」

「死ねよフェンサァ……ッ。惨たらしく死ね、殺してやる。僕のような化物に、お前も……ッ……!」


 呼吸ができない。

 酸素が供給されなくなった脳は、唐突に激痛を遮断して目前が真っ暗になる。

 死が迫る。


 ――……死ぬ。


 ……死……


 ゆっくりと立ち上がった骸骨に位置を代わり、重くなった頭を血の海へ突っ伏した俺は、深い場所まで沈み込んで――……



◇◇◇



 顔を上げ、痙攣する両腕を持ち上げ、首に巻きついた皮を掴む。


「…………――――~~~~ッかはあッッ!!」


 わずかな隙間から奪い取る酸素。

 徐々に取り戻した意識で、呼吸を再開する。

 心臓の鼓動をうながす。


 誰を、どこで殺すというんだ。

 ここは“ヤナ”の――俺の世界だ。

 紛いものなんかじゃない本当の俺の、唯一の。


「……いいね。そうこなくちゃ。僕の呪いはこんなものじゃ到底治まらない……ッ」


“隊長!”と、どこか懐かしい声が聞こえた気がした。

 閉ざされた霧の空間に、ふと斬りつけたような亀裂が斜めに走る。

 何人たりとも侵入できないここへ、亀裂から差し込まれたのは一振の刀。


 刀は体中を締めつける皮のすべてを断ち斬ると、シューターの剥き出しの心臓へ真っ直ぐ飛んでいき突き刺さる。

 たたらを踏んで血の海を後退するシューター。


「……な……っ」

『主の(めい)……といったところですよ』


“ゆき”――“オニヤンマ”はそう言葉を紡いだ。

 俺とオニヤンマにもう主従の関係はない。

 シューターをつらぬいた刀は、また霧の結界を斬り裂いて外界へと飛び立つ。


 垂れる涎を拭い、肺へと空気を深く取り入れ、膝に手をつき立ち上がった。


「はあッ、はあッ、俺を待っていたと、そう、言ったな。違う。前に、教えてやったはずだ。おまえが俺の……俺が、おまえの前に現れるのは必然だと。それが“オニヤンマの呪い”だ……!」

「……ッ……呪いの深さなら負けてはいない。この姿こそが、その証明だフェンサァァッ!」

違う(・・)。呪いに感情など乗らない」


 一度発動すれば、人や物や概念を憎んだり恨んだりする者がいなくなろうと、一人でに動き続けるシステムのようなものだ。


“刀の中に封じられても、あなたの血肉の匂いは忘れません”

 かつてオニヤンマが俺に言った、この言葉こそが呪いとなった。


 俺は自らの血をシューターに塗りつけた。

 刀の持ち主が変わることを考慮して、ルイセの血も混ぜた。


 たとえ世界が作り変えられループしても、時の流れは地続きだ。

 オニヤンマは呪いに従い、きさまがどこにいようと探り当ててきたのだ。


「……今度こそ決着をつけようか……ッ。君と僕、互いの存在を賭けて……ッ!!」

「シューター。おまえがあのとき、ここへ誘い込まれた時点で決着はついている」


 ただし、手を下すのは俺じゃない。


51355534(奴こそ)6712455763(王城の敵)5163354774(焼き尽くせ)


 ぼろぼろの怪物と化して、威厳を失って、なお竜はしなびれた首を伸ばした。


「なぜ……竜が……フェンサー、おまえは……」


 濃い霧が散り散りに吹き飛ぶ。

 同じく人の姿を失い立ち尽くす、もう一体の化物へと高熱の火炎が注がれる。


「ウォーカーである僕だけが、この身も心も人格も捧げる献身を……あの方のお側で仕える喜びを……一番……――」


 ウォーカー。

 たしかにそう聞こえた。


 化物の骨格は瞬く間に融解し、周辺の血の海が蒸発を始めても竜のブレスは止まらない。

 俺は刺突剣を片手に駆ける。


 祓詞を唱えると、側面から竜の体表に足をかけ、巨大な頭部めがけて跳び上がった。


34455252(そのまま)477225(首を)451367(伸ばし)571112(ていろ)!」


 直下。

 硬質だった鱗は見る影もなく、人の肉体以上に柔らかな竜の頭を、剣先が容易く串刺しにする。

 断末魔も上げず、緩慢に身じろぎをしたのち竜は静かに息絶えた。


 雨の下、まるで安らかに眠るように。


「はあッ、はあッ、はあッ……」


 討ち取った竜から剣を抜き、霧の外へ向かう。


 この暗号。

 換字式暗号と呼ばれるものだが、これを使用しているということは、この世界は。

 皆の行動や思考を支配していた“神”のような存在とは――……




 崩れかけた王城の屋外へ戻った瞬間、足が前に進まなくなり、情けなくも膝をついた。

 思っていたよりも体力の消耗が激しいらしい。


 皆は、どこだ? ルイセは?

 ともかく俺達は一つ、やり遂げたのだ。


「大丈夫ですか!? フェンサー様!」


 声に顔を向けると、こちらに駆けてくるタオの姿があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。