?? : ?? イカロス
周囲の人間すべてが“イーター”にとって眩しい存在だった。
イーター達の身は常に戦場にある。
悲鳴と怒号が耳にこびりつき、血の匂いはいつまでも離れない。
そのような地獄を日常に歩みながら、イーターの瞳には兵士や他の六騎士が輝いて見えるのだ。
死力を尽くして敵とまみえる兵士。
圧倒的な力で王国を勝利に導くため、躍動する六騎士。
垣間見る魂の咆哮。
死と隣り合わせた極限だからこそ、命が尊いものだと感じるからこそ、その身のすべてを燃やすような戦がイーターに羨望の想いを抱かせる。
イーターは自問する。
自分はどうだろうか、と。
自分は――屍肉を漁る猛禽だ。
イーターの自己評価はそのようなものであり、また彼女を取り巻く、多くの兵達が下す評価とも大差なかった。
遠巻きに攻城戦を眺めるイーターの頭が、ふいにズキリと痛む。
イーターの脳裏に、クウロの城の裏手から逃げ出す複数の人物が映像として浮かんだ。
それが“スペラー”の竜姫により送られた思念だと理解しているイーターは、兵士を連れすぐに移動を開始する。
武器は持たず、獣じみた脚力で地を蹴りイーターは疾駆した。
「新手!? お、お逃げください! ここは我々が――ぐひゅッ!?」
護衛と思しき二人の敵兵の首を爪で掻き斬り、指を地面に突き刺して駆け抜けた勢いを止める。
でっぷり肥えた男と侍女を睨め上げるイーター。
「ひ……」
大軍がぶつかり合う大一番の戦場で、イーターの敵はたったの四人。
イーターは侍女を殺し、その後、震えて命乞いを始めた男を殺害した。
彼女に課せられたいつもの仕事だった。
敗残兵の追撃。
敵伝令の排除。
大事な仕事だとは理解している。
それでも――
遅れてやってきた兵を尻目に、イーターは敵城を振り仰ぐ。
命を賭して存分に戦場を駆け回る彼らが、イーターには大空を自在に飛ぶ鳥と同等のようにも思えて。
しばらく呆然と立ち尽くしたあと、翼が与えられなかった自分を縫いつける、血に濡れた地面へとやがて目を落とした。
◇◇◇
落下した女を追い、イーターは王城の壁から身を投げる。
女は王城の“ウォーカー”で間違いない。
ウォーカーは歩法に秀でた竜姫を持つ。
イーターのよく知る血生臭い歩法と違い、敵のウォーカーは腕と足に昆虫のそれのような薄い翅が生えている。
翼――
憧れて止まない、ついにはイーターが手に入れられなかったもの。
「毒も効かない……! やるわねッ」
女は地上に激突する寸前で翅を開き、風を纏って上昇した。
足と指の爪を突き立て着地したイーターが、あの頃と同じように女を睨め上げる。
翼はたしかにイーターの憧れだった。
だが、翼を持つ者達の末路もイーターはよく知っている。
あの古城。
化物が巣くう魔窟で、すべての翼は破れて落ちた。
味方の誰一人として生き残った者はいない。
無論、地上を這い続けたイーターも例外なく死亡したのだが……
風を切り急下降してくる女に対し、イーターは不動をつらぬく。
たとえ竜姫をもってしても、化物は容易く人の力を上回る。
かつて自分達の王国がそうであったように、イーターはその空虚な瞳に興亡のすべてを映してきたのだ。
「消えた――っ!?」
女が短刀を振るった場所に、イーターの姿はなかった。
なんのことはない。
イーターはただ両の足を踏み込み、女の背後に移動しただけだ。
大口を開けると、イーターは女の無防備な腕に喰らいつく。
凶悪なイーターの牙は翅ごと腕の肉を喰い千切り、女は激痛を噛みしめながら再び宙へ飛ぶ。
吹き戻ってきた暴風によって、イーターの服が激しく騒いだ。
片翼が欠け、力無くふらふらと蛇行で夜空へ向かう女の背に、イーターは戦中の眩しかった仲間達の姿を重ねた。
もう憧れはない。
歯痒くて、憎しみを抱くこともない。
誰もが皆、最後には自分と同じ血みどろの地獄へと戻ってくるのだから。
だから、イーターは地上から女を見上げてただ待っていた。
まるでカラスの羽根のように、破れた給仕服の欠片が左右に揺れつつ降ってくる。
もしかすると服の破片はめくらましのつもりかもしれなかったが、イーターは自分へと真っ逆さまに向かってくる女だけを見つめていた。
強く握られた短刀に一撃を賭けているのだろう。
間合いに入った瞬間の攻防で、イーターは女に遅れを取ることはないと確信している。
人間に可能な速度を超越した爪が女を引き裂くとき、希望に満ちた輝きがまた影へ落ちるのだ。
たとえほんの少しでも、化物に勝てるかもしれないと思い上がったその希望が――
――……。
夜空からストップモーションのように迫る女。
イーターがはっきりと目視した女の顔に、希望など一切が浮かんではいなかった。
無表情。
目は虚ろ。
口は緩く開かれて。
怒りも悲しみも勇気も自信も誇りも尊厳もなにも――
女が死線を越えると同時、イーターは右腕を盛大に振り抜く。
人知を超えた速度で繰り出された爪撃は、触れれば女の首を根こそぎ掠め取る威力を秘めていた。
「“断世”」
宙にぴたりと静止した女により、イーターの渾身は空振りを余儀なくされた。
大きく身は流れ、急所を惜しげもなく女に晒してイーターは目を見開く。
「わたしほど、何者にも嫌われた人間はいないわ」
自嘲気味に吐き捨てた女の暗い瞳が、白い煙を立ち昇らせる。
全身から真っ白な蒸気を噴き出して女が振るった刃は、イーターの首に深く食い込んだ。
刃はイーターの首から止めどなく血を溢れさせ、溢れた血液はぐつぐつと沸騰を始め蒸発していく。
肺に溜め込んだ酸素が排出され、呼吸が止まり、血も汗も涙もすべてが煙となって消えていく。
イーターは自分とまったく同じ症状を発現する女から目をそらせない。
ふと、あれほど吹き荒れていた風がいつの間にか止んでいた。
風。重力。大気。
あらゆるものに拒まれた女は、満身創痍の体を振り絞ってイーターに無数の針を浴びせかける。
全身に空いた穴は、さらにイーターの生命を吸い上げた。
凍りつくような悪寒に襲われながら、イーターは同族の女と空っぽの瞳を絡ませる。
この女に比べれば、たしかに、自分はまだましかもしれないと。
そして女は間違いなく、これから自分と同じ道を辿るのだ。
自分は――
「……ええ、終わったわ。わたしは先に向かうわね。……わたしを繋ぎ止めてくれるのは、あの方しかいないから」
なら、自分は、これからどうなるのだろう。
乱れた呼吸を押し殺した女は、イーターの疑問など知る由もなく、霧のごとく姿を消した。
薄れていく意識の中、イーターの脳内で“なぜ”という問いかけが渦を巻いた。
なぜまた、虚ろな戦いに身を置く羽目になったのだろうか。
なぜ自分をここへ呼んだのか。
他に適任などいくらでもいそうな役回りをなぜ。
もしやまた、延々と繰り返されてしまうのだろうか。
なぜ。
どうして。
どうして。
――どうか教えてください、タオ様。
最後にすがりついた王の幻影は、ついぞ振り返ることはなく、イーターは静かに事切れた。




