4 / 13 オニヤンマ
もう夜になるから、とマヤは自宅へ俺を案内してくれた。
他の例に漏れず、古式な家屋だ。
俺の家も古い方だと認識しているが、さすがに土間などはない。
「さ、遠慮なさらずに」
促され、土間で靴を脱いで床板へギシリと上がる。
開かれた障子戸の向こうは居間になっていて、これまた普段目にすることなどない囲炉裏があった。
囲炉裏で火を囲む老婆が一人。
湯呑みを傍らに、眠いのかこくりこくりと舟を漕いでいる。
マヤが、その老婆の肩を揺する。
「起きて。ほら、退魔の人が来てくれたよ」
退魔……か。
「ずいぶん古風な言い回しだな」
「え? 何かおかしいでしょうか?」
「いや。退魔師だろうが霊媒師だろうが、呼び方はどうでもいい。俺がやることに変わりない」
「でしたらよかった。ええと、お名前は――」
「その前に、ひとついいか?」
マヤの言葉を遮り、右手を差し出す。
しばらく固まったマヤだったが、俺が握手を求めてるのだと理解すると右手をおずおず握った。
ひやりと冷たいが、たしかな感触がある人の手だ。
「失礼」
前置きして老婆の肩にも触れる。
こちらも問題はなかった。
「あの……今のは?」
「“人ならざる者”に、生きている人間が接触することはできない。文字通り住む世界が違うんだ」
「人、ならざる者……」
「わかりやすく言えば、いわゆる霊や妖といった怪異だよ。俺を呼んだということは、そういった類いが相手なんだろう? たしか、鬼山姫――」
マヤの瞳がスッと細まる。
「オニヤンマ。……この村では、そう呼ばれております」
オニヤンマ。
単に訛りで呼び名が変わったのか、賢三の言っていた鬼山姫とは別物なのか。
いずれにしろ、詳しく話を聞こうと口を開きかけたところ。
「今日はもう遅いので、詳しいお話は明日に。よろしければお食事になさいませんか?」
出鼻をくじかれた格好になり、居間の振り子時計を見上げる。
時刻はすでに0:00時を回っていた。
「……いや、寝床だけ貸してもらえるか」
いつの間にこれほどの時間が経過していたか。
時の流れに違和感を覚えつつも、未だ起きない老婆を置いて寝室へと案内してもらう。
「殺風景な座敷で申し訳ないのですが」
「十分だ。ありがとう」
幼い見た目とは裏腹に、やはりマヤの物腰は落ち着きすぎている。
年齢を聞こうかとも思ったが、そういえばこちらも名乗ってすらいないことを思い出して口をつぐんだ。
一人残された座敷でスティック状の携行食を食べ、早々に布団へ横になった。
常夜灯も落としてしまえば、たちまち周囲は暗黒となる。
墨で塗られたかのような暗さ。
冷たいほどに静まり返った空間のせいか、やたらと鼓膜が刺激される。
風が吹くたびに戸口がガタガタと音を立てる。
ミシミシと家鳴が聞こえ、寝返りで布団が擦れる音まで敏感に意識する。
ここは、どこかおかしな村だ。
村だけじゃない。マヤも、あの老婆も。
離さず持っている竹刀袋を強く握りしめた。
考えなければならないことが山ほどある。
しかし思いのほか疲労していたらしく、なにも思考が進まないままに眠ってしまった。
翌朝。
座敷に差し込む朝日と、鳥の鳴き声で目覚めた俺は、布団を畳むと障子戸を開けた。
すぐ目前の庭に、マヤが立っていた。
昨日と同じ着物姿で、まっすぐにこちらを見据えている。
「……早起きだな」
「湯浴みをしようと。浴室が離れにありまして」
湯浴み。
いちいち言い方が古くさい。
「よろしければ、ご一緒にどうですか?」
聞き間違えたかと思った。
だがマヤは自身の発言を証明するかのように、頭頂部の団子を解く。
はらりと落ちたダークブラウンの髪を肩へ流すと、マヤは着物の襟に手をかけ無造作にはだけさせる。
「待て。なんの真似だ」
華奢な白い肩を露出させたまま、薄く微笑むマヤ。
衣擦れの音が、やけに耳につく。
「こういうのはお嫌いですか? 退魔師様。だとしたら申し訳ありません。きっと高揚しているんです。村にお客様がいらっしゃるのは久しぶりですから」
笑みを崩さず、淡々とマヤは行動の理由を述べた。
目がかすむ。
マヤの立つその後ろ、木や家屋があるはずの背景がぼやけて見える。
「オニヤンマの話はどうした。困っているから俺を呼んだのだろう?」
「ええ、もちろんです。アレは本当に恐ろしい。オニヤンマは、人に、人であることをやめさせてしまうのです。きっと……脳を破壊するのかも」
「脳――……?」
突然に音が溢れた。
草木を揺らす風がゴウと吹き、千切れた葉がガサガサと擦れ合いながら飛んだ。
マヤの着物の裾がバタバタとはためく。
ギギギと水車が可動し、村人の話し声が聞こえてくる。
一人や二人でなく大勢、まだ早朝にも関わらず。
それと共に、ぼやけていたマヤの後方の景色がくっきりと瞳に映し出される。
そして俺は、村を再度認識した。
気づけば竹刀袋を開け放ち、汗に濡れた手で刀の赤い鞘を握っていた。
「きさまは……誰だ、何者だ」
敵だとするならば、真意が掴めない。
俺を誘い込んだ目的はなんだ。
そもそもマヤが“化物”でないことは確認済みなのだ。
「人はなにを以て他者や世界の存在を認めるのでしょう? 目でしょうか? では盲目の方は? 物に触れた感触でしょうか? では盲目で手足も無かったら? 目が見えず、実体を持たないモノ……――そう、たとえば退魔師様の敵となる幽体には、華やかな世界を認識するのは不可能なのでしょうか?」
今や突風が四方から吹き荒れ、マヤを中心にとぐろを巻いている。
跳ね上がる髪をものともせず、彼女はとても楽しそうに笑っていた。
そして、唐突に風は止む。
訪れる静寂の中、不揃いな足音がザクザクと集ってくる。
庭の奥にある石垣に横一列、一斉にたくさんの手が並んだ。
続々と石垣を乗り越えてくる人の波。
ざっと見回しても三十人以上の村人達が、マヤ邸の広い庭に集結していた。
「ほら……あなたの瞳には、我々の姿がどのように映っておいでですか? 教えてくださいませ、退魔師様」
村人の息遣いや、心臓の生々しい鼓動まで聴こえてきそうな圧迫感と、得体が知れない少女のクスクスとした笑い声。
それらを払拭せんがため鋭く抜き放った刀には、戸惑いを隠しきれない俺の表情が如実に映し出されていた。




