23:49 王の帰城
霧の外へ出ると、目前には“ヤナ”が変わらず俯いたまま立っていた。
相対し、見下ろすもヤナがなにか行動を起こすことはない。
白い布を目線の下から差し出してやると、ヤナはその身を粒子のように崩して白布へ吸い込まれていった。
背後で霧の結界が解ける。
暴風雨を浴び続けていた礼拝堂と巨眼が、濡れて傷んだ骸を静寂の中に横たえている。
「……貴様が、やったのか? その布は……」
かろうじて声を絞り出せたのはウルフくらいのもので、他の者は唖然とした顔を変わり果てた礼拝堂と敵へ向けていた。
「あの霧はなんだ……幼子は。なぜそんなに濡れている? 霧の中でなにがあった、フェンサー!」
使役。
かつて封じた者達を行使する力。
刀にはオニヤンマ。そして白布にはヤナが封じられている。
こればかりはライベルクも、この世界も関係ない俺自身に深く関わる能力だ。
まだ完全に思い出せたわけではないが、本来の“自分”を取り戻すための唯一の足がかり。
「答えよっ!!」
怒声と同時、ウルフに胸ぐらを掴まれた。
戸惑いながらも駆け寄ってこようとする兵達を、手で制する。
「……なにを怯えている?」
「怯える……だと!?」
「そうだ。特別めずらしいものではない。おまえも見慣れているはずの、俺の竜姫だ」
「…………っ、だがっ、あんなものは……」
我ながらすらすら嘘がつけるものだと自嘲する。
ウルフ達の拗れた記憶を利用し、優位に立ち回る。
悪いとは思うが、時間がない。
胸もとの手を振り払い、苦しげに頭を押さえるウルフを一瞥した。
歯を食い縛り、何かに耐えるようなウルフの姿は痛々しいものだったが、俺はすぐに周囲の兵へ視線を移す。
「これより急ぎ、別棟へ向かう。全員ついてこい」
俺に対する疑問は全員が抱いているに違いない。
だが、異論は誰からも出なかった。
別棟へ続く渡り廊を、周辺の警戒すらせずにひた走る。
一分一秒が惜しい。
今後相手にする化物は、一度や二度の挑戦では勝てないかもしれない。
死ねば10分の時間が迫ってくる。
やがて時間に追いつかれる。
試行回数を確保するには、とにかく急ぐしかなかった。
「フェンサー様!? 上です!」
タオの注意喚起に見上げると、天井に青紫の光がゆらゆらと尾を引いている。
来たか。
全員に記憶の齟齬が起きている今だからこそ、押し通せる大言がある。
蝶が大きく羽ばたいた。
その羽ばたきは空気を振動させ、骨伝導によって聴覚から脳へと幻夢を侵入させる。
耳を塞いでも意味はない。
「――下がれ、エア。この王城の……おまえの主の姿すらも忘れたか?」
羽の動きは徐々に緩慢になり、しばらくすると羽音が完全に止んだ。
上空で静止する蝶を真っ向から見上げる。
「おまえはわかっているはずだ。俺こそがライベルク、王城を統べる王だと。道を開けろ、開けずとも押し通る」
宣言に気圧されるように蝶が柱の裏へと飛び去ると、渡り廊の両端に青い光が灯った。
蝶を構成する物質と似たその光は等間隔に灯り、まるで別棟までの行程を照らす道標となっている。
「……行こう」
「ちょ、ちょっと待ってください! エア様って、今の蝶がですか!? それにライ、ベルク……王……? あたしにはもう、なにがなんだか」
言動からもタオの混乱はよくわかる。
ウルフは無言で頭を押さえ、兵達もなにか言いたげに口を開きかけるが、振り切って先を目指す。
「あとだ、タオ。今は俺を信じてついてきてくれ」
点々と灯る光は、渡り廊を進む俺達を青く浮かび上がらせる。
傍から見れば死人の行進にでも思えるかもしれないな、などと不吉な考えが脳裏をよぎった。
23時57分。
前回から大幅に時間を短縮して別棟へ入り、青い光に導かれるまま応接間の扉までたどり着く。
扉に手をかけ、皆を振り返った。
「警戒を怠るな」
「……敵か?」
ウルフの問いに黙って首を振る。
正直わからない。
先ほどは引いてくれたが、今エアがなにを考えているのか不明瞭だ。
再び戦いにならないとは限らない。
もたげていた首を元に戻すと、扉の前にウルフが割り込み、その大きな体で押し退けられた。
「ならば離れていろ」
「いや待てウルフ、ここは俺が――」
「貴様は……死なせるわけにはいかぬ。そう思えるのだ」
顔を見上げれば、ウルフ自身にも理由はわかっていないようだった。
戸惑う間に扉が開かれる。
溢れ出てくる室内の明かりに目を細める。
まだ記憶に新しい応接間の中央では、エアが跪いて頭を垂れていた。
「……これはなんの真似だ、エア」
声をかけながら、室内に目を向ける。
周囲で心配そうにエアを見守る子供達。
ルイセは子供達に寄り添い、ミストとクラウンはソファで対面に腰かけ、近衛兵の面々はクラウンの背後に整列している。
かしこまったエアだけが、唯一浮いていると言わざるを得ない。
「よくお帰りくださいました。――ライベルク様」
「ひとまず顔を上げてくれ」
「はい。仰せのままに」
同時に手を差し伸べて立たせてやる。
いつも被っているフードは外してあり、流れるような銀髪の下でエアは青い瞳を潤ませてさえいた。
「記憶を取り戻されたのですね……本当によかった。私は“王”などという重責を負う器ではありません。その重責をお返しするのは心苦しくもあるのですが、再び私達の王となってくださることを望んでおります」
「……ああ。やれるだけのことは、やるつもりだ」
王の記憶は、あくまでライベルクのもの。
俺に対するエアの認識は誤っているが、ここは訂正しない方がいいだろう。
状況を覆すためにも、王という肩書きが個性的な面々をまとめるのに役立つ。
「王、ねぇ。エアから説明は受けたけど、いまいちピンとこないんだよなぁ!」
ソファに深く背を預け、クラウンが仰々しく足を組んだ。
前髪を指でねじって弄び、虚空を見上げる顔には薄く笑みを浮かべている。
「……クラウン様。王の御前で不遜が過ぎます」
エアにしてはめずらしく不快感を隠さずに言葉を投げるも、煽るようにクラウンは両足をテーブルへ乗せる。
静けさの中に緊張が走り、兵の誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。
「クラウンの態度はともかく……わたしも同じ気持ちよ」
静寂を破ったミストは、俺へと射抜くような目を向けてくる。
「フェンサー、わたしはあなたを王の代替として見ていたんじゃないわ。仕えるに足る人物だと見定めていたつもりよ。それが……」
ミストが懐から取り出した短刀に目を見開く。
「やめろ! なにをするつもりだ!?」
思わず駆け寄るが、ミストはなんの躊躇いもなく自身の腕を切り裂いた。
「ひっ」という呻きが子供達から漏れ、咄嗟にルイセが壁となって凄惨な光景から目をそむけさせる。
呆気にとられる間にも、ミストの白い腕に次々と刻まれていく裂傷。
「死んだと思っていた王が本当はあなただった? わたし達の記憶が間違っていた? 話が事実なら、とんだ道化ね。のうのうと失態を晒したここにいる全員、落城と共に即刻死ぬべきだわ」
床やテーブルに飛び散った血痕が幾重も重なったところで、我に返ってようやくミストの細腕を掴み上げた。
「よせと言っている……っ!」
短刀をもぎ取り、血塗れの腕を離してやる。
ミストはふうふう呼吸を荒げながら、鋭い視線でこちらを睨め上げる。
「タオ、兵舎棟から持ってきた薬があるだろう。手当てをしてやってくれ」
「は、はい」
これでは、まとめるどころの話じゃない。
ある程度の反発は仕方ないにせよ、前回に比べて皆ずいぶんと感情的に見える。
あるいは、これが本来の姿なのだろうか。
自分達の城は落ちかけ、作られた存在だと自己を否定され、記憶や思い出までもねじ曲げられていたと知れば。
人形のように平常を保っていられる方が異常だ。
胸に宿った魂ともいえる熱が、より人間らしく皆を作り変えている。
だとすれば、それを悪い兆候だとは思いたくないが――
「ライベルクの名を皆が思い出せない以上、猜疑はもっともだ。だがどちらにせよ化物どもと戦う以外に俺達が生きる道はないんだ。だから、敵についてより多くを知る俺に指揮を執らせてほしい」
「それさぁ、黙っておまえを王だと認めろってことかねぇ?」
「王位という権力などに興味はない。呼び名もこれまで通りフェンサーでいい。生き延び、勝つための話をしているんだ。無事に戦いを終えたあと、なりたければおまえが王になるといい」
「へぇ……」
クラウンは俯き、そのへらへらとした表情を長い黒髪で覆い隠してしまう。
どうにも捉えどころのない男だ。
……そういえば、かつてウルフと同じようなやり取りをしたんだったな。
すでに遠い過去に感じられる。
「エア、聞いた通りだ。こういった形でかまわないか?」
「はい。ライベルク様――いいえ、フェンサー様がそのようにおっしゃるのであれば、私に異論はありません。……信じております」
エアは俺のことを“芯”までライベルクだと信じきっている。
単に化物どもを殲滅するだけでなく、この“円環”からの脱出という望みは俺と一致しているはずだ。
期待は裏切れない。
と、ふいに立ち上がったクラウンが、薄く笑みを浮かべつつ髪をかき上げた。
「話は終わりかよ。んじゃ、おれはちょっくら気になる場所の調査にいってくっからさぁ。……んで、フェンサー。おまえにも付き合ってほしいんだけどなぁ?」
「……ああ、いいだろう」
元からそのつもりだった。
どう切り出そうかと考えていたくらいだ。
あのとき、応接間を出たあとクラウンになにがあったのか確かめる必要がある。
「我も行こう」
意外な人物が名乗りを上げ、ウルフの顔をまじまじと見る。
先ほどからずいぶんと苦悩しているようで、眉間のしわもますます険しくなったように思う。
「いや、おまえはここに残って――」
「かまわぬな? クラウンよ」
「へ。別にかまわんよウルフ。ただし兵はおれのを出す。ぞろぞろ引き連れちゃ邪魔くせぇしなぁ?」
なし崩し的に話が決まってしまった。
調査に向かうのは俺とクラウン、近衛隊の八名、そしてウルフ。
あとは――
「ボクも! ボクも連れていってください!」
大きな声に、全員の視線がルイセへ集まる。
跳び跳ねんばかりの勢いで真っ直ぐに手を伸ばす様は、切迫した状況下においても空気が和らいで感じる。
刀の鞘に結びつけていた白布を解き、懐にしまうと俺はルイセへ歩み寄る。
「さっきの隊長の話、ボクにはよくわかりません。でもボクは守護隊の剣士です! フェンサー隊長の部下です! ぜったいぜったい間違いなんかじゃありません!」
大きい瞳が必死な輝きを放つ。
俺が知るかぎり誰よりも勇敢な少女。
できることなら、ルイセにはこのまま歪まずにいてもらいたいと切に願う。
「ルイセ、この刀をおまえに渡しておく。扱い方はきっとすぐにわかる。――なにかあったら“音”で俺を呼べ」
「あ、あの、それって……」
「おまえはここに残ってくれ」
あからさまに顔を歪め、ルイセは今にも泣き出しそうな表情で歯噛みした。
心苦しいが、許してほしい。
情緒が不安定な二人を一緒に残すのは、どうにも不安が拭えないのだ。
「わたしへのお目付け役ってとこかしらね? ……さっきは取り乱してごめんなさい。もう、心配いらないわ」
俺の目線に気づいたか、ミストはソファから立ち上がると給仕服を整えた。
本人の言葉通り、無いとは思う。
無いと信じたいが、ミストの短刀がエアの喉を裂く光景が脳裏から離れない。
そして、ルイセの代わりに連れていかなければならないのは。
「クラウン、もう一人追加だ。――タオ、おまえは一緒に来てもらう」
「え!? いや、でも、ですけど……」
ルイセを気遣っているのだろう。
狼狽したタオが、俺とルイセへ交互に視線を振っている。
あの男が現れるなら、タオの存在はおそらく鍵になる。
「はぁ、なんでもいいけど早くしろよ。置いてっちまうぞぉ?」
目で先に出るよう促すも、タオは最後まで肩を落とすルイセを心配そうに見ていた。
「……ルイセ」
呼びかけ、ルイセの肩に手を置く。
その肩の細さに……その小さな体躯で剣を振り、身も凍る化物と渡り合ってきた少女に、あらためて尊敬の念を抱く。
「ひとつ聞きたい。“カムラ”という名を知っているか?」
ルイセは喘ぐように顔を上げた。
「カムラ……副隊長のこと、ですか? どうして今、副隊長のことを……」
そうか。そういう風に改変されているのか。
本来の、王城守護隊の隊長。
俺が横入りで立場を奪ってしまった。
今の俺に対するルイセの信頼は、本当ならカムラに寄せられるべきものだ。
「戻ったら話を聞かせてくれ。カムラの最期を、俺は知っておかなければならない。……あとは、守護隊での思い出なども一緒に語ろうか」
前に、暗い地下で守護隊の話を教えてくれたな。
ルイセの記憶にはもう残ってないかもしれないが俺はちゃんと覚えている。
たとえ作られた存在、世界だったとしてもここに王国はあった。
短い期間だったとしても、王城で過ごした時間がルイセ達には確かにあったのだ。
つたなくとも輝かしい騎士の光だ。
必ずや悪意をつらぬき、困難を切り開く刃となる。
僅かな思い出を土台に……多くの未来を俺達がこれから積み上げていくんだ。
「はい……。……はい、わかりました! 約束ですよ隊長! その……無事に、戻ってきてください」
頷き、踵を返した。
ルイセ、エア、ミスト。八名の子供達に、八名の遊撃隊の兵士。
全員に見送られて応接間を出る。
死んでも、またやり直せる。
初見で突破できない難所、難敵でも試行を重ねれば勝利できる。
だが心を通わせた時間は、二度と戻りはしない。
――死にたくない。
人として当たり前の感情を、俺は久しぶりに思い出せた気がしていた。




