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 彼女の前に立つまでの距離が長い。

 というより怖い。

 なんだろう、向けられている表情はひどく魅力的な笑顔ではあるのだが、自分の肌をさす視線が、都の師匠がまな板の上の魚を鬼気迫る勢いでさばいているときのような、剣呑な雰囲気を感じる。

 笑顔を崩さず彼女が口をあけた。


「今晩は。言ったとおり食べに来たわ」

「口に合ったかな」

「ええ、とてもおいしかったわ」

「そりゃあよかった。 一安心だ」

「あら、何に安心したのかしら」

「…都帰りで味に厳しい君のお眼鏡にかなうなら、料理人として捨てたものじゃないということさ」

「ええ、でもこれからも精進するのでしょう?」

「それはもちろん」

「あまり長い時間抜けるわけにもいかないのよね?」

「ああ、まあな。 一応親父には言ってあるが」

「そう、なら本題に入りましょうか」

「…本題?」

「わかって言っているなら大した役者だわ」


 娘さんの笑顔もここまでだった。

 あっという間に立ち上がり、カエル亭の息子の胸倉をつかむ。

 とっさのことだったのと、相手に手を出すわけにもいかず、なすがままの息子。

 弱った顔の息子と怒りにまなじりを釣り上げる娘さん。



「よくもこの三日間フィダレーネまみれにしてくれたわね。

 御蔭でこの領内一帯のフィダレーネを網羅しちゃったじゃない!

 そもそもここで出しているなら看板の一つにでも書いておくのがフェアってものでしょう!

 しかも昨日はぬけぬけと手紙まで持参してくれちゃって!

 まさか本人が持ってくるなんて思わなかったから最後に回しちゃったじゃない!

 ふざけるんじゃないわよ!しかもあの手紙の内容なんなの!?

 怒ったかですって?怒ったわよ!怒り心頭よ!人をばかにするのもいい加減にしなさいよ!

 ただでさえこの勝負で顔を見たらはっ倒すつもりだったけど、とどめ指してやる覚悟をきめちゃったわよ!

 何か弁解があるなら言ってみなさい!」

「…とどめ、というのは?」


 恐る恐る尋ねる青年に娘さんは先ほどの怒気から一転優しい声音で語りかける。


「半熟卵さん、あなたは私の意見も聞かずに、私が負けた時のことも決めたわよね」

「あ、ああ」

「勝った時も負けた時もすべて一方的に決められるというのは、対等の勝負にあるまじきことよね」

「…そうだな」

「もちろん、貴方の料理もお菓子も堪能するつもりだけど、それだけで終わるわけないじゃない?」

「…はあ。

 負けたよ、辛口クッキー。

 許してくれ」

「あら、あなたが負けていることなんてとっくに分かっているのよ、半熟卵。

 一口食べれば十分だったわ。

 私にだけ出された、あのレシピのアレンジも、私が気付かないと思ったのなら罪が重いわ」

「すまなかった、君に食べてもらいたかっただけなんだ、君をばかにするつもりは毛頭なかった」

「あの手紙のお別れについては」

「あれは…」

「あれは?」

「…見合い話が進んでいるんだろう?俺は邪魔者にすらなれないし、祝福するのはつらかったんだ」

「だからいきなりあんな勝負を?」

「勝とうが負けようが、もうケリをつけるつもりだった」

「…」

「…辛口クッキー?」


 もしかしてとは思っていた。

 その通りだった。

 そっちがそう来るのなら、こちらにだって覚悟がある。


 深く息を整える娘さん。

 恐る恐る窺うカエル顔の青年。


「…決めたわ」

「…何を?」

「この勝負の私への報酬」

「それはもう何なりと…だが、その前にこの手を離してくれるとありがたいんだが」

「却下よ」

「…仰せのままに」


 にっっっっっこりと微笑む娘さん。

 カエル顔の青年は、内心冷や汗が止まらない。

 凛と立つだけでも麗しいのに、大輪の華のごとく美しく微笑んでいる娘さんを自分が間近で見られて、うれしいという思いと、一向に目減りしない迫力におびえる気持ちと。

 かつて自警団の息子と大立ち回りしたときだって、今ほど怖くはなかった。


 そして娘さんは女王のように言い渡した。


「私と結婚しなさい。

  夕陽の井戸亭の息子、フォルガン・ラーナ!」


  そして、一生分のあなたを頂戴(ちょうだい)



「で、そのあとはどうなったんですか?」

「カエルの旦那の返事も聞かず、女将が情熱あふれるキスをお見舞いしてたぜ。

  一部始終を見ていた常連は大喝采。

  カエルの旦那はゆでガエルになっちまった」

「へえ、そりゃあ珍しい」

「だろう?普段淡々とした顔してるくせに、な」

「女将が『胃袋掴まれた』 って言ってたのもあながち嘘じゃないわけだ」

「『うちの家系は食い意地が張ってるのよ』とか言ってたしな。

  実際、最初は女将のご両親も結婚に反対していたんだが、カエルの旦那の料理を食わせたらイチコロだったぜ」

「へえ、あの頑固爺様がねえ」

「今でも思い出すぜ、あの時の女将のカッコよさったらなかった。

  カエルの旦那に都で彼女でもいたらどうするんだと、常連にからかわれたときもチラとも動揺せず、

  『あら、そんなに見る目がある女となら、奪い合うのもやぶさかじゃないわ』

  と言ってのけるんだから。

  カエルの旦那はゆでガエル状態から収まらないし、常連が惚れるぜ!とはやしたら睨みつけるし。

  あんな真っ赤な顔でにらまれたって怖かねえってのによ。

  そもそもアイツは大昔から女将のことが好きだった。

  手紙で告白したらしいんだがその時は振られたと思ったらしいな。

  女将は奉公が明ければ見合いが待ってる高嶺の花だったし。

  身を引こうと思ったら女将にとっ捕まったってえわけだ。

  常連はもちろん、アイツの昔馴染みは喜んだぜ。

  女将の古い取り巻きたちも、アイツならと涙をのんだ。

  アイツは、顔こそ美しくはないが、作りだす料理は天下一品。

  宮廷料理人だってはだしで逃げ出す出来だ。

  見た目や身分だって選り取り見取りな女将が、あえて選んだアイツ。

  いい女はやっぱり見る目があるってみんな囃し立てたもんだ」

「今は昔ってやつだね」

「ふふん、俺のおかげでお前さんたちがいるんだぜ?』

「感謝してますよー、自警団団長おやじのだいしんゆう様?」

2020/04/02 誤字修正

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