◆エピローグ◆
これにてお終いです!
最後までお付き合い下さいました読者様方、ありがとうございます\(*´ω`*)
絵本の王道と言われて真っ先に思い浮かべる物語は何でしょうか?
色々あるかとは存じますが愛する者に裏切られて、泡になってしまった人魚姫のお話は皆さんご存じですよね?
あの物語のクライマックス近くを覚えていらっしゃる方は、はたしてどれほどおられるでしょうか。
というのも、今からお話しますのはあの物語のクライマックス近くで人魚姫に短剣を差し出す怖ろしい姉がいたことを覚えていらっしゃいますか?
えぇ、そうですそうです。
「これで王子の胸を一突きして命を奪えば、お前は泡にならないわ!」
――そう叫んでいた、あの人魚。
このお話はそんなバイオレンスな発言をさらっとしてまで愛する妹を救おうとした、愛情深い姉姫のお話のそれからこれから。
***
「いよいよ明日で玉座とお別れだなオズヴァルト。これでお前も晴れて故郷へ帰れるし、ラフィアナとあのヘタレなダリオもちゃんと国民からの祝福を受けられる。めでたしめでたしだな」
砂浜に近い岩場の陰からそう顔を出して満足気に頷くのは、女だてらに海の戦士として名を馳せた人魚姫の長姉・赤髪のサメ姫ジェルミーナ。
意思の強そうな太い眉をキリリとつり上げ紅玉の瞳を輝かせた彼女は、目の前の岩場に腰かける、鋭い光を放つ嵐の晩の海に似た青みがかった灰色の瞳を持つ男性に手を差し出して「どうしたんだ、早くいつもみたいに手の甲に口付ければ良いじゃないか。これで私もようやく早朝の呼び出しから解放されて、昼までぐっすり眠れる」と迫った。
それを見た男性は海風に煽られて乱れた黒髪を後ろに撫でつけ、小さく溜息を吐いている。そんな男性の姿を目にしながらも「お前はあれだ、一人でも頑張れよオズヴァルト」とのたまう海の戦士。
普段のジェルミーナを知る者であれば、ほぼ全員が“いったい彼女ほど勇猛果敢な人魚が何を恐れているのだろうか?”と思うだろう。しかし男性はそんな彼女に対し、撤退を許さなかった。
「ジェルミーナ……この期に及んで往生際が悪いにもほどがあるだろう。いい加減に早く海から上がってきてくれ。これ以上はドレスの準備が間に合わないと、女官達に急かされているんだ」
「絶っっっ対に嫌だ! あんなヒラヒラした格好で衆目に晒されるなど……そんな辱めが許容できるはずがないだろう!!」
「……そのヒラヒラしたドレスを手がけてくれた妹達が待ってる。姉のお前が着て喜ばせないでどうするんだ。ファビオとエレオノーラ嬢を始め、騎士団の連中も楽しみにしていた。まぁ……ルカはどうか分からんが」
その会話の内容からどうやら祝いの席であるらしいのに、ジェルミーナはまるで死地に赴くような拒絶ぶりである。オズヴァルトと呼ばれた男性の方も苦笑しつつも、どこか幸せそうだ。
「それならドレスはラフィアナが着てやれば良い。華奢で可愛いあの子になら絶対に似合うから。あんなに美しい王妃はこの大陸中を探してもきっとおらんぞ? 騎士団の連中も美女が拝めるのだったらその方が満足するだろう。ファビオ達には悪いが……ルカも楽しみにしていないようだし、良いじゃないか。ではな」
「待て、彼女では着丈が合わん。それにお前が式に出ないと、俺が弟達と一戦交える羽目になる。流石に俺も全員の相手をして無事でいられる自信がない。お前に花弁を撒くことを楽しみにしていた甥っ子や姪っ子達も泣くぞ?」
言うが早いか、岩場にかけていた腕をスルリと離して海底に戻ろうとしたジェルミーナの肩を、すかさず掴んだオズヴァルトがそう宥めるも「ラフィアナ達に全部使ってやれと言っておいてくれ。私は海底で緑海の魔女と一緒に水晶で明日の戴冠式の中継を観るから」と尚も帰ろうともがく海の戦士。
常に勝ち気で勇ましい彼女らしくない往生際の悪さに、流石のオズヴァルトも困り顔だったのだが……。
「わ、私達のはお前の領地で小さいのをやれば良いだろう? あそこならここと同じで海も近いし……弟妹達も出席できる。だからだな……、」
ややそれまでの勇ましい物言いから少しオドオドと上目遣いにそう言う彼女に、グッと眉間に皺を刻んだオズヴァルトが「俺はこれでも今日まで充分待ったと思うのだが?」と、怒りではない震えを堪えて訊ねる。
けれど男らしさは持っていても男心を持たないサメ姫様は、次の瞬間この問いかけにあっさりと爆弾を放り込む愚を冒した。
「そんなものは知らん。お前が勝手に五年待っただけで、私から待てと言った憶えもなければ、他の女性に愛を囁くなと言った憶えもない。全部お前が勝手に決めて、勝手に囁いて……うっかり私が頷いてしまっただけだろうが」
残念ながら最後の一欠片の可愛い気は彼の耳には届かず、主に最初の辺りで情報を遮断したオズヴァルトが平坦な声音で「成程、それなら他ならぬお前のお許しも出たのだ。勝手にさせてもらおう」と告げて、岩場から身を乗り出して彼女の唇に口付けた。
一瞬の空白の後に離れた唇。
たったそれだけのことではあるのだが、こういったことはからきし駄目な海の戦士は「――く、唇にしても良いとは言ってないぞ!?」と顔を真っ赤にし、岩場の上に憮然とした表情で座るオズヴァルトを見上げて怒鳴った。
しかし相手もこれに対して一切引く気はないらしく、
「ああ、俺は勝手だからな。式まで待てなかった。それに今まではお前が嫌がるからここでしか言わなかったが、これからは囁きたい時に人目も憚らずお前だけに“愛してる”と囁くし、口付けもしたい時に勝手にさせてもらうぞ」
――と、この五年間【ザヴィニアの賢狼王】と呼ばれた姿の欠片も見えない、ただの青年のようで。海面から「そういう意味で言ったわけじゃない! あと、何を怒ってるんだお前は?」と見上げてくるのは、後ほんの数時間で彼の【妻】となる残念な人魚姫。
『姫様達は何をやってるんだい? もうそろそろ尾ひれを脚に変えなきゃならないってのに……』
『さぁな? 案外式の前に仲良くしてるところなんじゃないか?』
互いに睨み合う彼等がすぐ近くまで迫る世話人達の存在に気付くのは、式を待たずに口付けを、どちらともなく交わす頃。




