EP 4
艦隊司令官の冷徹なる『失敗の本質』分析
ビリビリと肌を焼くような静寂が、ファミレス『ルナミスキング(ルナキン)』の大会議室を満たしていた。
先ほどまで桃色の魔導オーラと歓声に包まれていた空間は、坂上真一が踏み込んだただそれだけで、まるで巨大な戦艦の主砲が正面に向けられたかのような息苦しい重圧に圧し折られていた。
「な……な、何なんだい、君はッ!? 僕のセミナーの妨害をする気なら、営業妨害で訴えるよッ!」
特設演台の上で、純白のスーツを着た円城寺明が、手にしたクリスタルグラスのワインを小刻みに波立たせながら叫んだ。
セラミックの白い前歯を剥き出しにし、必死に成功者としての余裕を取り繕おうとしているが、その額には脂汗が滲んでいる。
傍らの青い化繊スーツの男・鮫島剛は、金メッキの腕時計を握りしめて後ずさりし、ドカタ作業着の火原元は無精髭を震わせて唾を飲み込んだ。
円城寺は舌打ちすると、双眸をドス黒く濁らせ、両手を壇上から突き出した。
「ええい、田舎のジジイが一人入ってきたくらいで怯むんじゃないよ! 僕の言葉を聞け! 成功への階段を登るんだ! ――【熱狂空間】、最大出力ッッ!!」
ボォォォォォッッ!!
円城寺の全身から、先ほどの倍以上の密度を持つ濃厚な桃色の精神汚染魔力が、暴風となって噴き上がった。
視界がピンク色に歪むほどの魔力波動。
会場に居合わせた村人たちを再び思考停止の狂乱へと叩き込み、何より正面に立つ坂上真一の精神を直接ハックして操り人形に変えようと、目に見えぬ呪詛の触手が殺到する。
だが――。
「……フン。安い幻惑じゃのう」
坂上真一は、眉毛ひとつ動かさなかった。
ドォォォォォンッッ!!
濃紺の作業服の下、坂上の背中に彫り込まれた若気の至り――「仁王の刺青」が、黄金色の神々しい闘気を吹き上げた。
ユニークスキル【金曜日の総司令官】が持つ最大権能――『母港の記憶』!
坂上の全身から放たれたのは、暴力的な魔力などではない。
長期の過酷な航海を終えた将兵を迎え入れる、母港の防波堤の温もり。
何時間も炒め抜いたあめ色タマネギの甘みと、数十種類のスパイスが複雑に絡み合った、あの芳醇極まりない海軍カレーの熱気。
そして、龍魔呂が朝から丹精込めて引いた、至高の和風出汁の清らかな香気だった。
黄金の湯気のようなオーラが波紋となって会議室全体へ広がった瞬間、円城寺の放った桃色の魔力霧は、まるで熱湯を浴びせられた薄氷のように、ジュウウゥゥッと音を立てて跡形もなく蒸発した!
「なっ……!? ぼ、僕の精神干渉スキルが……一瞬で消滅した……!?」
円城寺が目を剥いて絶叫する。
それだけではない。
日頃から小料理屋『鬼龍』で坂上のおでんや金曜カレーを口にしていたキャルル、リーザ、ニャングル、そして村人たちの体内へ、坂上の放つ『母港の記憶』が共鳴するように染み渡っていった。
脳内にこびりついていた全能感と焦燥感が綺麗さっぱり洗い流され、全員の瞳に正気の光がカッと戻る。
「はっ……!? わ、わたくし、一体何を……!?」
机の上で羽ペンを握りしめていたリーザが、ガタガタと震えながら破り捨てられた契約書を見下ろした。
「わ、わたくし……一億円に目が眩んで、タダでさえ数千円しかない全財産を、見ず知らずのピンクネクタイに差し出すところでしたのぉぉ!? ひ、冷や汗が止まりませんわぁぁッ!」
「まったく……! 真一さんが来てくれなかったら、村中の財産が根こそぎ持っていかれるところだったよ!」
キャルルが長い兎耳をピンと立て、怒りを露わにして安全靴を踏み鳴らす。
正気を取り戻した村人たちも、「なんだこの怪しすぎる図は!」「魔王を倒して一億円なんて、冷静に考えたらあり得ねえだろ!」と口々に怒号を上げ始めた。
「ひ、ヒエッ……! 円城寺さん、洗脳が完全に解けちまいましたぜ!?」
鮫島が泡を食って叫ぶ。
円城寺は青ざめながらも、演台をバンと叩いて虚勢を張った。
「だ、騙してなどいないッ! これは正当な投資ビジネスだ! 何を根拠に僕のプロジェクトをペテンと呼ぶんだい、そこの粗野なオッサン!」
「根拠、じゃと?」
坂上真一は、咥えていた青い昭和煙草『ブルー・ホープ』から、ふわりと紫煙を天へ吹き消した。
腕に嵌めたブロンズ製の機械式腕時計をチラリと見やり、歩を進める。
その足取りには、何千人もの将兵の命を預かり、極東の荒波の上で国家の防空網を背負い続けてきた男だけが放つ、大地そのものの重みが宿っていた。
「オドレ、自分を『本物の成功者』と嘯いとるようじゃがの。……わしの目から見りゃ、オドレのやっとるビジネスなんぞ、補給線も兵站も無視して破滅へ突き進んだ、あの忌まわしき戦争の『大本営発表』と寸分違わんわい」
「な、何だと……!?」
坂上は黒板に貼られたピラミッド図の前に立つと、白樫の木刀の切っ先で、頂点の円城寺の名前をコンコンと突いた。
「わしが生涯の教訓としとる『組織の慢心を戒める兵法録』――近代の戦史研究にもあるがの。失敗する組織には、共通する三つの決定的な病根があるんじゃ。第一に『希望的観測に基づいた杜撰な作戦立案』、第二に『数値と現実の致命的な乖離』、そして第三に『末端の兵を消耗品として切り捨てる無責任な統率』じゃ」
坂上のドスの利いた、だが恐ろしいほど論理的な声が、静まり返る会議室に響き渡る。
「まず第一に、オドレの言う『参加費十万円で魔王を倒して一億円』という大前提じゃ。……アホも休み休み言えや。魔王ラスティアといえば、次元を斬り裂く魔王剣と広域重力魔法を操る、大陸屈指の化け物じゃろうが。そこに、レベル十や二十の素人を何万人送り込んだところで、近づく前に灰塵にされるのがオチじゃ。勝算の裏付けも、兵站の補給計画も、撤退の基準すらない。『みんなで気合いを入れて突撃すれば勝てる』などという精神論は、兵法ではなく、ただの集団自殺命令じゃいッ!」
「う、ぐっ……!」
円城寺の喉が詰まる。
坂上の指摘は、まさに円城寺が裏で魔王ラスティアと結んでいた「プロレス興行で追い返してもらう」という茶番の欺瞞を、軍事のド正論で完璧に抉り抜いていた。
坂上は間髪入れず、木刀の先でピラミッドの枝分かれ部分を叩いた。
「次に第二、数値の破綻じゃ。……紹介料で下位の金を吸い上げて上位へ配当するこの仕組み、数学的に何世代続くと思うとるんなら? 一人が三人を勧誘し、その三人がまた三人を勧誘する……これを二十回繰り返してみぃや。必要な人間は三十億人を超えるわい! この大陸全土の人口をかき集めても到底足らん数字じゃ! 最初から破綻することが確定しとる算盤を弾いて、先行者だけが逃げ切る前提の仕組みを、世間では『詐欺』と呼ぶんじゃいッ!」
「ひぃっ……!」
後方でニャングルが「せや! その通りや! 坂上はん、ウチの言いたいこと全部言うてくれたわ!」と算盤を景気良く鳴らす。
そして坂上真一は、鋭利な眼光を演台の三人へ突き刺した。
「そして第三――最も許せんのは、オドレらのその腐りきった性根じゃ! 『論語』に曰く、『利を見ては義を思い、危を見ては命を授く』。……人の上に立つ者は、利益を前にした時こそ人道と義理を思い出し、仲間の危急には我が身を挺して盾となる覚悟を持たねばならんのじゃ! それをお前らはどうじゃ!? 現場で汗水流して土を耕す純朴な若者を『情弱』と見下し、文字の改竄と口先だけで毟り取ろうとしおったなッ!」
ドォォォォォンッッ!!
坂上の怒号が雷鳴のように炸裂した。
その背後から、足音もなく進み出てきた百九十センチの巨躯があった。
鬼神龍魔呂だ。
糊のきいた純白の調理服を着こなし、彫りの深い端正な顔立ちに、絶対零度の殺気を湛えている。
ドンッ、と演台の前に置かれたのは、先ほど東部防壁で粉々に砕け散った『真・竜王破山剣(劣化コピー品)』の泥と鉄クズの残骸だった。
「……おい、作業着のナマクラ職人。それと、金ピカ時計の文字弄り野郎」
地獄の底から響くような龍魔呂の低音に、火原と鮫島が「ヒィッ!?」と抱き合って震え上がった。
「……てめぇらの作ったこのガラクタのせいで、うちの舎弟が命を落としかけた。……手取り十四万の給料袋を丸ごと巻き上げられたあいつが、どんな思いで泥水を啜っていたか……てめぇらに分かるか?」
龍魔呂が、ポケットから取り出した大粒の【角砂糖】を、奥歯で――ボリリッ、ガリリッと噛み砕いた。
冷たい真鍮ライターが、静寂の中で――カチッ、と鳴る。
赤箱の煙草『クリムゾン・レッド』の紫煙越しに、かつて百人の悪漢を素手でミンチに変えた「DEATH4」の絶対の死線が、三人の眉間を寸分の狂いもなくロックオンした。
「……子供や、純朴に生きようとする奴の涙を踏みにじる奴を、俺は絶対に生かしてはおかねぇ。……親父、こいつらの骨、何本へし折ればいい?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃーーッッ!? 出たぁぁぁ! 本物のDEATH4だぁぁぁッ!!」
鮫島が失禁寸前で床にへたり込み、火原はガタガタと歯の根を鳴らして腰を抜かした。
円城寺もまた、ワイングラスを取り落として粉々に割り、純白のスーツを泥水で汚しながら後ずさる。
「ま、待て……! 暴力はよせ! 話し合おう! ここは三大国の緩衝地帯だろ!? 正規の法も警察もないはずだッ!!」
「……甘ったれるんじゃないよ、クソ野郎ども」
会議室の入口で、村長キャルルが木製ダブルトンファーを構え、鉄板入り重安全靴でガツンと扉の退路を塞いだ。
その隣には、人狼族の宰相執事リバロンが、純白の手袋をはめた指先で一枚の分厚い書類をパチンと弾き、冷徹な糸目笑顔を浮かべている。
「法がないなら、この村の法で裁くだけじゃけえの」
坂上真一は白樫の木刀を肩に担ぎ、青い煙草の紫煙を天へ吹き流しながら、堂々と宣告した。
「オドレらが今までどこでどんな悪事を働いてきたか知らんが、このポポロ村の食卓と民の笑顔を汚した罪、きっちりツケを払ってもらうで。――たつまろ、ニャングル、リバロン! 外堀を全部埋めて、この三匹のハイエナ共を徹底的に叩き潰すぞッ!!」
「「「応ッッ!!!!」」」
最強の親父と最凶の狂犬弟子、そしてポポロ村の鉄壁の実務陣による完全包囲網が、いま完成した。
悪徳転生者トリオへの、逃げ場なき「社会的・物理的成敗」の鉄槌が、容赦なく振り下ろされようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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