目が覚めたら、工場が500年前だった
製造業というものは、世間で思われているよりずっと地味だ。
完成した製品だけを見れば、そこには設計者の思想があり、最新の加工技術があり、精密な機械があるように見える。しかし実際の工場を動かしているのは、そんな華々しいものばかりではない。穴の位置を間違えないための小さな治具、部品を置く向きを示す印、誰が測っても同じ数字になる測定方法、材料を切らさないための在庫管理、作業者が迷わないように書かれた手順書。そういう、完成品には決して名前の残らない無数の工夫が積み重なって、ようやく同じ物を何百個、何千個と作ることができる。
俺は、そういう仕事をしていた。
別に天才技術者だったわけではない。大学で機械工学を修めたわけでもなければ、一人で自動車を設計できるような知識もない。高校を出て製造業の会社に入り、現場を覚え、図面を覚え、加工を覚え、そのうち治具を考えたり、工程を組んだり、外注先と喧嘩したりするようになった。気がつけば二十年以上、肩書だけなら生産技術だの製造技術だの、それらしい名前が付いていたが、やっていることを一言で説明するなら「なんとかする人」だったと思う。
現場から「作れません」と言われれば作れる方法を考え、営業から「来週までです」と言われれば無理だと怒りながら工程を組み、品質から「寸法が外れています」と言われれば原因を探す。そんな人生だったからなのかもしれない。目を覚まして最初に気になったものが、自分の身体ではなく、天井の梁だったのは。
「……なんやこれ」
太い木材が頭上を横切っていた。蛍光灯がない。火災報知器も配線もなく、そもそも天井板すら張られていない。黒ずんだ梁が剥き出しになっているのをしばらく眺めてから、俺はようやく身体を起こした。
妙に身体が軽い。その違和感に気づいて自分の手を見ると、そこには見覚えのない小さな手があった。
「…………は?」
五本の指を開き、閉じ、もう一度開く。何度見ても大人の手には見えない。
「いやいやいや」
どう見ても子供の手だった。
布団から飛び出して部屋を見回すと、畳のようなものが敷かれているものの、現代の家で見るそれよりずっと粗い。障子らしき建具があり、家具らしい家具もほとんどなく、当然のように枕元にはスマートフォンも眼鏡もない。その代わり、壁際には見たこともない木箱と、畳まれた着物が置かれていた。
「ちょい待て。これ……」
真っ先に思いついたのは、夢だった。試しに頬をつねってみる。
「痛っ」
古典的な確認方法が、古典的な結果を返してきた。いや、夢でも痛覚くらいあるかもしれない。そう思ってもう一度つねろうとしたところで、障子が開いた。
「虎松?」
そこに立っていたのは、三十代くらいに見える女だった。髪をまとめ、質素な着物を身につけている。どう見ても知らない女なのに、顔を見た瞬間、俺の中の何かが当たり前のように反応した。
「……おかん?」
口から勝手に言葉が出た。女が眉を寄せる。
「なんや、まだ寝ぼけとるんか。はよ起き。父ちゃん、もう仕事しとるで」
「あ、うん」
「うんやあらへん。顔洗ってき」
「はい」
反射的に返事をすると、女は満足したらしく障子を閉めた。俺はその場に座ったまま、しばらく動けなかった。
「虎松……?」
聞き覚えがある。いや、聞き覚えという表現もおかしい。俺の名前だと、そう認識できてしまう。
父は源兵衛、母はお志乃。ここは堺で、家は榊屋という鍛冶屋を営んでおり、俺はその長男。知らないはずの記憶が、昔から知っていた自分の記憶として頭の中に存在していた。そして、それとは別にもう一人分の記憶もある。令和の日本、工場、工作機械、CAD、ノギス、マイクロメーター、納期、不具合報告書、残業。
「最後二ついらんやろ……」
思わず呟いた。どうやら記憶だけでなく、くだらない独り言まで前世から持ってきてしまったらしい。
◇
顔を洗って飯を食った。米だけではなく粟の混じった飯と汁、それに漬物という質素な食事だったが、腹が減っていたので普通に美味かった。
食事をしながら頭の中を整理してみたところ、どうやら俺は死んだらしい。ただし、そのあたりの記憶だけは妙に曖昧だった。少なくとも病院のベッドで大往生した記憶はないし、百歳まで生きた覚えもない。そして今は、榊家虎松という十歳ほどの少年になっている。場所は堺。そこまでは分かったが、問題は年代だった。
「母ちゃん」
「なんや?」
「今年って……」
そこまで言って止まった。西暦を聞いても通じるわけがない。
「……今、何年やった?」
お志乃が完全に手を止めた。
「虎松」
「はい」
「頭でも打ったんか?」
「いや、ちょっと寝ぼけて」
「天文十九年」
「ありがとう」
天文十九年。知らん。
戦国時代なのは分かるし、天文という元号にも覚えはある。しかし、それが西暦何年なのかまでは出てこなかった。俺は歴史オタクではないのだ。織田信長がいた時代に「天文」があった気がする、という程度の知識しかない。
俺は頭を抱えたくなった。転生させるなら、せめてWikipediaくらい付けてくれ。
「兄上、ほんまに大丈夫なん?」
隣から声がして振り向くと、俺よりさらに小さな男の子が飯を食べながらこちらを見ていた。宗次郎、弟だ。
「大丈夫や。ちょっと変な夢見ただけや」
「どんな?」
「会社で仕事してる夢」
「かいしゃ?」
「忘れて」
危ない。十歳児が突然株式会社について説明を始めたら、母親でなくても医者を呼びたくなる。この時代に医者を呼ばれて何をされるのか知らないが、できれば試したくない。
飯を食い終えると、俺は父が仕事をしているという工房へ向かった。榊屋が何を作っているのかも、虎松としての記憶からすでに分かっている。
鉄砲だ。
◇
工房に入った瞬間、熱気が顔を叩き、鉄を打つ音が耳に飛び込んできた。炭と油、それに焼けた鉄の匂いが混じり合う中で何人もの職人が働いており、槌を振るう者もいれば、腰を据えて鑢を使っている者もいる。
俺は入口で立ち止まり、その光景を見渡した。
「……すげぇ」
素直に声が出た。機械がない。当たり前のことなのだが、旋盤もフライス盤もボール盤もなく、電動工具すらない。目の前にあるのは槌、鏨、鑢、錐、それに簡単な木製の道具ばかりだった。
「これ、人力で作ったんか……」
作業台に置かれていた鉄砲の銃身を見て、俺は息を呑んだ。長いうえに、かなり真っ直ぐだ。現代なら材料を旋盤に咥えて加工するような形状を、こいつらは機械もなしに作っている。
「何してんねん、若旦那」
横から声をかけられて振り向くと、若い職人が笑っていた。弥吉だ。虎松の記憶によれば、榊屋の若手では一番腕がいい。
「弥吉」
「なんや。今日はえらい早いやん」
「これ、どうやって真っ直ぐにしたん?」
「……何が?」
「筒や」
弥吉が怪訝な顔をした。
「どうやってて、いつも通りやけど」
「そのいつも通りを聞いてんねん」
「なんやねん今日の若旦那」
笑いながら弥吉が作業途中の鉄を見せてくれた。鉄板を細長く延ばし、それを芯に巻きつけるようにして筒へ成形する。継ぎ目を鍛接し、何度も熱しては叩いて形を整え、そこからさらに内側をさらい、外側を削って仕上げていくらしい。
俺は途中から何も言えなくなった。知識としては知っていたのだ。昔の鉄砲が手作業で作られていたことくらい、当然分かっている。しかし、実際に目の前で見てみると「手作業」という言葉があまりにも軽く感じられた。鉄を熱して叩き、目で見て手で触り、僅かな歪みを見つけて修正する。ろくな測定器もないのに、最終的には鉄砲として成立する精度まで持っていく。
「化け物やん……」
「誰がや」
「いや、こっちの話」
前世の俺が同じ設備を渡されても、作れる気がしない。マシニングセンタの使い方を知っているからといって、槌一本で鉄を思い通りにできるわけではないのだ。文明レベルが低ければ技術レベルも低い、などという単純な話ではなく、使える道具が少ない分、人間側の技量が恐ろしく高い。
俺は少し興奮していた。しかし、その興奮とは別に、前世で二十年以上も製造業にいた人間として、どうしても気になるものがあった。
「弥吉」
「ん?」
「その筒と、その筒」
作業台に並んでいる二本を指差した。
「太さ、同じなん?」
「だいたいな」
「だいたい?」
「そら最後は合わせるで」
「何に?」
「それぞれにや」
嫌な予感がした。
「……部品、入れ替えられる?」
「なんで入れ替えるん?」
弥吉が本気で不思議そうな顔をしたので、俺は黙った。
なるほど、そういう世界か。
銃身を作り、それに合わせて部品を作る。部品が合わなければ削り、削りすぎたら別の部品を作る。一挺ずつ、一人の職人が合わせ込んで完成させる。完成品として見れば見事だが、前世の製造業で生きてきた俺からすれば、とんでもない作り方だった。
「……これ、全部寸法違うんか?」
「そら手で作っとるんやから、ちょっとは違うやろ」
「ちょっと……」
周囲を見回せば、職人たちは黙々と仕事をしている。一人ひとりが高い技量を持っているからこそ、このやり方でも成立しているのだろう。逆に言えば、職人が違えば作り方も違い、寸法も部品も基準も違う。おそらく検査方法まで違うはずで、前世の俺なら品質会議で頭を抱える状況だった。
「虎松」
低い声がして振り返ると、父の源兵衛が腕を組んで立っていた。
「朝から弥吉の邪魔して何しとる」
「邪魔ちゃうわ。見てただけや」
「見るんはええ。手ぇ止めさすな」
「へいへい」
「返事」
「はい」
親父は強い。十歳になっても前世の記憶があっても、親父は親父らしい。
源兵衛は俺の横を通り過ぎると、弥吉が作っていた銃身を手に取った。光に透かすように内部を確かめ、それから指で外側をなぞっていく。
「弥吉」
「はい」
「ここ、まだ高い」
「え?」
「ここや」
源兵衛が一点を指した。弥吉がそこを触ったので、俺も銃身を借りて指先で確かめてみたが、何度触っても違いが分からない。一方の弥吉は少し触っただけで顔をしかめた。
「ああ、ほんまや」
「仕上げる前に直しとけ」
「へい」
源兵衛はそれだけ言って去っていった。俺はその背中を見送ってから、弥吉を見る。
「……分かったん?」
「何が?」
「あそこ高いん」
「そら分かるやろ」
「分からへんわ」
弥吉が笑った。
「若旦那、まだまだやな」
「うっさい」
普通に悔しい。前世ではノギスもマイクロメーターも使っていたし、百分台の寸法だって測っていた。しかし、それは測定器があったからできたことであって、俺の指が百分の一ミリを感じ取っていたわけではない。
源兵衛たちは違う。何十年と積み重ねた経験そのものが測定器になっている。その技量には素直に感心する一方で、俺の中には別の感情も膨らみ始めていた。
もったいない。
これだけの腕と技術がありながら、そのほとんどが人間の感覚の中にしか存在していない。源兵衛が死ねば源兵衛の感覚は消え、弥吉がそれを受け継ぐにしても、同じところまで到達するには何年もかかる。さらに弥吉が弟子へ教えるときには、また同じことを繰り返さなければならない。
俺は作業台に置かれていた二本の銃身を見た。
「なあ弥吉」
「今度はなんや?」
「この二本、同じ太さにしたいと思わへん?」
「同じ?」
「寸分違わず、とまでは言わん。せやけど誰が作っても、だいたい同じ太さになるようにするんや」
「なんで?」
またそれだ。しかし、考えてみれば当然だった。この時代には、同じ寸法にする必要がない。一挺ずつ合わせればいいのだから、弥吉にとって俺の疑問の方がおかしいのだろう。
けれど、俺にはその先が見えてしまう。同じ寸法で作れれば部品を入れ替えられ、作業を分担できる。基準があれば検査ができ、不良を見つけることもできる。そして何より、同じ物をたくさん作れる。
「……面白そうやから」
結局、十歳の俺はそう答えた。
弥吉が呆れたように笑う。
「また若旦那の変なん始まったわ」
「変なん言うな」
俺も笑いながら、もう一度銃身を手に取った。
問題は、どうやって測るかだ。定規では足りない。ノギスを作ることも考えたが、いきなり精密測定器を作ろうとするから話が難しくなる。今ここで必要なのは正確な数字ではなく、作った物が基準に対して合っているのか、外れているのかを誰でも判断できる方法だ。
だったら、答えは単純だった。
「……ゲージやな」
「げえじ?」
「なんでもない」
前世なら、わざわざ考えるほどのことでもなかった。だが、この時代にはまだない。少なくとも、この工房にはない。
俺は手にした鉄砲を見つめた。ここは五百年近く昔の工房で、機械も電気も規格もない。けれど鉄があり、道具があり、そして、とんでもなく腕のいい職人たちがいる。それだけ揃っているなら、できることはいくらでもあるはずだ。
別に歴史を変えたいわけじゃない。天下を取りたいわけでもない。
ただ、こんな現場を見せられて、改善せずにいられるほど、俺は出来た人間ではなかった。




