第061話:年を越える青い酒
年の最後の日、都市はいつもの朝より少しだけ静かに始まっていた。
冬祭りの名残を残す飾りはまだ通りの各所へ吊るされたままで、雪灯草を加工して作られた青白い灯りも、朝の薄明かりの中では夜ほど目立たないながら、建物の影へ淡い色を残している。祭りそのものは一区切りついていたが、その余韻と新しい年を迎える準備が重なり、通りを歩く者たちの足取りには普段と違うゆとりがあった。
都市全体が休みに入るわけではない。
宿屋や酒場、食堂、薬屋、日用品を扱う店、交通や荷運びに関わる場所など、生活に必要な仕事は年の境目でも続いている。ただし普段より営業時間を短くしたり、交代で休みを取ったりする店が多く、商業区にもところどころ閉じた扉が見えた。
オルゼンの店も、この日は通常営業をするつもりはなかった。
朝から開けるのではなく、昼前から二時間ほどだけ店を開き、年末最後の買い物をする客へテイクアウトと最低限の雑貨販売を行った後、そのまま年内の営業を終える予定にしていた。
営業時間を二時間だけにしたのは、売上を求めるためではない。
むしろ逆だった。
今年は十分に働いた。
新店舗の工事、設備搬入、外での販売、内覧会、新しい商品の試作、冬祭りへの素材提供。その間にも日常営業は続き、全員が少しずつ役割を増やしてきた。
だから最後の日くらいは、店の都合ではなく、それぞれが年を越す時間を確保したかった。
短時間営業を提案した時、クィナスは少しだけ意外そうな顔をしたものの、反対はしなかった。
「妥当だと思います。年末最後の日に通常営業をしたところで、客足の予想は難しいですし、働く側も気持ちが散ります。それなら二時間だけと最初から告知して、必要な方へ必要な分だけ渡す方が店としても分かりやすいでしょう。もっとも、マスターが自分から営業時間を減らすと言い出したことには少し驚きましたけど」
「俺だって休む時は休むようになったんだよ」
「最近ようやく、ですね」
「余計な一言だな」
「そこまで含めて年末の挨拶だと思ってください」
ボルガムも、短時間営業についてはすぐ納得した。
「年末は家で食う料理を自分たちで用意する客も多い。俺たちの店だけで食卓を埋めてもらう必要はねぇし、二時間あれば買い足したい奴には十分だろ。むしろ最後だからって作りすぎる方が危ねぇ。売れ残りを出したくなくて無理に勧めれば、年の最後に妙な商売をすることになる」
「じゃあ仕込みは少なめ?」
「少なめって言い方は少し違うな、カイル。普段の二時間分を見て、その少し上まで用意する。年末だから多めに買う客もいるだろうが、最初から倍を作る必要はねぇ。売れ方を見ながら火へ入れる量を変える。それなら余りも出にくい」
カイルは納得したように頷いた。
「なるほどな。年末だからって気合いで山ほど作るわけじゃないってことか。まあ、今日の俺は早く終わって飯食いたいし、それでいいけど」
「お前は毎日それくらい分かりやすけりゃ扱いやすいんだがな」
「師匠にだけは言われたくない」
そんなやり取りをしながら迎えた二時間の営業は、予想していたより穏やかだった。
年末の食卓へ一品足したい者。
夕方から集まる家族のために肉料理を買っていく者。
簡単に食べられるものを用意しておきたい一人暮らしの者。
年明けまで店が休むと知り、少し多めに買う常連客。
雑貨屋側では保存袋や簡易燃料、小さな灯り用の芯、調理に使う紐や器など、派手ではないが年末年始にあると困らないものがよく動いた。
客たちも、この店が短時間営業であることを理解していた。
「今年も世話になったよ」
「年明けもまた来るからな」
「休める時にちゃんと休めよ」
そんな言葉を掛けて帰っていく者もいる。
以前なら、客から休めと言われることに妙な違和感を覚えただろう。
だが今は、それも一つの関係なのだと思える。
店は料理や物を渡す場所だが、それだけではない。
同じ客が何度も来れば、顔を覚える。
好みを覚える。
生活の変化を知る。
そして向こうも、店側の変化を知っていく。
閉店予定の時間が近づいた頃には、テイクアウト用の料理もほぼ予定通りに減り、残った分も従業員で持ち帰れる程度になっていた。
オルゼンは最後の客を見送り、扉の外へ出していた短時間営業の札を店内へ戻した。
「じゃあ、今年の営業はここまでだな」
その言葉を口へすると、不思議と実感が湧いた。
今年最後。
明日になれば、新しい年。
だからといって店の何かが突然変わるわけではない。
炉も同じ。
棚も同じ。
在庫も同じ。
自分たちも急に別人になるわけではない。
それでも区切りというものは、人の気持ちを少しだけ整えてくれる。
クィナスが売上袋を確認しながら口を開いた。
「今日の分は簡単にまとめておきます。細かい締めは年明けで構わないでしょう。今日まで働いた後に帳簿へ張り付いても、数字を一つ間違えるだけですし」
「クィナスがそれを言うの珍しいな」
「マスターだけでなく、私も多少は学習しますよ。年明けに正確にやればいいことを、年内という理由だけで急いでも意味はありません」
「それ聞けて安心した」
「どういう意味ですか」
「そのままだよ」
クィナスは何か言い返しかけたが、今日はやめたらしい。
小さく息を吐いて帳簿を閉じる。
ボルガムは厨房の火を一つずつ落としながら、カイルへ最終確認をさせていた。
「カイル、炉を止めた後は火口だけ見て終わるな。灰受けも確認しろ。年明けまで数日空けるなら、小さい火種でも残すなよ。普段なら次の仕込みで使えるが、今日は誰も来ねぇ。使わない日の確認は、使う日の確認より厳しくやるもんだ」
「分かってる。水回りも見たし、包丁も全部戻した。冷蔵庫の中も整理したし、余った分は持ち帰りに分けてある」
「ならいい。年明けに最初から掃除する羽目になるのは面倒だからな。終わる時に終わらせておけば、次の日はすぐ始められる」
「師匠、年明け一発目から仕込みのこと考えてんのかよ」
「料理人が料理のこと考えて何が悪い。だが今日はもう終わりだ。帰ったら俺も酒でも飲む」
「師匠が酒って、何か似合いすぎて逆に面白くねぇな」
「お前は黙って飯食って寝ろ」
レイシャとメルフィアは販売台や客席側を整え、正月明けにすぐ使えるよう布や札をまとめていた。
メルフィアは最後まで何かを整えたそうにしていたが、レイシャがその手を止めた。
「そこは年明けでいいよ。今直しても、休みの間に空気が乾いて少し位置が変わるかもしれない。それより今日は自分の時間にしよう」
「はい、レイシャさん。私、年が変わる前に家で絵……ではなくて、色の組み合わせを少しまとめようかと思っていたんですけど、それも仕事になってしまいますよね」
「やりたいならやればいい。ただし店へ提出するつもりでやるんじゃなく、自分が楽しいからやるなら、それは休みでいいんじゃないかな」
「そうします。好きな色だけ並べてみます」
オルゼンはその会話を聞きながら、年の初めに比べれば本当に人が増えたと思った。
最初は三人だった。
それが今は六人。
ミレイユのように頻繁に関わる知り合いも増えた。
ラグネルやセリオラ、イェルミナ、ナギルカ、アルフェン、ゼルフィナ。
縁の数だけなら、もう両手でも足りない。
店を閉める準備が終わると、オルゼンは全員へ向き直った。
「今日はこれで終わり。年明けまでは完全に休みだ。仕事のことは考えてもいいけど、仕事をしに店へ来るのは禁止な」
カイルがすぐ笑った。
「それ、マスターが一番守れんのか?」
「守るよ」
「本当かぁ?」
「お前に疑われるの嫌だな」
クィナスも少し笑いながら口を挟む。
「カイルの疑問はもっともです。マスターは休みの日に『ちょっと様子を見るだけ』と言って店へ近づく前科がありますから」
「今回は行かないって」
「では鍵を預かりましょうか」
「そこまで信用ないのかよ」
「半分冗談です」
「半分は本気じゃないか」
「当然でしょう」
ボルガムまで笑っている。
「まあマスター、たまには何も考えずに年を越せ。店は逃げねぇし、厨房も勝手に壊れねぇ。年明けにまた考えりゃいい。先を見るのは大事だが、先を見るためにも一度目を休ませる時間が要る」
「お前たち、俺の扱いがどんどん雑になってないか?」
「信頼してるからだろ」
ボルガムの返事は短かったが、そこに含まれている意味は十分に伝わった。
オルゼンも笑った。
「じゃあ、来年もよろしく」
「それは年が変わってから言ってください、マスター」
クィナスがすぐ返し、また笑いが起こった。
それぞれが店を出て、違う方向へ帰っていく。
クィナスは年越し前に読みたい本があると言っていた。
ボルガムは買っておいた肉と酒で、自分なりの簡単な料理を作るらしい。
カイルは知り合いの家へ顔を出し、その後は寝ると宣言していた。
レイシャは静かに過ごすつもりだと言いながらも、ゼルフィナから届いていた短い手紙を読むのだろう。
メルフィアは自宅で、仕事とは関係なく好きな色を好きなように並べると言っていた。
誰も、同じ過ごし方ではない。
それでよかった。
オルゼンも特に予定はなかった。
自宅へ戻り、何か食べて、寝る。
それくらいのつもりだった。
だが店からの帰り道、年末でも灯りを落としていない一軒の酒屋が目に入った。
店先には、木板へ酒樽の絵を描いた簡素な看板が吊るされている。
普段なら通り過ぎる。
オルゼンは酒を嫌いではないが、毎日のように飲む習慣もない。
しかし今日は足を止めた。
年の最後。
たまには酒でも飲みながら新年を迎えるのも悪くない。
そんな気分だった。
「……一本くらい買って帰るか」
酒屋の扉を開けると、乾いた鈴が小さく鳴った。
中は外より暖かく、木樽と果実酒、それに香辛料の混ざった独特の匂いがした。壁一面へ棚が並び、大小さまざまな瓶が置かれている。透明な酒、琥珀色、赤褐色、濃い紫、乳白色。果実を漬けたものもあれば、穀物から作られたもの、薬草を加えたものまであり、普段あまり酒を選ばないオルゼンには違いが分かりにくい。
奥から店主が顔を出した。
年配の男で、丸い腹を前掛けで覆い、いかにも酒屋を長く続けてきた雰囲気を持っている。
「いらっしゃい。年越し用かい?」
「まあ、そんなところ。普段あまり飲まないんだけど、今日は一本くらい買って帰ろうと思って」
「それなら強すぎない方がいいな。普段飲まない人間が年越しだからって強いのを選ぶと、年が変わる前に寝ちまう。甘いのと辛いの、どっちが好みだ?」
「どっちでもいいけど、あまり甘すぎない方がいいかな」
「ならこの辺だな」
店主がいくつか瓶を見せてくれる。
穀物酒。
軽い果実酒。
香草を使った酒。
少し辛口の透明酒。
オルゼンは説明を聞きながら一本ずつ眺めていたが、棚の端へ置かれている酒がふと目に入った。
細長い瓶。
中には透き通るような淡い青色の液体が入っている。
濁りはほとんどなく、光を受けると青の奥へわずかな銀色が揺れた。
他の酒とは明らかに雰囲気が違う。
「これ、何?」
オルゼンが指差すと、酒屋の店主は少し意外そうに眉を上げた。
「そいつを見るか。珍しいな」
「そんなに売れないのか?」
「売れないっていうより、知ってる奴しか買わない酒だな。北西の山間にあるセレスティア地方で作られてる『蒼露酒』だ。あっちでは冬の祝いに飲む酒だが、この辺じゃ馴染みがない。毎年ほんの少しだけ入れるんだが、知ってる旅人か、向こうの出身者が買っていくくらいだ」
「味は?」
「見た目ほど甘くない。香りは柔らかいが、口へ入れると少しだけ冷たく感じる。実際に冷えてるわけじゃないんだがな。山の湧水と、冬にしか採れない青い実を使ってるらしい。飲んだ後に香りが残るから、ゆっくり飲む酒だ」
「面白そうだな」
オルゼンは瓶を手に取った。
見た目より少し重い。
瓶自体も厚く作られているようだった。
値札を見る。
確かに安くはない。
普段飲む酒なら何本か買える金額だ。
それでも、今のオルゼンはそこまで迷わなかった。
今年は忙しかった。
忙しいわりに、自分のために金を使う機会はほとんどなかった。
食事は店で済ませることも多い。
新しい服を買ったわけでもない。
遊びに大金を使ったわけでもない。
結果として、財布の中身は以前より随分余裕がある。
「これにする」
店主が少し笑った。
「値段見たか?」
「見たよ」
「ならいい。年の最後くらい、少し変わった酒を飲むのも悪くない。ただ、一人で全部飲むなよ。普段飲まないなら半分どころか三分の一で十分だ」
「そんなに強い?」
「酒そのものは中くらいだ。ただ飲みやすいから、気づかないうちに進む。こういうのが一番危ないんだよ」
「分かった。少しずつ飲む」
店主は瓶を厚い布へ包みながら、何気なく尋ねた。
「今年は商売どうだった?」
「忙しかったな。店も広がったし、人も増えたし、扱うものも増えた」
「なら良い年だったか」
オルゼンは少し考えた。
良い年。
一言で言えばそうなのだろう。
だが忙しいことばかりでもあった。
不安もあった。
予想外のことも多かった。
失敗しそうになったこともある。
「良かったと思う。でも、良かったって言えるのは今だからかもしれない。途中は何がどうなるか分からなかった」
店主はそれを聞いて笑った。
「商売なんてそんなもんだ。終わった後なら何とでも言える。上手くいったら見る目があった、失敗したら勉強になった。やってる最中はただ必死だ」
「長くやってる人が言うと重いな」
「俺も毎年同じこと思ってるよ。年末になると今年も何とか終わった、来年こそ少し楽にやろうってな。で、年が明けると新しい酒を仕入れて、また忙しくする」
「分かる気がする」
「お前さんも同じ顔してるぞ」
オルゼンは思わず笑った。
蒼露酒を受け取り、代金を払う。
思っていたより財布は軽くなったが、不思議と惜しくなかった。
店主へ年末の挨拶をし、酒屋を出る。
外はすでに暗くなり始めていた。
街の灯りが一つずつ点き、雪灯草の青白い光も通りを静かに照らしている。
その中を、自分用に買った淡い青の酒を持って歩く。
それだけで、いつもの帰り道が少し違って見えた。
自宅へ戻ると、簡単な夕食を用意した。
店から持ち帰った料理の残りと、パン。
温かいスープ。
豪華な年越し料理ではない。
それでも一人で食べるには十分だった。
食事を終えてから、蒼露酒の瓶を開ける。
栓を抜いた瞬間、柔らかな香りが広がった。
果実の甘い香りに似ているが、それだけではない。
雨の後の空気のような透明感と、遠くで花が咲いているような微かな匂いが混ざっている。
小さな杯へ注ぐ。
淡い青色の液体が、灯りの下でゆっくり揺れた。
一口。
最初は驚くほど軽い。
続いて、舌の奥へほんの少し苦みが残る。
そして飲み込んだ後、店主が言っていた通り、喉の奥に冷たい風が抜けたような感覚があった。
「……うまいな、これ」
一人で呟いた。
高かったが、買ってよかった。
二口目はさらにゆっくり飲む。
普段なら、この時間にも明日の仕入れや売上を考える。
だが明日は休み。
店も開かない。
誰かが来る予定もない。
年が変わるまで、ただ時間がある。
オルゼンは椅子へ深く座り、杯を持ったまま考えた。
来年、どうしようか。
店をもっと大きくする?
いや、今すぐそこまで進む必要はない。
新店舗はまだ始まったばかりだ。
まず今の場所を安定させる方が先。
テイクアウトも、数を限定しない販売へ変えたばかり。
雑貨屋側も、今年の雪灯草のように、必要になる物を少し先へ残す視点を持っていきたい。
リュナメルもある。
白月種。
緋月種。
一般種の成長も気になる。
セリオラがどう使うか。
ボルガムが緋月種を肉へ合わせたらどうなるか。
それも楽しみだ。
だが、一番先へ進めるべきものは別にある。
「弁当だな」
前から考えている、予約制の昼弁当。
最初は二十個ほど。
前日までに注文を受ける。
その日の食材を利用し、ボルガムとカイルが料理を作り、メルフィアが盛り付けを担当する。
今までスペース不足が大きな問題だったが、新店舗には作業場がある。
冷蔵設備もある。
保存場所もある。
人も増えた。
以前より条件は揃っている。
「やるなら、そろそろだよな」
オルゼンは近くにあった紙を引き寄せた。
来年最初から始める必要はない。
一週間ほど通常営業を回して、新店舗での動きを確認してからでもいい。
まず試作。
次に仲間内で食べる。
それから常連客や関係者へ少数だけ試験販売。
予約方法も考える。
前日の夕方まで?
それとも昼まで?
受け取り時間は昼だけ。
店で待たせないよう、受け取り専用の場所を作る?
料理の内容は日替わり。
価格は一定。
食材によって高くなる日はどうする?
高い日は別の弁当にする?
「いや、最初から細かく決めすぎるのも違うな」
紙へいくつか書きかけ、手を止める。
これまで何度も経験してきた。
考えることは大事。
準備も大事。
だが、実際にやってみなければ分からないことが必ずある。
植物園前で売った時もそうだった。
図書館前も。
職人工房街も。
新店舗の内覧会も。
頭で想像した動線と、客が実際に動く道は少し違った。
弁当も同じだろう。
「二十個くらいから始めて、やってみればいいか」
売れるか。
受け取り時間が集中するか。
盛り付けに何分かかるか。
厨房の負担はどれくらいか。
客が何を喜び、何を不便に思うか。
最初から全部答えを出す必要はない。
試して、直して、また試す。
それでいい。
「楽しそうだな」
口に出した。
弁当を売るから楽しいのではない。
どうやったら上手くいくのか、仲間と考えることが楽しみなのだ。
ボルガムなら料理の構成を細かく詰めるだろう。
「冷めてから食うなら、温かい時に完成させるな」と言いそうだ。
カイルは最初こそ面倒そうにするだろうが、始まれば誰より動きたがる。
メルフィアは蓋を開けた瞬間の色を考える。
レイシャは受け渡しの流れを見てくれる。
クィナスは採算と予約数、時間ごとの負担を冷静に見る。
自分は。
少し先を見て、全体を繋ぐ。
それでいい。
オルゼンは蒼露酒をもう一口飲んだ。
さっきより香りが柔らかく感じる。
酒が温度へ馴染んだのか、自分の舌が慣れたのかは分からない。
窓の外では、遠くから人の声が聞こえていた。
新年が近づくにつれて、家々から灯りが漏れ、誰かと年を越す者たちの笑い声も増えている。
オルゼンは一人だった。
だが孤独だとは感じなかった。
明日になれば、またそれぞれの場所で新しい年を迎えている仲間がいる。
店がある。
知り合いがいる。
また会う人がいる。
まだ会っていない人もいる。
今年は、そういうものが増えた。
「来年も……面白くなりそうだな」
紙へ書いた文字を見る。
弁当。
試作。
二十個。
予約。
受け取り。
その下へ、思いついた言葉をいくつか書こうとした。
だが筆が途中で止まった。
視界が少しぼやける。
「……あれ」
酒のせいか。
疲れか。
今年の仕事が終わった安心か。
急に強い眠気が押し寄せてきた。
酒屋の店主が言っていた。
飲みやすいから気づかないうちに進む酒。
まだ杯には半分以上残っているし、瓶もほとんど減っていない。
それなのに身体がすっかり緩んでいた。
「年越す前に寝るなって言われたばっかりなんだけどな……」
誰に言われたわけでもないのに、そんな独り言が出た。
もう一度紙を見る。
弁当の計画は途中。
まだ決めていないことばかり。
でも。
「まあ……実際やってからでいいか」
そう呟いた。
全部を今日決める必要はない。
来年のことは、来年の自分たちと考えればいい。
オルゼンは杯を机へ置いた。
椅子へ身体を預ける。
窓の外では、年を越すまであと少し。
だがその時間を待つほど、瞼はもう言うことを聞かなかった。
最後に頭へ浮かんだのは、弁当の蓋を開けた時の景色だった。
色とりどりの料理。
メルフィアが悩む色。
カイルが文句を言いながら詰める肉。
ボルガムが腕を組んで味を確認する姿。
レイシャが受け渡し口の流れを見る姿。
クィナスが数字を見ながら「マスター、また考えを広げすぎていますよ」と言う声。
そんな光景を想像したところで、オルゼンの意識はゆっくり沈んでいった。
机の上では、淡い青色の蒼露酒が杯の中で静かに光っている。
その隣には、来年最初に始めたいことを書きかけた一枚の紙。
窓の向こうでは、やがて都市のどこかから新年を告げる鐘が鳴る。
けれど、その音をオルゼンが聞けたかどうかは分からなかった。
忙しかった一年の最後くらい、新しい年を迎える瞬間まで起きている必要もない。
年が変われば、また朝は来る。
そして目を覚ました時から、次の一年を始めればいい。
今年より少しだけ先を見ながら。
それでも答えを決めすぎず、実際にやってみることを楽しみながら。
オルゼンの一年は、青い酒の香りと、まだ途中までしか書かれていない弁当の計画を残したまま、静かに新しい年へ渡っていった。




