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どうも、邪神です  作者: 満月丸
冒険者編
43/120

音楽の神様


「うううううぅぅ~……くっ、もう……そろそろ……限界……!!」

「お、お嬢さん頑張って! ここで君がやられたら僕ら皆がやられてしまいますからぁ!!」

「ち、ちょっとは手伝いなさいよね! アンタの背中のそれは飾りなの!?」

「僕は魔法は苦手なんです!」

「この役立たず!!」


 叫ぶダーナの目の前で、疲れ知らずに叩きつけるゾンビー融合体の手により、結界が徐々に歪んできている。

 長時間、結界を張り続けるには常にヴァルを取り込んで放出せねばならず、その精度は時間と共に悪くなっていく。誰だって長時間、物を持ち続ければ疲れるのと同じことだ。

 軋みを上げる結界の中、ハディを守るべく結界を展開し続けるダーナは、しかし疲労困憊で息も絶え絶え。それでも膝を屈しないのは、彼女の覚悟の強さか。


「こ、これ以上は……ハディだけでも、でも……」


 自分のために戦ってくれた男の子を見捨てることは出来ず、ダーナは汗を流しながら顔を歪めて息を吐く。

 その間にも、敵の手は止まってはくれない。

 後ろで頭を抱えて蹲っているトゥーセルカに、ダーナは叱咤の声を上げる。


「あ、アンタ……なにか無いの!? あのタカビー女に助けを求める方法とか……!!」

「こ、声を上げれば届くでしょうか……!?」

「バカ! こんな戦闘をしてても駆けつけてこないってことは傍に居ないってことよ! そんな程度で気づいてくれるわけ無いわよ!!」

「じゃ、じゃあ僕がハディくんを背負って……だ、駄目だよね? きっと僕らを狙いに来るに決まってるし……」

「魔法は……何でも良いから打開策は無いの!? せめて結界を強化するのとか……!」


 ダーナの叫びに、トゥーセルカは首を振るしかない。

 彼はずっと、攻撃の為に魔法を使ってこなかった。旅をしていても、キュレスタが雇っている戦いを得手としている護衛に囲まれ、危機に晒されることの方が少なかったのだ。なにより、彼の中で魔法とは、暴力のためにあるのではない。全て歌のためだ。


 しかし、そんな事を言ってもいられない。


 打開策を練ろうと威力のある魔法を使おうとするも、不慣れな彼ではこの元素が乱れに乱れた戦場で魔法を組み上げることなど出来なかった。ヴァルを集めるも精霊が応じてくれない現状、もはや打つ手はない。

 散り散りになってしまうヴァルを目前に、トゥーセルカは思わず呟く。


(……ま、またなのか? 僕は……また)


 脳裏に思い返すのは、以前の旅の途中。


 魔物の襲撃にトゥーセルカ達が襲われた際に、自らを庇って友が傷ついたのだ。魔物の前で腰を抜かして何も出来ないでいた自分と違い、負傷したキュレスタは果敢にも細剣を抜き払い、魔物を相手取っていた。それへ、トゥーセルカは言いようのない負い目を持った。


 友が傷つき、それで怒るでもなく恐怖で竦み上がり、何も出来なかった自分という存在が、酷く矮小に見えたのだ。心の底では歌を褒められて天狗になっていたのか、自分はこんなにも無力であると、改めて思い知らされた気がした。

 驕りが消えれば、自らの歌にも疑問を持った。

 人の心を揺さぶる音楽は、本当に自分の力なのだろうか。

 歌の才を与えたのは神であり、楽器を与えたのはあの麗人だ。

 世界に出るチャンスを持ってきたのは友であり、自分はただ流されるままに着いてきただけ。

 ならば、自分は? 自分はいったい、何を成した?

 まだ何も成せてはいない。

 ただ、自分にとって歌とはなにか、歌で何を成そうとしているのか。

 改めて問いかけられたような気がした。


(僕は……何をすればいい? 何を……何をしたい?)


 称賛が欲しいのではない。喝采が見たいのではない。

 ただ、自らは……貧困に喘ぐ家族を楽にさせようと、皆が褒めてくれた歌を武器に、場違いにも天族の歌唱祭に踊り出たのだ。そう、一番始めは、家族皆の為に歌ったのだ。


(……そうだ。歌は、僕にとっての……皆を楽しませる、幸せにする手段だった。農民として働くしか無い故郷で、皆が笑顔になるのはそれだけだった……)


 だが、今は?

 名声を得ようと歌い、喝采を欲する為に歌い、評判を落とさぬように気を使いながら歌い、家族へ仕送りをするために貴族の晩餐会で歌うのだ。

 背負うものが増えてくれば、それだけ初心から離れていく。そして何のために歌っていたのか、自分の目的がなんであったのか、わからなくなった。

 それが、トゥーセルカがスランプに陥った原因でもあった。

 自分は何のために歌うのか。その歌は、友が傷つくに値する程の代物なのか。

 自信を失った彼は、歌を歌うことに、恐れを抱いたのだ。


「恐れから逃げるのか?」

「っ!?」


 唐突な声に顔を上げれば、そこには横たわるハディが居る。

 しかしその瞳は開かれ、不可思議な虹彩がこちらを射抜いていた

 ハディらしからぬ低い声で、少年は続けた。


「恐れはお前を殺すだろう。恐れて後ろに下がった瞬間、虚無はお前を食い殺すだろう。己とすら戦わぬ者に、神は敗北を乗り越える機会すら、与えてはくれぬだろうからな」

「あ、あなたは……!?」

「己が心を誤魔化すな。偽りは歌を陰らせる。お前がもっとも信頼する歌こそが、お前の大きな魔法なのだ」

「歌が……? けれども、僕にそんな力……」

「自らの価値を早計に決めつけるな。お前の人生の価値は、死してから他人が付けるもの……生者が安易に決めて良い事ではない。貴様はまだここに居るではないか。……くそ! 何故虚無たる我が、定命の者などを励まさねばならぬのだ! それもこれも、この馬鹿のせいだ!」


 悪態つきつつ、レビはトゥーセルカへ指差し言った。


「いいかトゥーセルカ! 歌はお前にとって何なのだ!?」

「え、えっと……じ、人生の彩り?」

「それだけではあるまい。お前が祭りで歌を歌う時、確かに善き感情を放っていた。他者と共に歌い、踊り、興じたあの時、お前は楽しかったのではないか?」


 言われ、トゥーセルカは思い返した。

 歌を歌う時、皆が笑顔になれば彼も嬉しかったが、同じくらいに自分もまた歌うのが楽しかったのだと、ようやく思い出す。

 演者も楽しむ演奏こそが、笑いの最も大きなスパイスだ。


「……確かに、そうでした。僕は、歌うことも楽しかった。家族と一緒に飲んで、笑って、肩を組んで歌うのが、好きだった…………ああ、どうして忘れていたんだろう」


 トゥーセルカにとって、歌は笑顔の魔法なのだ。


 心の奥に追いやられていたそれを思い返し、トゥーセルカは両手を握って目を伏せた。

 歌いたいと、今は無性にそう思う。

 同時に、歌に何が出来る、という恐れの感情が囁いている。

 それでも彼は、友を、少女を守るために、心の奥底から湧き上がってきた確証の儘に、歌を紡ぐ決意をした。


 ようやく彼は、自らの一生を歌に捧げるという、強い強い覚悟を抱いたのだ。

 歌を止める時、それは自らが死んだ時のみ。

 ならば、最期まで詩人として、音楽を愛する輩として、抗ってみせよう、と。



 ………その時だ。



『よくぞ、覚悟を決めましたね。我が眷属よ』


 視界が不意に拓け、気づけば空の果てを飛んでいた。


 どこまでも広がる雄大な大地。水平線の見える大海。

 空が飛べぬ彼では、未だ見たことのない、天翔ける情景。

 大地を一望できるそこで、彼は顔の見えぬ誰かの声を聞く。


『覚悟は力を宿します。貴方は歌を力に変えると決めた。ならば、貴方の歌は、魔法となる。想いが、魔法となるのです』


 それは、原初の魔法。

 祈りが力となり、魔法という奇跡として世に現れた、人が抱いた想念の力。


 金色の輝きが大地に満ちて、荒野のそこから、凄まじい勢いで草木が成長し、あっという間に一つの大きな森になった。

 平原は花咲き乱れ、獣が大地を駆け回り、新しい命が芽生えてゆくのが見える。

 これは、原初の光景だろうか。


『世界は広いですよ。貴方が思うよりも、ずっと、ずっと……』


 不意に、傍に誰かが佇んでいたのに気がつく。

 白き衣を纏い、輝ける金の髪を背に流す、優美な姿の麗人。

 あの月夜の麗人とは違うが、その者は確かに、慈愛の笑みを浮かべていた。


『覚悟を力に変えなさい。さすれば、それは貴方に応えるでしょう』

「あのっ!? 貴方は、いったい……」

『我が名は、土神ガイゼルムンド。……さぁ、頑張って。私は貴方が生まれた時から、貴方を見守り続けています。我が子よ、自らの悪に心を委ねてはなりません。貴方は貴方の為に、謳い続けなさい』


 その言葉はスルリと心の袂に入り込み、トゥーセルカの中で小さな種火となった。



 …………はっと我に返れば、そこは先程と同じく、戦闘の真っ只中。


 眼の前のゾンビー融合体が、遂に結界をこじ開けようと手を入れ、激しいエネルギーの衝突と共に結界が弾け飛ぼうとしていた。


 それを目にして、トゥーセルカは目を伏せてから座り込み、背の楽器を抱いて、一回だけ掻き鳴らした。

 そして目を見開き、確信を持って爪弾く。


 ……その瞳は、黄の煌めきが宿っていた。



※※※



 ――場違いにも、戦場で音が響いた。



 軽く爪弾かれる弦の音色が場を駆け巡り、殺気立っていた空気を、確かに別のものへと変えたのだ。


「な、なんであるかっ!? 歌……!? 馬鹿な、こんな場所で、気でも触れたであるか!?」

「トゥーセルカさん……?」


 驚き戸惑う空気の中、トゥーセルカは外界の一切に反応すら示さず、楽器を掻き鳴らしている。


 それは、とても軽快でアップテンポな曲だ。

 どこか勇ましく、踊りを踊るかのようにクルクルと回る音の調べ。


 トゥーセルカは口を開き、歌を唄う。

 弾むように、強い抑揚をつけて。


 言うなれば、酒場で酔っ払いが拳を振り上げて唄うような、どこか無骨ながらも底抜けに明るく、新しい明日が希望に満ち溢れたかのような。

 自らの殻を破り、新たな仕事に挑戦し、自分の未来を掴み取る。

 あくせく日々を生きる、普通の人のが笑って明日を生きられるようにと願う歌だ。


 ……その調べが響き渡っていた最中、不意にゾンビー融合体が動きを止めて蠢いた。

 苦しむように頭……らしき場所を押さえ、次いで、天を仰いで声を発する。


 その異様な行動に、結界が解けて地べたに座り込んでいたダーナが、呆然と呟く。


「な、なに!? 何が起こってるの……?」

「……なんと、これは……精神操作か!?」


 レビは察した。

 虚無である彼だからこそ、気づいた。

 トゥーセルカの歌には、奇跡が宿っている。

 そしてそれは、聞くものの精神を操る、神の如き力なのだ。


「馬鹿な……精神操作は神の力でしか行えぬ。自然力では不可能だからだ。つまり、あの男……覚醒したのか!?」


 レビの目には、トゥーセルカの魂が眩く光り輝いているのを感じていた。


 時として、この世の魂は生きていく中で魂が練磨され、その魂の格が上がることがある。

 今まさに、トゥーセルカの魂の格が上がったのだろう。そして格の高い魂は、神の力によって恩恵を与えられることがある。祝福とか奇跡とか、そういう代物。

 だがトゥーセルカが与えられた物は、一部の神の力を行使する為の権限。

 すなわち、半神化。


「現人神にしおったか……土の神め。大層なことを」


 歌限定だが、神の如き力を振るえるそれは、まさに神の如き御業。

 現人神となった詩人は、黄の瞳で詩を紡ぐ。

 それは場を支配し、全ての者が釘付けになっていた。

 当然、それは味方のみならず、敵方も同じだ。


「……ぐぐぐ……な、なんであるか? この音は……! き、気味の悪い……!! ゾンビー融合体! 何をしているであるか!? そやつをさっさと殺してしまうのである!!」


 クレイビーの命令に、ゾンビーは思い出したように動き出すが、すぐに止まってまた天を仰いで声を上げている。

 それを見て、ケルトは思わず可笑しくなって笑ってしまった。


「……はははっ、なん、ですかね……これは! ああ! なぜだかわかりませんが……ひどく楽しい気分ですっ!」


 笑うケルトの触発されたように、次にダーナが笑い出す。同じように、ゾンビー融合体も呵々大笑するように天を仰ぎ、笑うような咆哮を上げているのである。


 ……トゥーセルカの覚悟を籠めた歌。

 それは、聞く者を強制的に「楽しい気分」にさせる効果の歌なのだ。戦場であろうと悲しみにくれる葬儀場であろうと、この歌を聞く者はなぜだか無性に笑い出してしまう、別の意味で恐ろしい力なのである。

 戦いへ至らせない空気、それはある意味、どの魔法よりも強力だ。


 何故か笑いに包まれる戦場で、導士クレイビーだけはギリギリと歯を噛み慣らしながら、両耳を塞いで耐えている。


「くくっ……! こ、この、珍妙な技を使うのである! な、ならば我輩がじきじきに……!!」


 呪文を唱え、魔法を行使する。

 しかし、


「……なぬぅっ!? 魔法が……発動せぬ!?」


 何も起こらない現状に驚愕の眼差しを向けていれば、起き上がったレビが言った。


「はっはっは! 諦めろクレイビー! 精神操作魔法が、お前の呪文式に入り込んで絶えず邪魔をしているのだ。いわば、音による魔法攻撃そのものだからな!」

「ぬぐっ!? 対抗されているという事であるか……! ならば、こちらも対抗で……!!」


 しかし、今の導士では対抗呪文がわからない。相手の魔法が理解できないのだから当然だ。既存の魔法ならば、なんであっても導士は即座に対抗できる自信があるが、今回ばかりは勝手が違う。しかも「時の力」という膨大なエネルギーを用いたその歌は、対抗するだけで莫大な集中力を必要とする。更に与えられる精神攻撃が、その集中の邪魔をするのである。


「くっ……くくぅっ!! い、忌々しいである! この精霊風情が……我輩を翻弄するか!!」

「はははっ! なんだ随分と手こずっておるではないか、同輩! 先程までの余裕ヅラはどこへ行ったのだ!?」

「お主こそ仮にも虚無でありながら何故に笑っているのだ!? 虚無の眷属である誇りは無いであるか!?」

「くはははっ! なんだ、眷属とは気障ったらしい言い方ではないか! 所詮はただの使いっぱしりであろうに!」

「だまらっしゃい!!……ううっ! くそ、我輩は…………こんな感情などもう必要ないのだっ!」


 精神攻撃に疲労困憊しているクレイビーが苦しむが、あいにくと見ているケルトも疲労困憊で笑っているので攻撃ができない。良くも悪くも聞く者全てに効果を与えるので、攻撃すらできなくなるのが欠点であった。


 そして、硬直していた場を破ったのは、新たな声だった。


「『第5の土精! 範囲、満ちて、縛り、及ぼせ!』アマネシュト・クィ・エマ・ラダ・ムンダス!」


 瞬間、クレイビーの足元に黄の魔法陣が展開され、一瞬で導士は輝ける鎖によって束縛されてしまった。

 驚愕する導士を尻目に、更に追尾魔法で運ばれた薬瓶が過たず陣の頭上で割れ、中身だけ結界を通って中に降り注いだ。


「な、何であるか!? 薬……錬金術か!!」

「ご明察ですわ」


 振り向けば、木立の向こうから静かにやってくるのは、黒髪ドリルのメルサディールである。どこか不機嫌そうに、杖を構えて言い放つ。


「頭の宜しそうな貴方なら、おわかりになられるかしら? アタクシが何を放ったのか」

「……この色と匂い、結界強化の霊薬であるか」

「あら、薬草の扱いは手慣れていらっしゃるみたいね。その通りですわ。更に」


 メルサディールは杖をトンっと付いて、自らの足元に魔法陣を仕掛け、その上に別の霊薬を撒き散らした。


「お聞きなさい、我が声を! 我はメルサディール! 盟約に従い、我が元へ姿を現しなさい!」


 声に触発するように、逆巻く炎が陣から出現し、それは人型となってメルサディールの周囲に浮かんだ。

 燃え盛る人型、それは可視化された精霊である。

 更に精霊は霊薬を媒介に次々と召喚され、遂には6属性すべての精霊が出現する。

 燃え盛る火精。

 水のように半透明な水精。

 緑色の煌めく旋風を起こす風精。

 木と蔓で象られた土精。

 輝ける光精に、影の蟠る闇精。

 全属性の精霊は、一体だけでも容易ならざる力を有する。


「錬金術の真髄は、何も魔法道具を作成する事だけではありませんわよ? 精霊を呼び出す事も可能なのが、この分野なのですから」

「錬金術の、精霊召喚であると……!? ば、馬鹿な!? 精霊召喚など、どの分野でも未だに成功例が無かったはずであるのに……新たなる分野と聞いていたが、まさかここまでとは! ……くっ、我輩とした事が乗り遅れたのか!? なんということであるっ!? 魔法分野で遅れを取るなど言語道断! ああ! 我輩のアホンダラ!? 何故にもっと早く錬金術に興味を持たなかったのであろうかあぁぁ!?」

「……貴方、魔法マニアの研究者ですわね? なんというか、そういう感じの人を良く見ましたわ……学園で」

「学園!? あの無能共の溜まり場のような場所の錬金術師といえば……なんと、お主は……勇者か!!」

「ええ、そうですわ。見たところ、貴方は魔物によく似た気配をしていらっしゃる……つまり、アタクシにとっての敵ですわね」


 杖を差し向けるメルサディールの瞳は、常と違って強い覇気を感じさせる。

 すなわち、勇者の瞳。

 その瞳に、クレイビーは気後れしたように後ずさり、思わず地面を見た。


「く、くくくっ……今代の勇者は戦闘が苦手と聞いていたが……なかなかどうして、手慣れておるな!」

「これでも、歴代勇者よりは弱いらしいですわよ。けれども、アタクシは歴代のどの勇者にも負けない力がありますわ。そう、この世でアタクシに癒せぬ怪我はありませんわ!」


 メルサディールは広範囲の魔法陣を広げ、次いで放り投げた薬瓶が砕ければ、それはたちまちの内に戦場全てに行き渡る。

 すると、その範囲内に居た者たち、ハディ、ケルト、ダーナ、トゥーセルカは、体中の怪我がたちまちの内に癒やされ、体の不調どころか精神力すらも回復したのだ。

 煙を発しながら断ち切れた片腕が再生する中、気絶していたハディが目を覚ます。


「……う、俺は……いったい?」

『なんだ、気がついたのか。もう少し寝ていれば良いものを』

「レビ?……これはいったいどうしたんだ?」


 レビが気がついたハディに説明している間に、メルサディールは音楽を聞きながら微笑んだ。


「素敵な音色ですわね。やはり、アタクシの直感は正しかったようですわ…………さて、虚無の者よ、ここが年貢の収め時ですわね」

「……くっ……何故、お主は歌の影響を受けぬであるか?」

「勇者は生来、魔法抵抗が強くありますのよ。これくらいなら、さして行動に支障は出ませんもの」

「ええい不公平な!……主も何故に我らにもっと力を与えてくれなかったのやら、それならもっと苦労せずに我輩も……」

「なにをブツブツ仰っておられるのかしら? 貴方はもう袋のネズミ。おとなしく投降されてはいかが? さもなくば」


 メルの言葉に、精霊たちが各々で攻撃の準備を始める。

 精霊が扱うそれは、魔法によく似た原初の力。そして、魔法にすら比肩する威力。

 あんなのに一斉掃射されてしまえば、塵も残らず消失してしまうだろう。

 それがわかっていたから、クレイビーは引きつった顔のまま両手を上げ、拗ねたように足で地面を蹴った。


「なるほど、今のままではその精霊すら食えぬようだ。ならば、今回は我輩の負けのようであるなぁ……流石は勇者、忌々しき神の使い。厄介極まりないである」

「あら、諦めまして?」

「左様、諦めよう。お主らをここで食らうことは、今は、諦めよう。…………だが!」


 次の瞬間、クレイビーは魔法を行使した。


「我、実行者たる虚無が命ず!」

「無駄ですわ! その陣の中では如何なる魔法も行使できない!」

「甘いであるぞ! ならば陣に手を加えれぬようにすべきであったなぁ勇者よ!!」

「なんですって……!?」


 メルサディールは魔法陣を見た。

 なんと、クレイビーは足先で魔法を操り、密かに陣を書き換えていたのだ。

 当然、ただ線を消すだけでは陣は消えない。解呪の印を正しき位置に刻まねば不可能だ。そして魔法陣は使い手の呪文構成によって多様に変わる。それをほんの僅かな時間で読み解き、解呪したのだ。


 クレイビーが両手を地面に着ければ、次いで激しい明滅と同時に陣が吹き飛ぶように散った。

 次いで赤と黄の魔法陣が出現して炎が飛び出て、そのまま地面に潜り込んで消える。


「っ!!」


 ―― 土精の力で土に潜った炎が地中を移動し、奇襲を仕掛ける二重呪文。


 そう看過したメルサディールは、直感に従う儘に小瓶を投擲した。


「……うわぁっ!?」


 炎が現れたのは、トゥーセルカの眼の前だった。

 彼に迫る炎の前に、メルの放った小瓶が割れ、中の霊薬は水の壁となって炎を蒸気と共に消し去った。


「げはっ……く、二重呪文は得意ではないが……歌は消えたである! ゾンビー融合体! そいつらを叩き潰すであーる!」

「くっ! 逃しは……」

「おっと良いのであるかぁ!? お仲間が死んでしまうかもしれぬであるぞ!」

「っ!!」


 再び動きを開始したゾンビー融合体は、ギロリと眼下の者たちを睥睨した。

 ダーナとトゥーセルカは立てず、思わず立ちすくんだ。

 そしてゾンビーが巨大な腕を振り上げる……その時、一瞬だけゾンビーが硬直し、


マ・フレム(炎よ纏え)!!」

「はああぁぁぁっ!!!」


 ケルトが放った魔法がハディの剣に宿り、少年は地を蹴ってゾンビー融合体に突撃し、その剣で切り裂いたのだ。

 鋭い切れ味を見せた剣は、ゾンビーの頑丈な皮膚を容易く切り分け、次いで魔法の効果により、徐々に体躯が燃え盛り、地響きを立てながら崩れ落ちた。


「……まったく、逃してしまいましたわね」


 同じく、無詠唱の束縛魔法を放っていたメルサディールは、杖を下ろしてため息を吐く。

 導士には逃げられてしまったようだ。既に影も形もない。


「……嫌な予感がしますわね。逃がすべきではありませんでしたわ」


 嘆息するも、後の祭り。直感が警鐘を鳴らしても、どうしようもないこともある。

 疲れたように地面へ崩れ落ちたハディに、ダーナとケルトが駆け寄って大いに心配している。トゥーセルカも精神力を使い果たしたのか、地面に伸びていた。

 それに肩を竦めながら、メルサディールはほほ笑みを浮かべた。


「ま、仕方がありませんわね。皆の成長で、チャラと思いましょうかしら」


 その微笑みは、後輩の成長を見守る先輩のような表情だった。


「うぅ……さ、流石に今回は死ぬかと思った……ってうぇえっ!?」

「だ、大丈夫なのアンタ!? 腕は!? 傷はっ!? あぁっ血がこんなにいっぱいっ!? こんな場所で物騒な死に方しないでよねっ!!」

「あの、お嬢さん、首根っこ掴んで揺さぶるのは止めてあげて下さい。本当に死にますよ」


 狂乱するダーナをケルトが宥め、ガックガック揺れていたハディが解放されて一息ついていた時。


 ……ふと、ハディは気がつく。


 燃えて倒れ伏したゾンビーが徐々に朽ち、肉塊が白い粒子となって解けていくのだ。

 ……魔物は、一部を残して身体が消える。このゾンビーも、一部を残して存在が溶けて消えていくのだろう。

 ハディは立ち上がって、ゾンビーを見つめた。

 敵とは言え、これも人間だった存在だ。魔物に侵され、自我すら持たなくさせられた、哀れな犠牲者。こいつらが悪人であったとしても、このような結末を与えられるほどの悪人だったのだろうか?


 不意に、ゾンビーの解けていく身体の中から、僅かに人の顔が見えた。

 肉塊の中に埋もれていた人間……葉巻の男だ。

 男は、微かに瞳を動かして、ハディを見た。

 ハディも、消えゆく男を見つめた。その最期を見逃すまいと。

 男は一度、口をゆっくりと動かし……、


「……さ……む、い……」


 最期にそう呟き、そのまま炎と共に、光となって消えていった……。


 そして残ったのは、一つの石だ。

 この石が魔物の残す一部。魔物の核であるとされ、一般には魔核と呼称されている代物。

 僅かに白く輝くそれを手に取り、ハディはギュッと両手でそれを握りしめた。

 僅かな温かみ……命を奪った感覚だ。


 これをずっと覚えていこう。

 ハディはそう、思ったのだ。


「……ハディ、ケルト、トゥーセルカ様も。ご無事かしら?」


 そんな彼へ、メルサディールが声を掛ける。どこか労るかのような声色だ。


「ああ、メル姉……うん、助かったよ。本当にありがとな」

「ちょ、ちょっと、アタシには声を掛けないの? ひどい目にあったのはアタシなのに!」

「あら、いらっしゃったの? ダーナ。てっきり逃げ隠れしているとばかり」

「な、な、なによその態度!? このタカビー女! 昔から思ってたけど性格最悪なんだからっ!!」

「あぁら? 元悪役令嬢にはむしろ褒め言葉ですわねー! オーホッホッホッ!」

「む、ムカつくっ! また腐った卵投げつけてやるわよっ!!」


「……んで、終わったのかよ?」


 木立の上から軽い様子でネセレが降ってきた。ボリボリと頭を掻きながら不機嫌そうだ。

 そんなやる気のない盗賊へ、メルサディールが憤慨したように言う。


「ネセレ、あなた結局なにもなさらなかったじゃない! せめてもう少し援護というものをですね……」

「うるっせぇ! アタイは援護なんて柄じゃねーんだよ! ……そもそもあのナマズ髭、アタイにも気づいてやがったし。最後に放ったナイフも全部躱しやがった。ぜってぇに当たるタイミングだったってのに……ちっ!」


 何も出来なかった事が不満なのか、それとも攻撃が外れたことが腹立たしいのか。

 やはり、あの導士。一筋縄ではいかない相手のようであった。


 ともあれ、各人の間で治療を行い、ようやく激闘の緊張から解放された事を互いに喜びあった。

 その最中、ハディがポツリと呟く。


「あの爺さん、強かったよな……かなり」

「……そうですわね。人間としては、かなりの手練であるとは思います。それに、まだ奥の手を隠していらっしゃるようでしたし」

「えっ! そうなのですか……?」

「アタクシの勘ですけどもね。このまま相対すれば、きっとこちらも手痛い被害を受けたかもしれません。……まあ、おじい様さえ居れば問題はなかったのですけども。ええ、おじい様『さえ』居れば!」


 なんだか怒り心頭なメルに、ケルトとハディは顔を見合わせる。当のカロンはどこで道草を食っているのやら。

 と、そこでシュンッ! と魔法の音が響いた。聞き慣れた、転移魔法だ。


「なんだ、私の噂話しでもしていたのか?」

「この声は……おじい様!? いったいどこをほっつき歩いていらっしゃったのかしら!? 今度という今度こそ容赦は……!!」


 怒りながら振り向いたメルは、しかし思わずポカンとした。


 ……転移で現れたカロンは、しかし右腕が無かったのだ。


「いやはや、なかなか厄介な敵が出来たものだ」


 そう言い、カロンは不敵にニヤリと笑った。



※※※


【魔核について

 魔物を構成する中心部、すなわち人間で言う心臓に該当する部位こそが魔核である。見た目は美しい石で、加工出来ることから魔核を宝石として着飾る者もいるようだが、言うまでもなく悪趣味とみられるのが一般的である。誰が好き好んで人間を食べる存在の一部で着飾るというのか。


 さて、この宝石は魔物の種類によって様々な色合いを出し、石内部には潤沢なヴァルが籠められている場合が多い。これは、魔物が僅かながらもヴァルを食べる性質があることが要因ではないか、と最近の研究で明らかになっている。魔物はヴァルや精霊を喰らい、それを魔核内部にエネルギーとして貯蓄しているのだ。それを溜めてどうするのかまでは解明されていないが、魔物が扱う超常の力……火を吹いたり空を飛んだりする為に貯蓄されているのではないか、との説が一般的だ。

 ただし、それでは放置した魔核からヴァルがどこかへ抜け出ていく現象に説明がつかない。魔物から取り出された魔核を観察したところ、魔核からヴァルが放出されるような現象は見つからなかった。つまり、魔核内部のヴァルは何処かへと消失しているのだ。それがどこなのか、確たる論拠は未だに出てきていない。

エルベン・マグリル著「世界の不思議物質辞典」より】




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