歳取ると本当に涙腺緩くなるよね
「えぇ、それではトンコー様にお会いいたしますけども……くれぐれも! 粗相のなきようにお願い致しますよ! くれぐれも!!」
はいはい、と適当にシェロスの言葉を躱しつつ、我ら一行はトンコー女史の豪邸へと赴いていた。
流石にネセレは宿に置いてきた。今頃、不貞腐れながらエールでも呷ってることだろう。ま、英雄のゲッシュも見てるし心配はいらんさ。
トンコー女史の豪邸だが、これまた豪邸と言う通りに凄まじい家だ。
いわゆる、大理石っぽい石材で組まれたギリシャ風な家屋……家屋? むしろ美術館だと言われたほうが納得できるわ。で、石材には模様があるんだけど、変わったことに微かに線状に発光してて、夜見れば静かなネオンに見えるかも知れんな。つまりは、派手だ。典型的な天族の建築様式だなぁ。
使用人に案内されて入った中も凄い。我が魂の故郷で言う高級ホテルレベルの内装で、広々としたホールの真ん中には噴水が鎮座し、その左右から二階に向けて曲線を描く階段が続いている。飾られているタペストリーは、始祖サレンを象った刺繍がされていて見事に美しく、他には如何にも伝説っぽい鎧や魔導書が展示室さながらに置かれているのだが、不思議と下品には感じさせないのである。ほら、悪い金持ちのイメージによくありそうな金ピカな壺とか、そんなのは一切ない。地味な物も多いのだが保管状態は非常に良い。ううん、確かにコレクターなんだなぁ、と見ていて思う。
美術館風ホールを見て、流石に庶民代表なハディは気後れしているようだが、皇族と貴族出身の二人は平然としている。慣れてるな二人共。……え、私? 神界のキラキラッとした神秘性丸出しな光景に慣れてれば、なんてこと無い。
で、通されたのは来賓用の部屋らしく、これまた広々としていて窓が大きく開放感がある。絨毯も弾力があって柔らかく、置かれているソファの座り心地も非常に良い。確実に日本の一般人が持つ家具より豪華なんじゃないの? 金かけてそう。
待っている間に給仕の人が出すお茶も美味しくてね~、更にワゴンで運んできたのは焼き菓子だ。そして甘い! 甘味が貴重なこの世界では珍しいことに、すんげぇ甘くて美味しいと感じられるのだ!
いやさ、日本なら砂糖なんてあったりまえだけども、この世界では砂糖の精製はまだまだ発展途上。よくて蜂蜜がお高い嗜好品として貴族の間に流通してるくらいよ。で、私もこっちに来てから甘味はあんまり食べてなかったので、久方ぶりに食べたそれに、なんだかノスタルジックな気分になったのだ。しみじみしてしまったぞ。
なお、ハディは驚いた顔してからバクバク食べてる。流石、庶民代表。たくさん食っとけよ。お茶も紅茶っぽい色合いで、風味もそれに近く砂糖も自由。うう~ん、コーヒーも良いんだけど、紅茶も良いなぁ。でもコーヒーってこの世界にはあったっけ?……まだ無いっぽい。なんだつまらぬ。
さて、そんな感じで緊張気味なシェロスを除いてゆったり過ごしていると、ゴロゴロと奥の移動式の壁が取っ払われて、なんかでっけぇ台車が入ってきた。で、それが中央、我らのちょっと離れた場所に鎮座すると同時に、部屋のカーテンが一斉に締められ暗くなる。なんじゃなんじゃ?
と、そこでどこからかコーラスが聞こえてきた。
合唱っぽいそれに歌詞はないが、まさに演出用って感じの音色。なんだ、何が始まるん?
「長らくお待たせしました。トンコー様のご入場でございます」
執事さんの言葉と同時に、どこからか声が響いてくる。
「妾の言いつけどおりに、確かに宝玉を持ってきたようざますねぇ、シェロスや」
「は……ははっ! トンコー様!」
熟女っぽい、艶やかな声色だな。シェロス氏は完全に萎縮して誰も居ない舞台に頭下げてる。どこ下げてんの?
すると、コーラスが佳境に入ったのか、徐々に盛り上がってまいりました。
次いで、ゴロゴロゴロという妙な異音。それから床に広がるスモーク。
その異様な空間に響くのは、トンコー女史らしき声。
「そして妾が屋敷に足を踏み入れる権利を得た、幸運な冒険者とはそこの者達ざます? なんとも運の良い事よのぅ、世界一の大富豪の屋敷に招かれるなど、平民では一生かかっても二度と無い機会ざます。そう、この妾こそが……」
ゴロゴロゴロと舞台中央が迫り上がり、何か大きな影が現れ…、
バッバッバッ! とスポットライトみたいな光が舞台に当たり、その姿が露わになった。
「妾こそがこの世界でもっとも美しく! もっとも金持ちである! ルルネスタ・ラケル・トンコーざまぁすっ!!」
パンパカパーン! とファンファーレと同時に現れ出でたるのは、凄まじい巨漢の熟女だったぁ! でかい!! 天族っぽい翼が背中にあるけどそれが小さく見えるほどにでかーい!!
…………あれ、ボス戦かな?(錯乱)
なんだこの異様な登場シーンは、ボスか、ボスだなアンタ。ほら、ケルトもハディも呆然として顔引き攣ってる。うん、気持ちはわかる。
ところが、メルメルだけは平然としていて、やおら立ち上がってお辞儀した。
「お久しぶりですわね、トンコーおばさま」
「……んん? アータは……んまぁぁ!? なんとメルサディール殿下ざますね!? なんと久しぶりざましょう!? 来るなら来ると言っていただければ良かったのにぃ! もっと盛大な出迎えを致しましたざます!」
コレ以上に盛大ってなんだ、何をするんだ。
しかし、ものすんげぇ巨漢だな。玉座の方が小さく見えるし、メルメルの3倍以上の横幅はあるし、扇子持ってる手はまさに豚足だし……トンコー……そうか、豚子だな! わかった! これからはそう呼ぶ!!
そういうわけで、豚子女史の盛大な出迎えを受けてから、我らは目的の宝玉を彼女へと渡した。なお、ネセレの件に関しては曖昧に笑うだけで黙っておく。嘘は嫌いだからね、沈黙は美徳なのだよ。
「まぁ! なんと美しい宝玉……これが邪神事変より以前のお宝なんざますねぇ! 確かに輝きが他のものとは別物ざます!」
うっとりと宝玉を愛でる豚子女史へ、ハディが首を傾げている。
「邪神事変……って、なんだ?」
「は、ハディ! できれば敬語を……」
「良いざます。妾は子供には寛容なんざますよ。なんと言っても世界一の美しさを持つこの妾だから、心根も美しいざまーす!」
「ふ~ん、美しさは俺にはわからないけど、ありがとな! おねーさん!」
おっとぉハディ、なかなかやるねー君。おだてられて豚子女史が高笑いしてるし。っていうか、含みは無さそうだから天然発言だな、アレは。
扇子パタパタする豚子女史は、楽しげにハディへ答えている。
「そうそう、美しき妾が特別に教えてあげちゃうざます! 邪神事変というのは、100年前のルドラ神の手によって引き起こされた、未曾有の大厄災の事を差すざます。唐突に人類の半数以上が一瞬で消滅させられた、まさに悪夢のような日だった、と。それからしばらくの間、人々の生きる気力は失われ、生活圏を失い、世界中の統治が滅茶苦茶になった……そう、時代はまさに暗黒期に突入していたざます! だからこそ、その暗黒時代を制覇した妾は世界一の富豪になれたのざまーす!」
「そんな凄いことがあったのか……ルドラってのは怖い神様なんだな。想像するだけで恐ろしいな」
「ええ、まったくですわね」
「本当に同意ですね」
おいこら最後の二人、こっち見ながら言うんじゃない。不可抗力だっての。
「それで、その邪神事変より以前の魔法アイテムはアーティファクトと呼ばれ、価値が高くなっているざます。なんと言っても、人類が劇的に衰退した事変だったざますから、本に残されていない様々な魔法・技術の知識が全て遺失されてしまったざます。この宝玉もその遺失されたアーティファクトの一種ざますね」
マジかよ、そんな事になってんの。私、その頃はちょっとグレて引き篭もってたから、あんまり知らないのよね。
某番組のパネリストみたいに「1へぇ」してるハディは、まじまじと宝玉を見てる。
「すっごい値打ち物なんだなぁ。それじゃ、かなり高いんだろ?」
「妾の見立てでは、金貨50~100枚以上ざますね。ディタ・シェロス、これは確かザーレド大陸のリオ族の集落の遺構で発見されたざますね?」
「ええ、ご存知のとおりです。冒険者がこれを見つけて、我が商会に売りに来たのです」
はぁ、つまり獣種の魔法士の作品か。獣種は魔法適正がほぼ無いから、ひょっとしたら田人かもしれんな。
なお、『ディタ』というのは翼種の言語で『Mr.』に近い意味である。女性だと『ディトリ』ね。
「へぇ~、それじゃ、これをたくさん集めてるトンコーさんって、すっごいんだなぁ」
「おひょ~ほっほっほっ! 当然ざます! 何故なら、妾は世界一の美しさを持つ大富豪ルルネスタ・ラケル・トンコーざまーす!!」
「でもさ、それじゃ依頼が完遂出来なかった商会を潰してるってのは、なんでなんだ? なんかさ、イメージが違うっていうか」
「おひょ?」
おう、ハディや。君って空気読まないタイプの子供なんじゃな。ほら、シェロス氏が顔面蒼白になってるし。
それに追従するようにメルも眉を潜めている。
「アタクシも同じことを思いましてよ、おばさま。アタクシは以前の旅の途中、おばさまにはとてもお世話になりましたわ。だから不思議でしたの。随分な言われようですわって」
「…………ほっほっほ! なるほどなるほど、そういう部分ではまだまだ子供ざますねぇ、メルサディール殿下」
「それは、どういう意味ですの?」
豚子女史は、パチンっと扇子を畳んでから、ニヤリと笑みを浮かべた。
ちょっと! ニヤリ笑いは私の特権ですよ!
「世界一の美しさと富を持つ妾には、敵が多いざます。同じように、要らぬ嫉妬と悪意を受けるのも世の常。そして、集ってくる者の中には虫も多い」
「虫、とは?」
「ふむ、金銭目的の使用人、悪評を流そうとする商売敵、そんなところかね?」
「概ね、その通りざます」
「どういうことだ? 爺さん」
「ようは、シェロス氏をぶん殴った使用人のように、品の無い非常識な人間も数多く寄って来るのだろう。普通、商談相手に殴りかかるなど言語道断。で、実際に殴ったってことは、そういう性質の使用人だったということだ。……ちなみに豚子女史、シェロス氏が盗賊に宝玉を盗まれてたのは、既に知っていたな?」
「ええっ!?」
「あーら、随分と察しの良いご老人ざますねぇ」
ほら、セオリー通り。この手のお金持ちは有能だって相場が決まってるもの……え、根拠は勘かって? 勘に決まってんじゃん(開き直り)
「妾は世界一美しい、世界一の富豪。ならば、使用人とは妾の手足にして妾そのものと言っても差し支えは無いざます。その手足に乱暴狼藉を働くような不適格な者が居れば、適当に理由をつけて放逐すべきなのは決まりきっていること。妾は使用人の主人ざますからねぇ」
ははあ、それもそうだ。つまり、クビにする理由を捻り出すためにシェロス氏へ使いに出したのか。
まあお金持ち同士の付き合いってあるし、使用人にしてくれ、とかお得意さんに言われれば断れないんだろうね。その手の問題児か。たぶん、あらかじめ釘でも刺してたんじゃないね。「持って帰って来れなきゃわかってんな?」みたいな。
で、使用人とはこの世界では主人の所有物の一つで、人権は無いが主人にとってはステータスの一つにもなる重要な存在だ。その所有物の監督も、主人の仕事って事か。っていうか、出汁に使われたシェロス氏が可哀想じゃん、ほら、乾いた笑いで遠い目してるし。
じゃ、「持っていかなきゃ一家離散で首くくる」ってのはただの風評被害かね。
「妾に敵対した愚かな連中は、みーんなひどい目にあったざます。当然、妾の富を横取りしようとしただけでは飽き足らず、妾や使用人に手を出そうとした連中も多い。だから、そういう手合いの連中には容赦しなかったざます」
苛烈な人のようだ。だからこそ世界一なんだろう。
「ともあれ、依頼は無事に成功ざますね。ディタ・シェロスにはしっかりと色を付けて報酬を払っておくざます。後はいろいろな便宜も」
「は、はいっ! ありがとうございます!!」
「それと、宝玉を取り戻してきてくれたアータ達にも、何か報酬を渡してあげちゃうざます。さ、何が良いざますか? 何でも言って構わないざます」
おっとぉ、太っ腹な豚子女史。文字通り外見も太っ腹だが。
ところがどっこい、それにはハディが手を振った。
「いや、いいよ。だって俺達はトンコーさんから依頼を受けたわけじゃ無いし。それに報酬はシェロスさんからきっちり貰うから、お構いなく」
ハディ、無欲だなぁ君は。子供だからかね。
で、豚子女史はなんか感心したようにウンウンと頷いている。世界一の富豪の報酬を拒否するって失礼に当たるかも知れないが、この女性に関してはこの対応が正しいだろう。
「見上げた子供ざますね! 妾は謙虚は好きざます! 翼種では謙虚さと節制は美徳とされているざますから、実に気に入ったざます! なら、いつでも妾の屋敷を尋ねる許可を与えるざます! この世界一美しい妾がアータ達の話し相手になっちゃうざます! 嬉しいざましょう?」
「お、そっか! ありがとな! それじゃ、またお菓子食べに来てもいいか?」
「構わないざます! 次はもっと美味しいメルディニマの珍味をご馳走しちゃうざまーす!」
高笑いの豚子女史、とてもごきげん。
ハディや、君って年上キラー?
・・・・・・・・・
「ああ、ちょっとお待ちざます。そこのご老人」
さて、豚子女史のお茶会から辞する間際、何やら私だけ引き止められた。
皆が出ていく最中、私は何事かと豚子女史に向き直れば、豚子女史は手を振って周囲の使用人を下がらせた。
で、我らだけの部屋の中、豚子女史は私に席を勧めてから、なんと頭を下げたのだ。
「お久しぶりでございます、冥府を支配されし御方よ」
※※※
「ほぅ、私の正体を察していたのか」
老人はニヤリと笑い、トンコーを見下ろした。
その視線に、トンコーは空恐ろしい気持ちになりながらも、しかし百戦錬磨の精神で平然と向き直った。
「ええ、一目見た時から、貴方様の気配には気づいておりました。その巨大な魂の威圧感は、違えようが御座いません」
「ほうほう、面白い、面白いなぁ」
老人の笑みは深くなり、目を細めて睥睨する。
相手はこちらを一瞬で消滅できる存在、神の頂に座る一柱だ。下手な発言は消失と同義。
故に、トンコーは細心の注意を払って続けた。
「妾はかつて、貴方様の手によって死して転生した魂でございます。貴方様のお蔭で、こうして世の栄光を謳歌することが出来ました。感謝の念に堪えませぬ」
「……なるほど、前世の記憶持ちだったか」
老人の言う通り、トンコーには前世の記憶がある。
前世では、トンコーは人種の商人だった。そこそこに大きな商会を持ち、そこそこに手広い商売を広げ、世界にシェアを拡大させていた、やり手の商人の一人だった。その人生も、あまりにも唐突に奪われてしまったのだが。
だが、彼女は再起した。記憶が蘇ったのは、物心ついてすぐ。富豪であった両親の後押しもあって、彼女は再び一から商会を立て上げ、無気力で荒廃していた世界へその手を広げていった。前世の記憶と経験が販路をスムーズに獲得させ、人手が足りずに野ざらしになっていた商品を根こそぎ奪い去っていったのだ。だからこそ、彼女は世界一の富豪にのし上がることが出来た。
もっとも、全てが前世と同じわけではない。性別は違ったし、種族も違うし、ついでに性格も大きく変わった。それでも、今の彼女は前世の商人ではなく、トンコーという一人の翼種の女性として、現状を受け入れていたのだ。
トンコーは老人に畏敬の眼差しを向けてから、口を開いた。
「今一度、感謝の言葉を述べたかったのです。始祖ヴァルスの言葉を聞き、妾は貴方様を責めた自らを恥じました。前世で商人として生きた中で、古代の人々、特に人種は貴方様の擁護下にあったとの記録が多く残されていました。その貴方様が、無為に自らの子らを殺めるわけが無かったのだと。その考えに至らなかった自らの浅慮さに、妾は忸怩たる想いを抱いたのございます」
その言葉に、老人は何も言わない。
トンコーは頭を下げ、老人へ拝礼を行う。
「世界をお救い下さって、有難うございました、ルドラ様」
「……頭を上げなさい」
老人は小さな、とても小さな笑みを浮かべてから、優しい口調で言ったのだ。
「世界を救うのは、我ら神の仕事。それに巻き込んでしまったのは、すまないとは思っているのだよ、トンコー。そして、お前のように神を理解してくれる者が居るのならば、それに勝る喜びは無い。こちらこそ、感謝を述べたい」
「い、いえ、そんな畏れ多い! 妾は……新たなる生という機会を与えてくださったことに、感謝しております。あのまま何もせず、秘匿したまま転生させてしまったほうが貴方様にとっては楽だったはず。それをせず、貴方は妾達に全てを告げてくださった。あらゆる罵詈雑言に晒されながらも。……転生してから、妾は思いましたわ。貴方様が神で良かった、と」
トンコーの言葉に、老人は静かに黙したまま瞑目し、天を仰いで大きなため息を吐いた。
「世界が、お前のような者達ばかりならば、良かったのにな」




