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どうも、邪神です  作者: 満月丸
冒険者編
32/120

第一関門突破

 ケルティオ・アレギシセルという青年にとって、人生とは諦めの連続であった。


 魔法大家の一族に生まれ、魔法を扱えるのは当然な事と言われながら育った。5歳までに初歩魔法を扱えるよう教育され、努力を重ねてきた。だがしかし、魔法の暴発を繰り返す彼という存在は、彼の一族にとっては甚だしい汚点として映ったようだ。


「なんと不甲斐ない。魔法一つ扱えんとは、この愚図め!」


 ろくに言葉を交わしたことのない父親が、初めて自分を見て放った言葉は、それだった。


 それ以来、ケルティオの自己評価は全て「愚図」の一言に集約された。自身の価値を、彼は酷くマイナスな言葉で捉え、定めてしまったのだ。

 故に、彼は幼少期から自信を付けることが出来ず、失敗するという「恐れ」の感情から、更に魔法の成功率が下がってしまった。魔法とは感情の力でもある。恐れは特に、魔法を暴発させる原因ともなる。

 10になる頃には、屋敷の中でケルティオを見る者は誰も居なかった。いつしか母親は会いに来なくなり、父親は彼を居ないもののように扱い、優秀な兄と比較する時だけその眼差しを向けた。まるで汚物を見るかのような眼であった。

 主人の態度は使用人にも及ぶ。貴族の子息という彼の立場は使用人の間で問題ではなくなり、あからさまな態度を取る者が増えた。馬鹿にするだけならばまだしも、場合によっては手酷い嫌がらせに晒される。貴族からは物として認識されている使用人にとって、落伍者の子供など、ただの物以下でしかなかったのだ。その鬱憤を晴らすように生贄として槍玉に上げられるのは、もはや人の性でしか無いだろうか。


 一人だけ家族と違う部屋で、一人だけの食事を摂りながら、どうしてこうなってしまったのだろう、とゴミの入ったスープを飲みながら考えた事がある。

 そして、結論づけたのだ。


 運が悪かったのだ。

 この家に生まれたのも、そういう体質で生まれたのも、全て、誰かが悪いわけではない。

 強いて言うなれば、運が悪かったのだ。

 だから、そうして生きていくしか無い。この家を出ても、生きていける保証はない。庇護者が居ない子供など、誰が守ってくれるというのか。


 その感情は彼の中で芽吹き、今日まで育ち続けてきた「諦観」という根となった。

 根に雁字搦めにされ、彼は前向きな思考をすることを拒否するようになっていた。

 祈っても神は現れず、都合の良い大人など存在しない。

 ならば、そういう物なのだと、そう受け入れる他になかったのだ。



 そして12歳になり、社交界にも出されない閉ざされた生活の中で、ようやく外に出ることが許された。正確には、ただの厄介払いだったが。姓を名乗ることは許されなかったが、それでも多少の希望は持った。外はもっと広く、きっと今までと違う生活が待っているのだと、微かな希望を胸に家を出た。


 だがしかし、世界とはどこまでも無常であるようだった。


 入れられた魔法学園は、魔法を至上主義とする集団だ。いうなれば、彼が苦手とする家族と、同じ思想を持った者達の集まりだった。そして、初歩魔法から一向に腕を伸ばさない彼に対して、そんな貴族の子息らが取る行動など、もはや言うまでもない。

 ケルティオ自身が、赤の他人と触れ合う経験が無かったという、特異な生育環境もある。会話でもオドオドと尻込みしてしまう性格から、彼への態度が酷くなるのも自明の理であった。子供は大人以上に残酷だ。遊び半分で魔法を当てられた事も一度や二度ではない。酷い怪我をして、医療院で世話になったことも、一回や二回ではない。

 その関係性は何年も続き、ケルティオという存在は学園でも随一の劣等生として扱われるようになった。そうあるのが、普通になった。それは、学園に来る前の閉ざされた世界と、どう違ったのだろうか。


 ここまで来ると、ケルトはもはや諦めていた。


 所詮、愚図な自分では、どう足掻いても変わらなかったのだと。馬鹿な希望を見出した自分が愚かだったのだと。理解も承認もされたくはない。ただ、他人が近づいてこなければそれで良い、と。


 彼にとって、他人とは敵であった。自身を傷つけるだけの異物でしか無いと、そう思い込んでいた。故に、徐々に感情は閉ざされ、態度も硬質的で素っ気ないものへと変じていた。嫌がらせを受けるのに慣れたが、あまりにも酷い事へは知恵を駆使して自身で対抗する他無かった故に、危機察知と頭の回転が早くなったのは皮肉か。


 ……そして、あの日。

 異形の魔物に襲われ、引率の教師が目の前で食べられ、恐慌に至った場で、ケルティオは諦観まじりに相対していた……、


 その背を、誰かがドンと突き飛ばしたのだ。魔物のいる方角へ。


 無様に倒れた自身へ、魔物が顎を晒して襲いかかる。

 自分を餌に、逃げようとする生徒たち。

 その何もかもに、彼は諦観していた。もはや絶望すら浮かばなかった。


 ……その時だった。


 不思議なローブの人物に、命を救われた。

 それは、彼にとって生まれて初めて、誰かに手を差し伸べられた出来事であった。侮蔑ではなく、口は悪くとも無償で救ってくれたその後ろ姿に、彼は今までにない感情を抱いていた。

 戸惑いが強かったが、それは、感謝と言うべき感情だったのかも知れない。


 ……そして、紆余曲折あって、冒険者となった。


「お前を馬鹿にした連中全てを、見返したくはないかね?」


 カロンと名乗る老人に連れられ、諦観の人生の中で指針を見つけた。他人に好き勝手される事は嫌だと、その思いを吐露すれば、老人はケルトへ指南をしてくれた。その理由はわからないが、それはどこか庇護者を見る保護者のような視線に近かった、とケルティオは思う。あまり感じたことのない視線だった。


「ケルトって何でも知ってるんだなぁ!」


 ハディという少年は、初めて愚図な自分を認めてくれた人物であった。年下にもかかわらず、その心は強く固く、酷く眩い。辛い過去を受け止めながらも真っ直ぐに前を向いている彼の姿は、とても尊いように思えた。



 ……そして、今。



 ケルティオの眼の前で、ハディが袈裟斬りに切られていた。


「ちぃっ……寝てろチビ助!」


 血飛沫が舞い、小さな体躯がこちらへ飛んでくる。思わず受け止めるが、衝撃が強すぎて一緒に地面に転がってしまった。

 慌てて抱き起こせば、ぐったりとしたハディは胸から血を流しながら、微かに息を吐いていた。


「ぐ……く、ケ……ルト…………無事か……?」

「ハディ……!? なぜ、どうして庇ったんですか!?」


 老人の宣言通りならば、ハディが死ぬことはないだろう。カロン老はケルトを見捨てるかも知れないが、それでも構わないとも思っていた。それで死んでも、ただ諦めれば良いだけだからだ。


 けれども、ハディは抗った。

 ケルトを守るために身を挺して犠牲になったそれは、ケルトには理解できない行動だった。


「どうして……私なんかを守ろうとしたんですか!? 貴方は自分の事だけを考えていればそれでいいのに……」


 皆、そうだ。

 自分さえ良ければいい。他人がどうなろうと知ったことではない。労を費やす価値がなければ、他人など食い物にしてやればいいのだ。

 それを肯定する人間の方が、この世界では圧倒的に多い。


 しかし、小さな子供は、血を流しながらも、それに首を振った。


「出来るもんか……そんなこと……」

「何を馬鹿な! 私みたいな愚図の為に、貴方の目的が達成できなくなったらどうするんですか……!? ご両親の仇を討ちたいのでしょう!?」

「……な、を……」


 ハディは大きく息を吐いてから目を見開き、強い眼差しでケルティオを見つめて、言い放った。


「仲間を、見捨られるかよ!」


 刹那、ケルトは息を呑む。

 ぶつけられたそれは、彼の知らぬ感情である。


 ハディはケルトの胸ぐらを掴みながら、眩い声で叫ぶ。


「いいかケルト……お前は出来る、絶対に世界一の魔法士になれる! 少なくとも、俺はそう信じてやるから……だから、勝手にここで諦めるなよっ!!」


 その叫びは、魂にまで届くほどの衝撃を与えた。

 強烈な自己否定と封された承認欲求の狭間に揺れ動いていた彼の心は、確かに彼が求めるその想いを耳にしたのだ。これが動揺せずにいられるだろうか?

 ハディは言い募る。血だらけで、震える腕は今にも落ちそうだったが、それでも彼は心の底から吠えていた。


「諦めて良いのは死んだ時だけだ……だから、最後まで歯を食いしばって頑張ってみろよ! お前はまだ生きてるだろうっ!!」


 死んだようだった心に届いた言葉。

 ポッと静かに灯されたそれは、どんな感情だったのか。


 暖かなその光に戸惑いながら、ケルトは仰向けに倒れたハディを見た。

 小さな子供、それでもその魂は誰よりも眩く……惜しみなく与えられた種火は、確かにケルトへと届いていたのだ。


「……で、茶番は終わったか?」


 そんな二人へ、ネセレはナイフを弄びながら、欠伸を噛み殺している。つまらない余興劇を見ている気分になっていた彼女は、とりあえず面倒になったので、終わらせることにしたようだ。


「ま、殺しゃしねーよ。それはアタイの流儀じゃねぇ。でもま、痛い目見てから身包み剥いで、近場の街の傍に転がすことにはなるだろうがなぁ」


 ニヤニヤと笑みを浮かべ、ネセレはナイフを構えて一歩、進んだ。

 そして、逆手のナイフを、大きく振り上げ、



 長い長い、一瞬の、間。



 こちらを狙う、その煌めきに、ケルティオの視線は釘付けになった。


 ここでまた諦めるのか、この子が傷つくのを良しとするのか。

 ならば、二度と冒険者などするべきではない。

 そして、二度と彼らの前に姿を現してはならない。

 いつか、諦観が自分を食い殺すのを、ただ黙って見ているだけの、惨めな余生を送るべきなのだ。


(……違う、そんなのは、嫌だ……)


 蓋をし続けた心の入り口から、自らの感情が漏れ出てきたのを感じた。

 それは腹の奥から体を巡り、震えるほどの強い強い感情となって、全身を覆った。


(痛いのも、苦しいのも、もう嫌だ……そうだ、どうして私がこんな目に遭う? どうしてこの子はこんな目に遭っている? どうして、我々は、虐げられねばならないのだ……!?)


 理不尽への、強い強烈な感情。

 それは、怒り。

 或いは、憤怒。


「それが正解だ。理不尽への怒りは、強い力となろう。魔法は感情なのだ。お前の怒りは、お前の力と成る。……汝、正しき怒りを覚えよ」


 老人の呟きが聞こえ、ケルティオの視界は真っ赤に染まり、


 ナイフへ向かって、感情のままに声を放った。


ヴェーシャ(吹き飛べ)ッ!!!」


「っ!?」


 ドゥンッ!! と輝く衝撃が響き、ネセレの身体は大きく後ろへと吹き飛んだ。

 ザリザリザリッ! と地面を滑りながら、ネセレは驚愕の顔で相手を見つめた。


「なんだ……何をしやがった!? 魔法か……?」


「ハディ!……く、マール(癒せ)!」


 たった一言。それだけで魔法は発動し、ハディの身体に輝く光が纏いついた。

 傷を癒やすそれ見て、ネセレはヒクリと頬を引き攣らせる。


「ちっ……とんだ奥の手を隠し持ってやがったもんだぜ……! だがな、アタイの速度についてこれるかなぁ!?」


 地を蹴ったネセレの速度は先程よりも早く、緩急をつけることで複数の残像が見え隠れするほどだ。

 その異様な動きの儘に相手の背後に飛んだネセレは、死角から完璧な一撃を放った。


 ――とった!


 そう思う一瞬の間。


ラダ(守れ)!」


 ガキィンッ!


 と、輝く結界に遮られ、ナイフの刃先が大きく弾かれたのだ。

 驚愕するネセレへ、振り向きざまにケルティオは指先を向けた。

 その表情は、強い怒りに支配されている。


「……カトゥ(穿け)!!」


「な、ぐっ!?」


 指先から放たれた光の矢はネセレの胴を掠め、確実に傷を負わせたのだ。


「ぐ……くっそぉぉ……!! この雑魚がぁ! アタイに傷をつけやがったな!?」


 ブチ切れたネセレは鬼神のような表情でナイフを構え、咄嗟に最高速度で地を走った。

 今度は捕まらぬよう、縦横無尽に駆け回り、ジグザグに走行する。あまりの素早さに何も視えないその中でも、ネセレは即座に攻撃は仕掛けず、敵の隙を伺ってから、猛獣のように襲いかかろうと身を低くした……、


 直後、ケルトは天を指さした。

 その瞳は微かに白い光を放ち、異様な輝きを秘めている。


 それは、光精の輝き。

 魂の光だ。


「……ノ・ラ・シア(四方より)・ビン・カムル(降り注げ)


 僅かな言葉。


 次の瞬間、閃いた輝きに、ネセレは思わず空を仰いだ。



 ――彼女の居る百メートル四方に向けて、天より光の雨が降り注いでいたのだ。




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