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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第3章 多産の魔王
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第48話 白銀の魔術師

『ギイィィィィッ!』


 金属を擦り合わせるような悲鳴を上げて、最後の飛竜が砂漠の谷間へ落ちていく。セトはほっとして魔術の翼を巧みに操り、身体を捻って体勢を立て直した。背に乗せたマリアンの冷静な声が聞こえた。


「セト、今半回転したときにちらっと見えたんだが、左手の壁側に大きな洞穴があったぞ」


 はっとして地上を見ると、確かに暗い岩壁の中、一際闇の濃い部分があった。あの洞穴からなら、さっきの魔物の全軍が走り出てきたというのも頷ける。この辺りにはすでに魔物の影はなかった。南のラインツ達が引き留めているようだ。

 セトはすぐに影に向かって高度を落とし、地面すれすれで杖と翼を解除した。なんの合図もしなかったが、当然のように彼女はさっと地面に飛び降りた。

 セトが膝をついて息を整えているのに、マリアンはにこにこしながら光る長剣を消した。


「ああ、面白かった。空を飛ぶのは楽しいな」

「楽しんでたのか! こっちは気が気じゃないのに」

「そう言うな、こんな経験普通じゃできないんだから」


 それは認めるが、もう少し危機感を持ってもらいたいものだ。そう思いながらようやく立ち上がり、目の前に広がる暗闇を眺めた。

 土色の壁がくずれ、三十人は楽に通れるほどの横穴だった。湿っぽい風が洞窟の奥から吹き付けてくる。何かに手招きされたかのように、セトはふらふらと暗闇に近寄った。

 近くに魔物がいる気配はない。そのまま、洞窟の奥へと歩みを進める。どんどん薄暗くなる四方に、どこかほっとした空気さえ感じた。反響する足音も、目の前の暗い道も、ずっと以前に歩いた道と似ている。


「おい、一人でいくな! 明かりもないのに」


 後ろから叫び声が聞こえ、セトは足を止めた。知らず知らずのうちに、自分の手さえ見えないほどの奥へ進んでいた。それすら気付かなかった自分にぞっとして、身を引きはがすようにゆっくり出口へと戻ってきた。マリアンは火打ち石でランプに明かりを灯していた。彼女は責めるように言った。


「どうしたんだ? 何度も呼んだのに、全然振り返らないからびっくりした」

「……ごめん、気付かなくて」


 いつから呼んでくれていたのだろうか。全然耳に入っていなかった。まるで洞窟の呼び声にかき消されたような気さえする。

 洞窟が呼ぶ? 冗談じゃない。

 ふと出てきたその言葉を打ち消すように、セトは冷や汗をかきながら慌てて提案した。


「明かりがいるのか? 杖を使えば、光も出せるけれど」


 が、彼女は首を振って火の付いたランプをセトに渡した。


「杖は戦闘専用にとっておくべきだ。洞窟でランプなしじゃ勝ち目もない」

「……そうだった」


 言いよどみながら、セトはランプを受け取った。

 彼女の言うことは正しい。

 ただ、洞窟でランプを使うという発想が全くなかったことに、彼は驚いていた。

 どうして自分が暗闇に入りかけたのかもさっぱり分からない。この洞窟の奥に魔王が潜んでいるというのに、なんの用心もせずふらふらと憑かれたように歩いていたのだ。

 気が緩んでいるに違いない。こんな具合ではマリアンのことをどうこう言えない。しっかりしなくては。


 セトは自分にそう言い聞かせるとランプの持ち手を握りしめ、再び洞窟へと足を踏み出した。今度はマリアンも一緒に続く。じめじめとした暗闇を僅かに照らす光を頼りに、一歩一歩踏みしめるように歩いた。最初広かった道幅も、奥へ行くに従って狭くなってきた。天井もだんだんと迫ってくるのが分かる。二人は油断なく目を配っていたが、靴音の反響だけで、他の音は何も聞こえない。静か過ぎて、逆に不気味だった。洞窟であれば枝分かれしそうだが、今まで歩いた道筋には一本の枝道もなかった。ただ、道の端に時たまきらりと照り映えるガラス片の塊を見つけるたび、セトは自分の道が正しいことを確認した。


 どれだけ歩いても、どこにもたどり着かないのではと思えるほど歩いたとき、洞窟の奥に微かな光の点が見えた。


「あそこが出口か? それとも魔王の宮殿か?」


 マリアンも同時に見つけたらしく、流石に緊張した面持ちで言う。


「さあ。だが用心しよう」


 セトはランプを右手に持ち替え、呪文を唱えて黄金の杖を出した。杖の先についた黄金の鳥は張り詰めた空気を感じたらしく、いつものように陽気にしゃべり出したりはしなかった。が、ぼそっと呟いた声が反響した。


「気をつけろ。魔気を抑える結界が張ってある。魔王はすぐ近くにいるかもしれない」


 杖の言葉に、セトはやはりと思いながら肯いた。魔王がなりを潜めているのは、うすうす感づいていた。世界規模で影響を与える魔王がこの先にいるなら、ここまで近くに寄れば魔気で満ちあふれているはずだ。


「まあ、行ってみなければ分かるまい」


 そう言って隣のマリアンがすたすたと歩き出したので、彼は慌てて後を追った。洞窟の奥に見えた光は進むにつれてだんだんと大きくなっていく。二人は、いつの間にか光を目がけて小走りになり、同時に洞穴の出口と思えた場所に飛び込んだ。


 明るい出口だと思っていたそこは、またも洞窟だった。だが、今までの洞窟と格段に違うのは、直径が大人三十人が手を広げたほどもある、円形の広場のような場所だった。光の元は、天井の真ん中に開けられた穴だった。穴の下には巨大な水晶に見える不思議な形のモニュメントがそびえ立ち、そこから落ちてくる光を受け止めて、地下広場全体にぼうっとした光をまんべんなく行き渡らせている。


 水晶を背にして、人影が寄りかかるように立っていた。

 セトはぴたっと立ち止まり、手でマリアンを制した。じりじりと下がり、水晶から目を離さずにゆっくりとランプを床に置く。そして、なるべく感情を抑え、カラカラの喉に唾を飲み込んでから、その人影に声をかけた。


「お久しぶりです、リュシオン先生」


 水晶に寄りかかっていたのは、銀髪を長く伸ばした壮年の男だった。魔術師の特徴である長い丈の衣装は、元は白だったのだろうが汚れて灰色に見える。咎めるような鋭い眼差しでこちらを見つめ、彼は低い声で答えた。


「追うな、と言ったはずだ。魔物で警告もした。なぜここへ来た?」

「現地調査にしては、戻りが遅すぎるからです」

「馬鹿だな。お前達ごときに魔王が倒せるとでも思っているのか」

「何だと! おいセト、あれは本当にお前の先生なんだろうな?」


 マリアンが横手で眉をひそめて言った。その途端、セトの口が滑らかになった。散々思い悩みすぎて行き場を失っていた言葉が口から次々と吐き出された。


「リュシオン先生、どうして連絡を断ったのですか?

 魔王存在説を裏付け、倒す方法を見つけるために、調査をしたのではないのですか?

 どうして、魔物でわざわざ警告したんですか?

 俺達が魔王を倒そうとここへ向かっていた間、貴方は何をしていたんですか?

 先生は魔物専門の戦闘魔術師なのに、どうして魔物を放って邪魔をしてきたんですか?

 魔王を倒すという名の下に研究をしてきたのに、それを放り出したんですか?」

「質問をいっぺんに喋るな」


 ぞっとするほど落ち着いた声で一刀両断され、セトは一息入れようと止めた。沈黙の合間を縫って、リュシオン先生の無慈悲な声が広間に響いた。


「全ての質問は、この言葉で解決する。私は現地調査のためではなく、『多産の魔王』を討伐者から守るために『神秘の塔』から派遣されたのだ」


 ——最初から、現地調査ではなかった? 魔王を守るだって?

 頭の中が嵐でも吹き荒れたかのように、ぐちゃぐちゃになっていく。

 真っ白になっているセトの頭上を、言葉が通り過ぎていった。


「私は『神秘の塔』に所属している魔術師の一人だ。上の決定には従わねばならない。

 お前に言わなかったことを後悔しているが、これは機密事項だからな。

 言うわけにはいかなかったし、連絡もできなかった」


 ひょうひょうとそう言い放つリュシオン先生を前に、痺れた頭が元に戻らないセトはたまらず叫んだ。


「嘘だ! 魔王を守るなんて嘘だ! どうしてそんな話になる?」

「魔王を守るのは、『神秘の塔』全体の意見だ」


 ため息をつく銀髪の男に、マリアンがセトの代わりに目をぎらつかせて反撃する。


「聞き捨てならないな! 『神秘の塔』はなぜ魔王を倒そうとせず、守ろうとする?」

「あんたは魔術師じゃない。だから我々の意図が分からない」


 リュシオンが両手を広げて演説でもするように言った。


「我々魔術師は暗い過去の鎖に繋がれ、差別に怯えて固まり、権力者におもねりながら暮らさねばならない。だが、この世にもっと多くの魔物が溢れたとき、我らの力が必要になってくるはずだ。そのときこそ、魔術師が本来の権利を回復し、然るべき地位と名誉を取り戻せるに違いない——『神秘の塔』のお偉方はこう考えた。

 私は多産の魔王を長年研究してきた。世界全体ができるだけ早く適正な魔物量になるまで魔王を守り、かつ管理するには適任だった」

「……どれだけの人が犠牲になるか、分かって言ってるのか?」


 呆れ果てたように呟くマリアンを、冷たい声が遮る。


「分かっている。だが、それよりも魔術師としての義務を優先する」


 セトは耳を疑った。これが『神秘の塔』の幹部会にも出席し、研究でも戦闘魔術師としても抜きん出た実力を持ち、いつも孤高の存在として燦然と輝いていた先生の言うことなのだろうか。彼は知らず知らずのうちに叫んだ。


「貴方は違う! あの派閥争いが大好きな幹部達とは違う! 

 俺の知っているリュシオン先生は、正義の味方なんだ!」

「『正義の味方』などこの世には存在しない」


 返ってきた答えは、やはり温度のない答えだった。


「そして、今話したことは最重要機密事項だ。それを聞いたということは……分かるな」


 金属音と共に、リュシオンの手から光が湧き上がった。光は瞬時に長い黒檀の杖となり、その手に収まる。ぞっとする一言が、冗談の様子すら見せずに淡々と発された。


「お前達は、ここで死ななければならない」

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