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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第3章 多産の魔王
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第47話 黒煙の壁

「しかし慣れてるな、あの二人は」


 絶壁に張り付きながら、人一人しか通れない道をさっさと下りていくライラとマリアンの二人を見て、ラインツがもの珍しそうに言った。


「山岳民のライラは分かるが、どうしてリアンまであんなにすいすい下りられるんだ?」

「似たような道を使ってたからな」


 セトは慎重に進みながら答えた。ティルキア城の十三番出口に比べれば、少しは幅があり、硬い岩で崩れ落ちたりしないぶん、まだましだ。

 ただし、下は海ではなく地面なので、落ちたら確実に死ぬ。それもあってゆっくりと下りているのだが、先の二人は苦もなく難所を通り抜け、もう既に底に近い。

 峡谷でも昼には下まで光が届く、と言ったライラの言葉通り、赤茶けた大地の底が見えていた。半分砂で埋まった巨石が辛うじてわかるような、薄暗い空間が広がっている。足下から転げ落ちた小石が、カツカツと音を立てて岩壁を落ちていく。少し経ってから、その音はやっと消えた。壁の高さを確認して、セトはぞっとしながらも歩みを進めた。


「ラインツ、魔物の魔力は見えるか?」

「いや、何も。魔物はあのトカゲで出尽くしたんじゃないか?」


 ラインツもしっかり岩に張り付きながら、辺りを見渡している。

 相手は『多産の魔王』だ。魔物が尽きるということはないだろう。

 崖を下りている間は、どうしても無防備になる。

 てっきり沢山魔物をよこしそうな気がしていたが、どうもセトの回復具合を把握しているようだ。どうにもならないと判断すれば、飛行魔法に切り替えて飛ぶことも予想に入れてあるのだろう。つくづく魔王は恐ろしい。

 最後尾にいるロビが、不満そうにセトをせかした。


「おい、早く下りようぜ。女二人が先に着いちまう」

「俺は従者の仕事で二回ほど崖から落ちてるんだ。下が海で運良く助かったけれど。そんな経験を積めば慎重にもなるだろう」

「……お前、姉御のおかげでわりと苦労してるな」

「それなりに。最も、リアンは学習してなさそうだけれど」


 苦労を分かってくれる人が初めて現れたせいで、崖に張り付きながらも、セトはにやついた。本当に、散々手を焼かせてくれた相手だ。ただし、この世で一番頼りになり、一番愛しいひとだが。


 たっぷりと時間をかけて、彼らは峡谷の底へ下りきった。女二人は先に着き、周りを警戒するのも飽きた、といったところで柔軟体操をしていた。

 峡谷を下りて戻ってきたものはいない、というものの、そこには魔物もおらず、不気味に静かだった。ただ、今までの照りつける太陽が遠くなったようにひんやりとした空気が漂っている。


「遅かったな。この辺りに魔物はいないようだ。

 今は襲ってこないだけかもしれないが」


 マリアンが腕を伸ばしながら言った。なぜこの状況で緊張していないのかが理解できないが、魔物がいないのはいいことだ。

 と、ロビが、おもむろに言った。


「だが、本当についてくるのか? あんた、姫様なんだろう?」


 その言葉にどきっとして、思わずロビを振り返った。だが、ロビの目はシャールバの民、ライラの方へ向けられていた。セトは安堵した。そう言えば、ライラも元シャールバの王族の出と聞いている。


「あんたは峡谷までの案内という約束だった。

 魔物はあらかた倒してきたんだ、帰りは楽だろう。

 それに、生き残りを束ねるあんたがもし死ねば、シャールバの民自体も分裂しかねない」

「気が変わったの」


 彼女は顔色も変えずに答えた。


「シャールバの民は、私ひとりが死んだ程度で分裂するほど弱くない。

 それに……あんな助け方をされちゃ、最後まで付き合わざるを得ないわ」


 ジュリオのことか、とセトは瞬時に悟った。

 それはロビも伝わったらしく、彼は神妙に肯いて言った。


「ありがとう」


 その話を黙って聞いていたマリアンが、唐突に後ろを指さした。


「にしても、あれは何だろうな。魔物には見えないが」


 巨石の裏側に、この荒涼とした世界に相応しくない物体があった。岩陰にあってよく見えないが、塩のように白い砂の小山が岩にもたれかかっているようだ。セトは慌てて巨石の後ろへ周った。こんなものが自然と出来るわけがない。

 指で摘まむと、ぴりっとした痛みが走り、指先に少し血がにじんだ。

 この魔術は、間違いなくリュシオン先生の十八番に違いない。


「……ガラス化の魔術だ」

「つまり、どういうことだ?」


 いまいち分からない、という顔でロビが言った。


「俺の師匠、リュシオン先生がここを通ったということだ。多分、峡谷には魔物がいた。それを倒した名残だ」

「見て、こっちにもあるわ」


 ライラが別の巨石の陰を指さして言った。

 確かに、そこにも白い砂のように見えるガラスの破片の山がある。日が当たるところにあるガラスは、風で吹き散らされ、砂に埋もれて消えていったのだろう。そして、陰に吹き寄せられたガラスの破片だけが残ったのだ。多分、半年くらい前のことに違いない。

 ラインツが考え考え言った。


「もしかして、このガラスの跡を辿っていけば……、その何とかいう先生にたどり着けるということか?」


 それには答えず、セトは頭を最大限に回転させてガラスの破片を見つめていた。

 気になっているのは、それとは若干外れたことだ。

 リュシオン先生が、峡谷の下で襲われた。先生は、力試しや腕試しなど非効率なことはしない主義だ。むしろ無駄な戦いは避ける傾向にある。

 なぜ飛行魔法で飛んで逃げなかった? 先生一人なら、峡谷を飛び回り、魔王を探すことなどたやすい。


 そうか、と唐突にセトは悟った。

 砂漠資料の作成は手伝ったが、そのとき峡谷の話は出てこなかった。正確な位置情報は掴めたが、その高低までは問題視していなかった。

 なぜなら、古代の砂漠の地図には峡谷そのものが載っていなかったからだ。

 ここなら太陽の暑い砂漠でも暗く、下級の魔物も産まれやすい。今まで何人もの冒険者が、ここを通ったと聞くが、帰ってきた者はいない。つまり、上ってきた人の情報を聞くことは誰にも出来なかった。


「……ここだ。この近くに、魔王の巣への入り口があるんだ!

 リュシオン先生もそれに気付いた! だから、ここで戦ったんだ!」


 思わずあげたその声は、峡谷に反響して木霊のようにかえってきた。

 ラインツが冷静に水を差す。


「しかし、この辺りには魔力の欠片も見えないぞ? それにお前の言っていた座標は、峡谷を過ぎた先を示していたんだろう?」

「多分、ここから続く洞穴か何かに隠れているんだ。それに、自分の魔気がなるべく漏れないように、結界を張っているんじゃないか? 古代竜ならそのくらい朝飯前だ」


 セトはくるくると慎重に辺りを見渡した。だが、期待したような横穴はどこにも見当たらなかった。


「……この峡谷全部を探すとなると、時間がかかりそうね」


 ライラがそう言った途端、峡谷の一方、北の方面がひどく騒がしくなった。金属をこすったような鳴き声が聞こえる。おまけに地響きも聞こえてきた。十や二十ではない。セトは背筋に寒気を覚えた。これは大群だ。


「なんだ、招待してくれるならありがたい」


 ラインツがにやっと笑い、剣に手をかけた。他の皆も、思い思いに剣を鞘から抜き放つ。広い峡谷の彼方から、黒い魔物達の影が地響きを立てて押し寄せてくるのがついに見えた。絶望の塊といっていい。峡谷をびっしりと覆う魔物の軍団だ。一つ一つはそこまではっきりと見えないが、谷の底が黒い煙で覆われているように思える。まるで黒い壁だ。

 セトが静かに呪を唱え杖を出したとき、ラインツが唐突にこちらをむいた。


「お前、人を持って飛べるか?」

「一人だけなら」

「だろうな。じゃあ、赤い剣士様と飛んであの壁を突っ切れ。

 あいつらの相手は俺達に任せろ」


 余りの発言に、セトは目を見開いて剣聖と呼ばれた男を見つめた。確かに、魔王の巣はあの大群の向こうだろう。しかし二人で突っ切るのはともかく、三人であの数の魔物を相手にするのは無理だ。


「まさか、あの大群を相手に剣士三人で戦う気じゃないだろうな? 一対多数は魔術師の方が向いている」

「その魔力は魔王のために取っておけ」


 笑みを浮かべながらラインツが言った。


「俺にいい策がある。あんな魔物、俺達だけで十分だ」

「そうよ、私達を信じなさい」


 ライラもククリナイフを構え、にこっと笑う。その隣で、ロビも以前のようにうんうんとしっかり肯いていた。


「……わかった」


 セトは同じように、飛行呪文を唱える。地響きが増し、魔物が近づいてくるのが嫌でもわかる中、背中から羽が飛び出した。


「皆、また会おう!」


 マリアンがセトの首に腕をまわすと、元気よく叫んだ。その途端、セトは飛び上がった。

 充分に高度をとると、魔物が出てきた入り口を探すため下に目を向ける。黒い大群が峡谷一杯に広がっていて、セトはぞっとした。

 奥行きを考えていなかったが、魔物のたてる黒い砂煙は峡谷の奥までずっと続いていた。

 この数はまずい。いくら剣聖とはいえ、三人には多すぎる。


 が、それ以上考えている余裕がなかった。

 黒い雲のような煙の中から、いきなり数羽の黒い飛竜がこちら目がけて飛んでくる。鋭い歯で噛みつかれる寸前、セトは翼の下の気流を変化させ、きりきりと螺旋を描いてあらぬ方向へそれた。


「おい、せっかく私が長剣を持ってるんだ! 魔物を刺せる体勢で飛んでてくれ!」

「そんな器用なことができるか!」


 抱えたマリアンに高難易度の制御法をさらっと命令され、流石に言い返した。

 飛竜は執拗に迫るが、セトは飛竜達の攻撃をかわすことしかできない。しかも彼らの方が断然速く、正確だ。まだ昼間のせいか、相手の魔力はそれほど強くない。だが、大きなあごに噛みつかれたら最後だ。魔物の大群もいつしかすれ違い、地面には人でないものが踏み荒らした跡だけが残っている。いっそ下りて戦おうと考えたが、真下にも一匹飛竜がつきまとい、彼らが降りて来るのを待っているのを見てやめた。


 計算しつくされている。飛行魔術が使える魔術師が峡谷に来た場合に備え、空への勢力配分を忘れていないらしい。もっとも、近づいたのが魔術師ではなく普通の戦士だったとしても、何が脅威かと問われれば地上部隊を相手しているときに空から突っ込んでこられることだろう。

 セトはさっさと巻きたかったが、地上に残ったロビやライラ、それにラインツの顔がちらついた。この飛竜達が大群に追いつけば、地上戦で手一杯になっている三人に危害が及ぶ。逃げるわけにはいかない。


「よし、背に乗って戦ってくれ!」


 そう叫ぶと、マリアンは目を見開いた。その発想はなかったらしい。こちらだって素人サーカスなど冷や汗ものだ。できればやりたくないが、仕方ない。


「セトの背中?」

「なるべく水平にしてるから! いくぞ!」


 彼はそう言うなり、下から狙ってきた飛竜をかわすように高く上へ飛んだ。そして、マリアンを空中へと投げ出した。誰の目にも、マリアンを放り出したと映っただろう。同時に風を下に向け、魔力で制御しつつ、彼女が落ちる先へ回り込んだ。どんっと背中に激しい衝撃が来て、思わずセトは呻いた。同時に、心の中でにやっとした。

 彼女は、まるで猫のように回転し、二本の足でセトの背中にしっかりと立っていた。毛ほどもバランスの崩れた様子はなかった。

 素人サーカスは大成功だ。次からは、飛竜の牙から身を守りつつ、一匹づつ倒していく第二幕が始まる。

 視界の端でばっと光が散り、セトはマリアンが呪を唱え、魔力の剣を出したことを知った。


——ギャアアア!


 とたんに、飛竜の一匹が悲鳴のような声をあげ、セトの翼を掠めて落ちていく。ここからは見えないが、彼女が長剣を振るったに違いない。それを避けざま、彼は目ざとく見つけて叫んだ。


「左から二匹同時に来るぞ!」


 そのとき、既にマリアンはセトの背を蹴って飛んでいた。黒い二匹の飛竜が塊になって押し寄せてくる。くわっと赤い口が開いたとき、上から飛んできたマリアンがさっと剣を振り回す。途端、二匹とも首だけが離れて風に吹き散らされ、胴体だけがこちらへ向かってきた。セトは慌てて身を翻して二匹の身体をかわすと、落ちるマリアンのちょうど真下へ滑り込んだ。がつっと音を立てて彼女が膝で着地する。いちいち痛いが、そんなことで叫んでいる場合ではなかった。

 待っていたかのように、下で旋回していた飛竜が急に向きを変え、こちらへ飛んでくる。いや、待っていたのだ。飛竜は話こそできないものの、知能が高いことで知られている。あの飛竜は、真下からずっと機をうかがっていたに違いない。剣の間にセトが入り込んだ今がチャンスだと思ったのだろう。彼はマリアンに叫んだ。


「真下から一匹!」

「そうか、上からも一匹だ!」


 その答えに、考える暇もなく彼はマリアンの左足首を片手で掴んだ。風を制御して身体を捻り、素早く横にずれる。

 一瞬のち、上下から攻撃を仕掛けてきた二匹の飛竜がガツッという骨の音と共に空中でぶつかった。

 衝撃で気絶したのか、そのままゆっくりと落ちていく飛竜を、セトはまだ信じられない面持ちで眺めていた。




 地上では、迫り来る黒い壁のような魔物の群れを目の前に、三人の剣士が抜き身の剣を構えていた。ライラが流石に緊張した様子で聞いた。


「で、策ってなんなの、ラインツ?」

「できるだけ散らばらず、なおかつ派手に戦ってこちらに敵を引きつける。峡谷の出口を背にして、退路を塞がれないようにしよう」


 朗々と言うラインツを見て、ロビが不満げに答えた。


「それは策じゃない。戦闘の基本じゃないか」

「そうだ。上策なんか最初からないさ」


 ライラが微かに微笑んだ。


「そんなことだろうと思った。嘘をついてまで、あの二人を魔王の元へ送り込みたかったわけね」

「嘘じゃない。ただ、斬って斬って斬りまくる。それが策だ」

「なんとも、無茶な軍師様だ」


 ロビがにやっと笑って、刀を肩にのせた。


「だが、俺くらいの馬鹿にはそれで丁度いい。やってやろうじゃねえか」


 ライラが押さえきれないようにくすくすと笑った。


「本当にひどい案。でも、のるしかなさそうね」

「そうでもないぞ」


 ラインツが余裕の表情で言い、黒い大群に光る銀色の剣を向けた。


「俺がいれば、最上の策だ」

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