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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第2章 魔王討伐隊
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第46話 峡谷の端で

 赤い船は舵が折れ、底がぼろぼろになったものの、何とか日暮れには峡谷の端についた。遠目には一閃の切れ目が入っているように見えた峡谷は、間近で見ると恐ろしく大きな裂け目で、大地を一直線に割っていた。

 ただ、一人が通れるくらいの道が、峡谷の下へと続いている。恐らく古代の人々が作った道だろう。既に太陽が地平線に隠れそうになっているからか、それとも深すぎるからか、底は見えない。だが、魔王がいると知っているせいか、その暗闇は不気味だった。

 しかし、セトの魔力ももうギリギリだ。だが、腰の縄を外して改めて後ろを見ると、皆も砂まみれでどっと疲れた顔をしていた。船に乗り慣れていないラインツなどは、顔面が蒼白といってもいいくらいだ。

 ただ、なぜかマリアンはにこにこしていたが。


「いやー、嵐の海にでたことはあるが、それくらいのスリルだったな。

 こういうのは大好きだ」

「姉御、嵐にあったことがあるのか?」

「まあな、海にでれば嵐くらいあるさ」


 マリアンはロビの質問を何でもないことのように言ってのけた。さすが海運国のティルキアだけあるが、嵐を喜ぶのは彼女くらいだろう。

 こっちは嵐でも砂嵐だ。むせながら天幕を張ろうとしたとき、セトはくらっとして砂の上に倒れ、余計砂を食べることになった。

 やはり最高速度で半日は無理が過ぎた。気をつけたつもりだったが、すでに魔力増減症が出てきている。


「おい、しっかりしろ。またいつもの気絶か?」


 マリアンの声が聞こえる。返事をしようとしても、返せなかった。必死で目を開けていようとするが、どんどんまぶたが重くなり、砂漠のくせに手足の先から冷えていく。


「今日はここで野営だ」


 誰かに抱え上げられる気配がした。自分で歩けると主張したかったが、どうやらそれすら無理らしい。


 そのときだった。


「待て、奴が来る!」


 ラインツの嫌な言葉が聞こえた。セトは細く目を開けて砂漠の彼方を見た。まいたはずだったトカゲのような魔物が、地平線に見えている。どうやら思っていたよりもかなり速いようだ。

 いや、違う。地平線から、いくつものトカゲの影が姿を現した。影が段々大きくなることで、こちらへ向かってきているのが嫌でも分かった。


 読まれていた。恐らく、最初のトカゲが現れた頃、索敵されたのだろう。

 セトの魔力が切れ、野営に入る時を計算して襲わせるつもりだったのだ。

 必死で杖の呪文を唱えたが、左手からは魔力光さえ出てこなかった。


「どうしよう! 魔力が使えない!」


 そのとき、マリアンがすぐ近くで笑っているのが見えた。また、マリアンに抱え上げられていたらしいというのが、おぼろげながら分かった。


「何を言っているんだ。こっちには無敵の赤騎士と、頼もしい剣士達がいる。

 心配なんかせずに、船の陰で寝てろ」


 セトを船の陰に押し込んだ後、マリアンは元気よく叫んだ。


「行こう、歴戦の剣士達!」

「剣聖と呼ばれた腕を、まだ充分見せていなかったな。よし、何匹狩れるか勝負だ」

「兄さんの敵、存分に討ってやる」

「……私は女だからレムナード兵団には入れなかった。でも、剣使いではシャールバ随一と呼ばれていたのよ」


 船の陰から剣士達の決起の声を聞いたのが、眠りに落ちる前の最後の記憶になった。



 パチパチと火が燃える音で、セトは目覚めた。そして、また砂でけほけほとむせた。天井は細くてよくしなる枝で作られた、いつもの天幕だ。夜だった。船の陰に押し込まれてから、どのくらい寝ていたのだろう。天幕の中には誰もいないので、そこまで遅い時間ではないはずだ。

 出口の布を引き上げて、彼はずるずると這いずり出た。本当にこの世なのかどうか分からなくなるほどの、美しい星月夜だった。少なくとも近くに魔物らしきものはいなかった。魔物は死ぬと日光で灰になる。なので、死体は確認出来ない。だから地平線まで彼らの姿が見えなくても、何の問題もなかった。ただ、誰の姿もなく、火だけがぱちぱちと燃えている状況を除けば。

 不思議だ。焚き火と天幕を置いて、皆どこへ行ってしまったのだろう。セトはきょろきょろと探し回った。探すといってもたかが知れている。天幕の中と、外を一周すればいい。ぼろ船など、一目見れば誰も乗っていないのがわかる。


「……皆、どこだ?」


 呼んでみたが、風が吹き渡るだけで返事はなかった。

 まさか。

 セトは嫌な想像をしてしまい、ぞっとした。


 天幕にいるセトだけを残して、皆魔王退治に向かってしまったのだろうか。

 それとも……皆、魔物にやられてしまったのだろうか。


「おーい! 誰もいないのか?!」


 セトは本気で叫んだ。峡谷に響いた声が反響してきたが、他に何の音もしない。


「……リアン! ラインツ! ロビ! ライラ!」


 もう一度、天幕の布を乱暴に引き開ける。天幕の外を一周する。

 足跡は焚き火の近くに残っているのが見えたが、風が吹き散らし、他はほとんど見えない。

 誰もいない。砂漠でただ独りだ。

 セトは焚き火の側に座り、泣きそうになりながら叫んだ。


「皆! 誰か! お願いだ! 返事してくれ!」


 と、赤い船に乗った積み荷の箱の蓋が、がたっと開いた。赤毛の戦士が、にやにやしながら手を振っている。


「よっ! おはよう!」

「……」


 二の句が継げないでいる間に、箱からラインツが飛び出してきた。ロビとライラもごそごそと出てきている。

 ラインツが伸びをして言った。


「いやー、あの箱に四人はつらかったな。女ばかりならまだしも、一人男だし」

「何してくれてんだ! 本気で心配しただろう!」


 セトはどこにも持って行きようのない怒りをラインツにぶつけた。


「あら、貴方が心配しすぎるからよ。あんな魔物くらい楽勝。

 自分がいないと何も出来ない、なんて思わないでちょうだい。

 ま、それもあって、ちょっと心配してもらおうかと思って。

 貴方が起きる気配がしかから、ここに隠れて様子を見ようってことになったのよ」


 ライラが船から飛び降りざまに言った。

 確かに、この四人なら魔物でも造作なく退治できる。だが、外人部隊も無敵ではない。現に二人殺されているのだ。心配するのは当然だ。


「……ちなみに、その趣味の悪い遊びを言い出したのは誰だ?」


 マリアン以外の全員が、彼女を指さした。彼女はえへへ、と笑って頭を掻いている。


「ま、独りで全部背負い込むなってことだ。英雄赤騎士がついてるんだから」

「本当に、何を考えてるんだ! いや、何も考えていないのか!」


 セトは脱力しながら、久々にマリアンに対して暴言を吐いた。そう言えば、この王女はいつもこうだった。魔王退治ですら、楽しみに変えてしまうのだ。ある意味性格で仕方ない部分はあるが、もう少し危機感を持ってもいいのではないだろうか。それはこの計画に乗った他の三人にも言えるけれども。




「ほら、もうすねるのは止めろって」

「別に拗ねてる訳じゃない。見張ってるだけだ」


 セトは不機嫌な声で答えた。

 時刻は深夜を回っていた。他の三人はとっくに寝ている。セトは充分寝たので眠くなかったことと、何となく仲間はずれにされた気分が残っていたため、一人天幕から外れ、真っ暗な峡谷に足を下ろして腰掛けていた。



「はやく寝よう。魔物が襲ってきても、ラインツなら気付く。

 それに、明日は決戦だぞ」


 非難めいた、それでいて心配するような口振りで赤い髪の戦士は言った。彼が崖の縁に座って何も言わないでいると、彼女もため息をついて隣に腰掛けた。居心地のよい沈黙の中で、セトとマリアンは峡谷から吹いている静かな風を受けていた。

 この谷を降りて帰ってきた者はいない。そんな言葉が嘘に思えるほど、静かな夜だった。


「そうだ、これをやろう」


 唐突な言葉が沈黙を破ったので、セトは目を上げて右隣を向いた。

 顔の前に、ペンダントが月の光を受けて銀色に輝いていた。

 彼女がオリンピア邸で見つけた、初代魔王シド・ヴィエタの一品だ。


「どうして?」


 彼女がそれを大切にしていることは知っていた。

 侍女たちが気味悪がっても、格好いいからと譲らず、いつも身につけていたものだ。

 なぜ、今そのペンダントを渡そうなどと言うのだろう。


「明日、私が死んだら形見がいるだろう」


 マリアンが谷の方を向いたまま、さらりとそう言った。

 セトはぎょっとしてその横顔を見た。

 どうして気付かなかったのだろう。彼女は単に楽天的だったのではない。

 それはそうだ。今までの経験から、魔王と対峙する危険を知らないわけがない。ただ、最後の瞬間まで、外国人部隊の皆と共に楽しみたかっただけなのだ。明日、死んでしまうかもしれないという恐怖を抱えていたとしても。

 今初めて、彼女のやっていたことの意味が分かった。セトは、取り残されたような気持ちを抱えてぼうっと彼女を見つめていた。


 マリアンの横顔は月光で縁取りされ、いつもより青白く見えた。そのとき、初めてセトは、彼女の睫毛が驚くほど長いのに気がついた。最強の戦士という名の代わりに失ったものの一かけらが、そこに垣間見えた。彼はぼうっとしたまま、そのロケットを受け取った。

 細い鎖がちゃりっと手のひらに落ちた時、彼は夢心地の気分から覚めた。彼は横顔に向かって礼を言った。


「ありがとう……でも、死ぬ時は二人一緒だ。

 いや、誰も死なせない。皆で生きて、皆で帰ろう」


 マリアンがひどく驚いたようにこちらを向いた。振り返った瞬間の彼女の瞳は、王都の木刷り職人でさえ出せないような美しさに満ちていた。


「そうだな。私は死にに来たんじゃない。魔王を倒しに来たんだった」


 碧色の瞳が微かに笑い、そっと閉じられた。

 魔物の気配など一欠片もない峡谷の上で、彼らは静かにキスをした。

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