第41話 通行料はククリナイフで
一人抜けた魔王討伐隊は、いつもの馬鹿話もとぎれがちになり、重苦しい気配から脱せなかった。ラクダにも重みがかかったようで、似たような風景の中、鞭を当てられても気だるげに瞬きをするだけで、ちっとも急ぐ気配がない。
「この話、したっけ? 俺達がティルキア海軍に船を沈められて、ボートで脱出するとき、ロビが樽を被って敵の目をごまかしたってやつ。あれは傑作だったな!」
「もう三回は聞いた」
ジュリオの楽しそうな声にセトはつれなく言った。樽に足が生えてごそごそ動く様子を実演されたときは確かに面白かったが、何回も聞かされるとさすがに飽きる。
「やれやれ、あれは最悪だった。大体、買った船が三十年ものなのがだめだった」
セトの冷たい返事を気にすることすらせず、彼は続けた。
「今度は金も余裕があるからな、借金を返してごつい装甲のついた船を買うんだ。
海に魔術師は縁起が悪いが、やっぱり海軍対策に、魔術師は一人は雇っておいたほうがいいな。セト、お前どうだ?」
「断る」
彼は一刀両断した。海賊船になんて乗りたくもないし、魔術師を武器扱いするのも気に入らない。
と、ラインツが進行方向を指さした。
「おい、あそこに何かあるぞ?」
見ると、砂と暑さでぼやけた地平線に、崩れた岩場のようなものがある。
「水場かな? とりあえず、陰はあるかも。セト、ちょっと飛んで見てきてくれないか?」
何気なく言ったマリアンの一言に、セトはぎょっとした眼差しをジュリオとロビから向けられた。
「飛べるのか、お前?」
「そんなの知らないぞ!」
そういえば、皆の前で飛んだことはなかった。
「結構魔力を喰うから、逃げるとき以外使い道がないんだ。
飛んでいるときには魔術も使えないし」
「いいから、やってみろ! お前、しゃべる杖と組んで大道芸やれば大成功だぞ!」
「魔術は大道芸じゃない。立派な学問だ」
セトは自身の杖の性格はあまり好きではないが、大道芸と一緒にされるのは同じく嫌だった。小声で呪文を唱え、杖を取り出してさらに飛行呪文を続ける。
どこから出ているのかわからない音に、皆がきょろきょろしているのが面白かった。
肩甲骨が熱くなり、黒い翼がさっと青い空に伸びる。
彼は地面を蹴って、高く飛び上がった。
「はりゃりゃ! これはこれは!」
ザグの叫んでいる声が小さく聞こえる。多分、魔術師を見慣れていない分驚きもひとしおなのだろう。
気流に乗って岩に近付くと、そこは岩場ではなく、またもや古代の街の跡だということが分かってきた。入り組んだ壁が半分砂に埋まっている。しかし不思議なことに、街の小さな広場の井戸が、太陽の光に反射していた。水があるのだ。
そこまで見えたところで、彼は踵を返した。あまり飛んでいると魔力の消耗が激しくなる。下手に近づいてまた蛇に襲われたくはなかった。
一通り見終わって砂漠の小隊に近付くと、なぜかジュリオとロビが拍手で迎えた。
「いいぞ、これはいい! お前、人を載せて飛べ! 商売になるぞ!」
「嫌だって言ってるだろ」セトは眉を寄せて言った。
「そうだ、この魔術は商売にすべきじゃない」
珍しくラインツがセトの肩を持った。
「飛行奇襲をかけられる魔術師といい飛竜乗りがカサン北軍についたから、南軍に勝ったようなものだ。南軍側のビョルンからすれば、たまったものじゃなかっただろうな」
その名が出て、皆また黙ってしまった。
そうだ、と沈黙を打ち破ってセトは古代の街の報告をはじめた。多分、水があるということも。その知らせで、ザグを筆頭に皆が笑顔に変わった。
「水ですって? これはいい、久々に水量を気にせずスープが作れます」
「だが、また魔物がいるかもしれない。ラインツ、近づいたらまた魔力を見てくれないか?」
マリアンに対して、ラインツは優雅にお辞儀をした。
「御令嬢のためなら喜んで」
「そういうのは止めてくれ。気味が悪い」
彼女は笑ってごまかしていた。
飛行術で近づいたときは一瞬だと思えた距離は、案外長かった。ラクダを連れてやっとたどり着いたときには、既に昼も過ぎていた。前と同じ、遠い昔に朽ちた砂の街だ。
「どうだ、魔物はいそうか?」
「いや、そんな魔力は感じないな。どうやら、神殿なんかじゃなく、本当に生活のための集落だったんだろう」
皆で言い合いながら早足で中央広場を目指す。早く水があるか確認したかったのだ。井戸をのぞき込むと、皆の顔が一斉に映った。
今にも砂に埋もれそうな小さな井戸だったが、その底には確かに水が溜まっていた。親切なことに縄のついた桶もおいてある。新鮮な水をたっぷり飲んで、皆生き生きとした雰囲気を取り戻した。マリアンが感心したように言った。
「いやー、うまい! 砂漠の水は酒の次に旨いな! この井戸は、昔からあったんだろうな。今でも水が出るなんて珍しい」
「井戸自体は、そうだろう。でも、多分埋めた物をまた掘り起こしたんだ」
セトの言葉に、マリアンが怪訝な顔を向けた。
「どうしてそんなことがわかる」
「桶だ。木製なのに、風化していない。誰かがこの井戸を使っている証拠だよ」
「誰かって?」
「そうだな、例えば……」
セトは、ぐるっと振り向いてどこへともなく言った。
「その辺に隠れている、シャールバの民かな」
その言葉と共に、ざっと音がして、ククリナイフを携えた茶色いフードの人々が、朽ちた廃墟の影から次々と姿を現した。
「どうして分かったの?」
そのうちの一人が言った。久しぶりに聞く、フードの声だった。やはり、どことなくつんけんした物言いだが、なぜか懐かしかった。
「さっき、井戸をのぞき込んだとき廃墟の二階にフードを被った人がいるのが水面越しに見えた」
ふうん、とフードは不満そうに言った。
「で、貴方たちは何しに来たのかしら? シャールバの民の殲滅? だったら、こちらも容赦しないわよ」
「そんなことじゃない。君も知ってのとおり、『多産の魔王』はまだ生きている。ここより西にいるはずだ。俺達は、魔王を倒しに行く」
「そう、それなら勝手にすればいいわ。 ただ、レムナードの兵をつれて行くのは許さない。ここで死んでもらう」
ザグにククリナイフが幾つも突きつけられようとしたが、その間にマリアンが入り込んだ。
「待て。ザグはレムナード兵じゃない。腕のいい料理人だ。それはフードも知ってるだろ?」
「でもゴルダ教よ?」
「ゴルダ教でも、魔術師を積極的に見逃してるぞ? それに、お前の命を救ったレムナード兵の隊長だって、ゴルダ教だった」
「……」
しばらく緊迫した雰囲気が続いた後、ジュリオが素っ頓狂な声を上げた。
「ああ、そうだ! フード! お前の忘れ物を持ってきたぞ」
そして、ラクダの背に乗せた荷物をごそごそやった後、柄に見事な装飾が施されたククリナイフを取り出した。あれは、隊長を斬り損なったときに、彼女が落としたまま拾わずに去ったナイフだ。
ジュリオのことだ、金になると思って積んできたに違いない。そして、この機会を逃さず恩を売り込もうとしている。
セトはそう確信していたが、フードは呆気にとられたようにククリナイフを眺めていた。
「それは、父の形見……」
「ほら、これが通行料だ。ザグのことも通してやってくれよ。なんせ、こいつがいなきゃ俺達干し肉しか食えないんだから」
ぽんとククリナイフを放り投げられたフードは、迷った末にそれを大事に拾いあげた。そして、ぽつりと尋ねた。
「あの人は、どうなったの?」
「両腕は怪我したが、深刻な傷じゃなかった。凱旋のときなんか無理して両腕を上げていたしな」
勘のいいラインツが、安心させるように言った。
フードは息をつくと、後ろを向き、よく通る声で命じた。
「皆、武器を下ろして」
「しかし……姫様」
「いいから下ろしなさい」
マリアンが、にっこりと笑った。
「フード。恩に着るよ」
「私はライラ・レイラ。族長の娘よ」
ここにきて始めて、彼女は名乗った。
「貴方たちの言う『多産の魔王』は、西の峡谷を越えた先の砂漠にいるわ。でも、私達には手出ししてこない。シャールバの本拠地に来た魔術師が教えてくれたの。希望を捨ててはいけない。絶望に身を任せてはいけない。
今は耐えるしかなくても、きっと報われるときがくると。だから私達シャールバの民は、魔王の近くにいても魔物にはならないのよ」
はっとして、セトは尋ねた。
「ひょっとして、その人はアレクサンダー・リュシオンと名乗っていなかったか?」
「名前は言わなかったけど、長い銀髪の、鋭い目をした魔術師だったわ。ただ、西の峡谷へ降りてしまって、帰ってこなかったわ。
そういう人はたまにいるのよ。シャールバの民の中でも、魔王を一人で倒そうとして、峡谷へ降りて行く人が。帰ってきたためしはないけれど」
銀髪の魔術師。リュシオン先生で間違いないだろう。ここまでの道筋は合っていたことが証明された。しかし、やはり魔王の巣からは帰ってきていないのだ。セトは一刻も早く後を追いたい気分に駆られた。
知ってか知らずか、彼女は、けんがとれたように、明るい声で話し始めた。
「私達の本拠地は、魔王の巣の近くにあるの。
最初北に案内したのも、私達の本拠地をレムナード兵に悟らせないためよ。
いいわ、私達、砂漠のシャールバの村を教えてあげる。ただし、他のレムナード人には一切知らせないこと。これが条件よ」
皆、黙って肯いた。ザグはともかく、他のレムナード人がシャールバの民の本拠地を知ったらどうなるか、ウルグの都で見た首つり死体で嫌と言うほど分かっていた。
「しかし、こんな砂漠に大人数で暮らせる場所があるのか?
一体どういうところなんだ?」
セトの問いに、フード、いや、ライラ・レイラは一言で答えた。
「シャングリラよ」




