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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第2章 魔王討伐隊
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第38話 嗤う子供

 どこまでも続く道のない砂漠を、彼等は西へ西へと歩いていた。

 太陽はぎらぎらと照り付けるが、周りにはほのかに涼しい風が舞っている。


「レムナード兵達との旅からこうだったらよかったんだがなあ」


 ビョルンが微笑みながら言った。


「いや、この人数だから風幕が張れるんだ。それに、もう少ししたらこの風幕も休憩するから」


 セトが宣言すると、皆一様にがっかりした顔を向けた。そんな顔をされても、涼しい風を出す魔術は一刻ほどしか使えない。敵が来たときに備えて、魔力を残しておくことも必要だ。


「キャーキャキャキャ! 砂漠で煮えるのはごめんだぜ! 用がすんだら早くしまえよ!」


 杖の先の鳥が高らかに鳴いた。ラインツがいらいらとした口調で言った。


「もう一度聞くが、その鳥はお前が言わせてるのか? 率直に殴りたい」

「違う。杖が勝手に言ってる」


 セトもうんざりして杖の先についた黄金の鳥を見上げた。最初は皆に打ち明けようか迷ったが、ここまでついて来てもらった恩もある。戦闘も西にいくにつれて激しくなるだろう。その前に心構えがあったほうがいいということで、セトは改めて自分の杖を紹介した。

 意志をもつ、初代魔王の杖だ、と。

 どおりで気味の悪い魔力だとラインツは頷いたが、他の面々の反応は思ったより薄かった。あまり歴史に興味がなかったらしい。

 ただ、杖の鳥に会話を許可した途端、その評価は変わった。


「あっちいんだよ! 風幕張れ風幕!」鳥がしゃがれた声で叫ぶと、海賊達は手を打って喜んだ。


「こいつはいい! 本当にしゃべる杖だ! 大道芸をやれば稼げるぞ!」

「俺が大道芸だと? 初代魔王の杖様になんてことをやらせようとするんだ、こいつら!

 セト、こいつらだけ風幕から外してやれ!」


 そうもいかないだろう、とセトは全員を包むように風の幕を張った。日差しは遮れないが、絶えず涼しい風がゆっくりと循環する。よく冷暗所に使う魔術だ。

 もうそろそろこの魔術も止めた方がいいと思い出したころ、日がやっと傾いてきた。しかも、海賊の勘なのか、奇跡的に岩場まで見つけた。ここで休めば、夜に砂嵐が襲ってきても安心だ。

 やっとこの始終うるさい杖をしまえるようになり、彼はほっとした。ザグは几帳面に西に向かって礼拝をしていた。


 一番星が光り、半分の月が昇りだす。それは、温かい夕食を終え、皆が毛布に包まり、眠ろうとしていた頃だった。天幕はあるが、それだけで砂漠の寒さは凌げない。

 ラインツがやおら起き上がり、出入口にかけてある布をめくった。


「全員気をつけろ!何かいる!」


 その言葉で、焚火を囲んでとろとろとまどろんでいた面々ははっと起き出し、入口から次々と外に出た。外は、風が舞っているらしく、砂で視界が悪い。

 月の光がかろうじてぼやけている。


「どこに何がいるって?」


 セトはそう言って、杖を出した。この埃っぽい砂漠に、魔術で水でもかければ視界がよくなるだろうか。このあたり全体に水をかけるとなると、相当の魔力を使うことになるが。


「あそこだ!あんなところに女がいるぞ!」


 ラインツが長剣を構えて、油断なく踏み入っていく。セトは目をこすったが、人影すら見えなかった。


「見ろ!お宝だ! 金貨に王冠、お宝の山だ!」


 いきなりジュリオがそう言って、全く違う方向に走り出した。ロビも目を輝かせて後に続く。

「お宝?」セトはそっちを向いたが、これも見えなかった。

 まずい。魔物に、幻影を見せられているようだ。

 と、がしっと腕を掴まれた。誰かと思って見ると、マリアンが青い顔をして立っている。


「見えるか?」


 そう聞かれて、彼はかぶりをふった。


「そうだろうな、これは夢だ。姉様が、あそこにいる。手招きしている」


 彼女は彼女で、また全然別の場所を指差す。確信して、セトは大声で叫んだ。


「敵の攻撃だ! 皆、戻れ!」

「嫌だね!」


 ビョルンがとたんに走り出した。


「来い、化け物だ!」


 そういいながら、空に斧を振り回している。既に術中に陥っているのだ。


「あそこに七面鳥が見えるのですが、砂漠で七面鳥とはどういうわけでしょうか」


 天幕から離れてはいけないと言われているザグですら、ぶつぶつとつぶやきながら別方向へ歩きはじめた。

 駄目だ、止めなくては。直ちに、セトは水の呪文を唱えようとした。皆が幻覚を見ているのは多分この砂のせいだ。

 と、セトは詠唱を思わず止めてしまった。

 銀髪をなびかせた魔術師が、こちらを見ている。

 リュシオン先生が、生きている。

 抗いがたい力に引かれて、かれは数歩踏み出して叫んだ。


「リュシオン先生!」


 掴まれた腕が振り払えず、セトは思わずマリアンに言った。


「ちょっと離してくれ!」

「馬鹿言うな。何が見えているのかしらんが、私は姉様の幽霊など信じない。それは幻影だ!」


 強い口調で言われ、セトは歩みを止めた。

 そうか。一番心に引っ掛かっているものを、この幻は見せるのだ。ここは客観的な意見を聞いた方がいい。


「おい鳥、お前には何か見えるか?」

「何にも」杖の先は面倒臭そうに言った。「人間はしがらみが強いなあ」


 こうはっきりと見えていては混乱してしまうが、やはりあのリュシオン先生は幻だ。

セトは改めて、水の呪文を続けた。杖を中心に沸き起こった魔力は、最後の言葉とともに空の一天へと上がった。そして、そこから縦横無尽に飛び散った。これはよく薬草菜園の水まきに使われる魔術だ。量こそあまり出せなかったが、砂埃を落ち着かせるには十分だった。

 すぐに、互いの姿がはっきりと見えるようになった。そして、砂埃とともにリュシオン先生は消え失せた。


「お宝は? どこへいった?」


 ジュリオが狼狽して叫んでいる。ビョルンも敵が見えなくなったのか、斧を振るのを止めてきょろきょろしている。


「おい、今の敵は魔物か? それにしては知能犯だ」


 ラインツが言い、周りを見渡した。


「見ろ、ありゃ誰だ?」


 それは、今まで見えもしなかったところから突然現れた。背は低く、顔は頭に被った白い布の影になって見えないが、どうやら子供だ。しくしくと泣いている。


「おい、大丈夫か?」

「やめろ、おかしいだろ」


 思わず子供の方へ行きかけたマリアンを、今度はセトが逆に止めた。こんな砂漠のど真ん中に、五、六歳くらいの子供が一人。おかしいとしか言いようがない。子供は泣きながら、こちらへ進んでくる。歩き方がまた変だった。まるで砂を滑るように、全く足を動かさずにすうっと近づいてくるのだ。


「気をつけろ!」


 ラインツが長剣を握り直した。

 その途端、子供が泣くのを止めた。静寂が訪れ、全員が動けずにその子供を見つめていた。そして、


「きゃははは!」


 場にそぐわないが、背筋が凍るような声を立てて子供が嗤った。女の子のような、高い声だった。

 と、ざばっと大きな音を立てて、子供が宙に浮き上がった。

違う。子供の腰には触手が巻きついている。そして、その一方にはぎざぎざの歯をした巨大な魚のような魔物が、こちらを一飲みにしようと飛びかかってきた。


「危ない!」


 間一髪、セトとマリアンは横に跳びのいた。

 子供は魔物の頭の先で、朗らかに笑っている。

 セトはティルキア港の市場で見た深海魚を思い出した。光のついた擬似餌を振って餌をおびき寄せ、捕らえる魚だ。ティルキア港でも年に数匹しか水揚げされない珍味だという。

 煮ると上手いぞ、とマリアンが紹介していたが、カニ以上に食べられる気がしなかった。

 つまり、今はセト達が餌の替わりというわけだ。


 笑っていた子供が、いきなり黙った。そして金属的な音で話しはじめた。


「魔王に近づいてはならぬ。近づけば命はないぞ」


「はん! 何言ってんのかわかんねえが、こちとらヴェルナースの傭兵だ!

 お前も魔王もぶっ倒してやるよ!」


 ビョルンが大斧を振り上げて叫んだ。何を言っているのかわからないなりに、会話が成立している。

 きゃはは、と子供はもう一度子供らしい声で笑い、魚はまた砂を巻き上げて沈んだ。

 水で落ち着いたと思った矢先に砂が巻き上げられ、またもや幻影が現れた。


「かたまれ、分断されるぞ!」ラインツが叫ぶ。

 しかし、からくりを知っていてもなお、リュシオン先生ははっきりと見え、こちらをじっと見ている。気が散って仕方がない。


「おい、お宝がまた現れたぞ!」


 ジュリオとロビが性懲りも無くまた別方向に駆け出した途端、大量の砂埃と共に魚が飛び出した。彼等は慌てて長剣を振るったが既に遅い。きゃはは、という笑い声の後、ジュリオが魚に飲まれるのがぼんやりとまう砂ごしに見えた。


「兄さん!」


 ロビ叫ぶが、間に合わず、ジュリオを飲み込んだ魚は子供ごと砂の中に消えた。


「あの遺跡みたいに砂を吹き飛ばせ!」ラインツがセトに命じた。

「無理だ! 足場のない場所で砂を吹き飛ばしても、下に潜られるだけだ! それより、策がある!」


 セトはとっさにガラス化の呪文を唱えた。リュシオン先生の十八番だった魔術だ。


「皆、地面に注意しろ!」セトは言うなり、地面に杖を突き立てた。


 ぱりぱりと音を立てて、真っ白に輝く薄い膜が巨大な円を描いて張られていく。


「ガラスだ! 皆一歩も動くな!」


 セトが注意した。ガラスに覆われた場所で砂埃がまうことはない。幻影も一気に消えた。しんとした不気味な沈黙が、辺りを覆った。緊張が続く。相手は表面にガラスの膜が張られたことに気付いただろうか? セトはどきどきしながら、ひたすら待った。ジュリオはどうなったのか。確かめたいが時間だけがすぎていく。

 と、ぴしっとガラスの鳴る音が聞こえたとき、マリアンがすでに長剣をそちらへ放り投げていた。子供の下の醜悪な魚が顔を出したとき、ぶすっと魚の額に剣が突き刺さった。


「よし!」彼女は叫ぶと、もう一度魔力の剣を出す呪文を唱えた。

 魚の頭から剣が消え失せ、悲鳴のような咆哮があがる。

 セトは舌を巻いた。暗記はからっきしだが、こういう応用にはセンスがある。元々、杖は神聖な精神の武器であって、殴ったり斬ったりなどは本来の使い方ではない。ぶん投げるなど想定外だ。しかしそれを当然のようにやってしまうのがマリアンの強みだ。

 今の一撃はかなり効いたようで、魚はぎゃあぎゃあと叫びながら転がっている。


「ジュリオ! 無事か?!」


 マリアンが薄氷を壊すようにガラスを踏んで駆け付けようとする。

 しかし、その前にロビが長剣を振るった。呻く魚の首を跳ね、ぴくぴくしている魚の胴体からジュリオのタトゥーだらけの腕が見えた。ロビが引っ張り出そうと腕を持とうとした瞬間、腕が引っ張られるように魚の胴体に引きずり込まれた。


「おい、どうなってるんだ!」


 ロビが飛びのいた。あれだけ傷を与えたにも関わらず、魚の切り口がぐちゅぐちゅと嫌な音を立てて再生している。前の蛇と一緒だ、と直感的にセトは分かった。再生する魔物は初めてだが、本体を攻撃しないかぎり、致命傷にはならないのだ。

 と、マリアンが走りながら叫んだ。セトからは彼女の背中しか見えない。


「ロビ! 背中を借りるぞ!」


 そして、ロビの背中を勢いよく蹴りつけて舞い上がる。きゃははは、と嗤う子供の高さまで一気に飛び上がると、子供に対して思い切り剣を振るった。首が宙を飛んだ。子供は嗤ったような、泣いているような声を上げ、首だけが地面に転がった。

 その途端、ギャアギャアと魚の首も泣きわめき、再生も止まった。


「兄さん!」


 ロビが叫びながら、魔物の胴体からもう一度兄の腕を引っ張り出している。しかし、誰も手伝う勇気が出なかった。もう駄目だ、と悟っていたからだ。ずるっとひっぱり出されたジュリオが口を開いたとき、皆が驚愕の眼差しで見つめた。


「臭っ。魔物の胃の中って臭いな」

「生きてるよ、おい。悪運つえーな!」ビョルンが口をぱくぱくさせている。

「あー、噛まれる前に中にどんどん入ったのがよかったかな。あいつ、でかかったし」

「心配させるなよ兄さん! 兄さんがいなくなったら、俺が話さないといけないんだぜ」

「ロビ、自力で他人と会話くらいはしろ」


 しかしあのお宝はもったいなかった、と屈託なく語る海賊達を前に、魔物を斬ったマリアンは、微笑んだだけで何も言わずに天幕へ戻っていった。背中が、いつもより寂しそうだった。セトは、彼女の気持ちが手に取るように分かった。魔物を斬った、というよりも、人を斬ってしまったという気持ちの方が大きいのだろう。例え元々は人だったとしても、外見があまりに違えば罪悪感はほぼない。以前の馬や蛇の魔物のときは、人でない分爽快感すらあった。だが、外見が人間に似た魔物は、想像以上に精神的な負担がかかる。リュシオン先生と魔物の調査に出ていた時も、えてしてそういうことがあった。たとえ人には戻れない、と自分に言い聞かせていても、リュシオン先生が人殺しをしているように見えてしまうからだ。魔物調査に慣れていないときは目をつぶってしまうことも多かった。最も、今では人型であろうがあまり気にもしなくなってしまったが。

 彼らが天幕へ帰って行く隙に、セトはこっそり砂を掘り、小さな首を埋めた。朝日が昇れば、魔物の死体は灰となり消えていくと知っていても、そうしたかった。

 白い布を被った子供は、整った顔立ちの女の子だった。しかし、この子供……いや、魔物は何を知っていたのだろう。断末魔にこの子供はこう言った。


「立ち入ってはならない場所がある。

 『洞窟の子』なら分かってくれると思っていたのに」


 恐らく、この子供は砂漠で捨てられたか道に迷ったかして絶望し、あんな姿になったに違いない。しかし、問題はなぜセトが『洞窟の子』だと知っていたのか、ということだ。

 この秘密は、セトとリュシオン先生しか知らないというのに。

 先生はこの砂漠のどこかにいる。そして、ある程度制御の利く魔物を使い、セトの行軍を阻んでいる。セトは途方にくれて満天の星空を眺めた。そうとしか考えられないが、どうしてそこまで拒むのか、理由が分からなかった。


「ジュリオ、お前臭いから外で寝ろ!」

「絶対嫌だ! 剣聖ラインツ様ともあろうお方が、俺を凍死させる気か?」

「幻のお宝に目がくらんで馬鹿やった結果だろうが! 外で頭を冷やせ!」

「……七面鳥……捕まえたかったです……」

「だから、あれは幻!」


 天幕の方からわいわい騒いでいる声が聞こえ、セトはふと我にかえった。馬鹿馬鹿しい会話に、思わず笑みがこぼれる。

 そうだ、行って聞いてみればいいだけだ。この面々なら、きっとリュシオン先生のいる場所までたどり着けるだろう。彼はそう考えて、手の砂を払い、天幕まで戻っていった。

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