不安と希望
絶望的な状況だ。
犯人が誰か未だわかっていないが殺されたのはエネル王妃の右腕とも言える存在だった。
王妃が自分を処刑にする理由として十分なものだろう。
王妃の側近が殺されるという事件が起きてからヴィルは一度も塔へ来ていない。
このことも気になる。
しかも今日の夜は空に月が現れない。
自分の死が確実に迫ってきているのではないか。
不安と恐怖ばかりが募っていく。
その時だった。部屋に、ガタンと何かが落ちてきたような大きな音がした。
その音の原因にキーラは言葉を失った。
「キーラ早く、逃げるぞ。」
木から出窓に飛び移ったらしく木の葉まで部屋に入ってきている。
「クレド、なんで来たんだ。」
「街で聞いたんだ。お前が処刑されるかもしれないって。」
「そんなの僕だってわかってるさ。ヴィルも戻ってこないしきっと何かあったんだ。だから早く帰れ、今みつかったらクレドまで僕と死ぬことになる。」
友達を死なせたくはない。
これは二人の共通の想いだった。
「ああ、一緒に死んでやるさ喜んでな。でもそれは本当に最後の手段だ。逃げるんだよ。来る途中兵士の集団を追い越した。この意味はひとつしかないと思う。」
東には兵の訓練所はない。
国の所有の建物もこの離塔のみ。
一瞬二人が沈黙したと時だった。部屋のドアがノックも無しに開けられた。
「キーラ様、逃げて下さい。エネル王妃の兵がそこまで来ています。」
息を切らし、取り乱した様子だ。いつもの穏やかなワズリーではなかった。
明らかに自分を死に至らしめるもの存在が近づいてきている。
「クレド殿、どうかキーラ様をお願いいたします。」
もはやクレドの姿に驚くこともなくすがるように肩を掴んだ。
「でも僕がいなくなたらワズリーやヴィルはどうなるの?」
「ヴィル殿が戻られることはもうありません。もう二度とないのです、キーラ様…あのお方はもう…。だからお願いですキーラ様逃げてください。私をこれ以上悲しませないで下さい。」
ワズリーは床に座り込み、顔を覆った。
そしてキーラが今まで聞いたことのない声を上げていた。
一日もキーラの部屋を訪れることを欠かさなかったヴィルが来なかった理由。
自分のせいで大事な人がひとりこの世からいなくなってしまったのだ。
瞬時に視界は曇り、目の前が歪んでいく。
キーラの頬をつたい落ちていくそれが床をたたいた。
行こう、とクレドが声を掛け、キーラの手を取ると塔の階段を駆け下りた。
庭に出ると門番が大門ではなく脇の小さな扉を開けている。いつかクレドが言い争った門番だった。
「キーラ様、お急ぎください。ご無事をお祈りしています。海賊少年頼んだぞ。」
「ああ、確かに秘宝は頂いたよ。」
クレドは門番に手を振るとキーラの手を引き塔の外へ飛び出した。
キーラにとっては二年ぶりの外の風景だった。
「キーラ、大丈夫か?行くぞ。」
塔を背に右に行けば市場の方角、城のあるこっちに向かうわけにはいかない。かといって左の道、こっちにはもう旅団テントはない。
どこに逃げたらいい?
少し迷っていたその間、右の道にぞろぞろと歩く人影が見えてきた。金属の擦れるような音ともに現れたそれは軽装ではあったが武装した兵の姿だった。
「キーラ、来い。」
少々乱暴だったかもしれないがキーラの腕を引っ張ってまっすぐ走り出した。道ではない森の中を。
「遠かったとはいえ奴らに見られた可能性が高い。オレにここの土地鑑はないからお前が頼りだ。この先には何がある?」
走りながらキーラは涙を拭った。
ここで自分がしっかりしなくてはいけない。
これ以上大事な人を失いたくはない。
「この森はそんなに大きいわけじゃない。この先に川があるんだ。そこに橋が架かってる。だからそこを渡って橋を壊せば簡単には追って来られないと思う。このすぐ先だよ。」
「橋を壊すって、そんな事そう簡単に出来るのか?」
「古い橋だから、燃やすか刃物で継ぎ目を切ればたぶん。」
「分かった、そこへ急ごう。」
木々が生い茂り光がほとんど届かない薄暗い中。
二人は出っ張った木の根に足を取られないように注意しながら走った。
「もう橋が見えてくるはずだ。」
森を抜けると月明かりに木の柱のようなものが2本立っているのが見えた。
橋だ。
勢いよく走っていた二人だったが柱の手前まで来ると立ち止まった。
「柱しかない。」
呆然と立ち尽くし呟いたキーラの目の前に橋などなかった。
かつて橋であったもの、今は柱と汚れて傷んだ木の板がわずかに垂れ下がっているだけだった。
何年か前には壊れてしまっていたのだろう。
「最悪泳いで渡ればいいと思ってたけど、無理みたいだな。」
かつて存在していた橋はつり橋。下に川が流れているが距離はここからどのくらいあるのだろう。見たところ両岸とも切り立った崖になっている。これでは向こう岸に渡るのは不可能だ。
「引き返してなんとか別の道を探そう。」
「そうしたいのは山々だけどちょっと無理みたいだぜ。耳、澄ましてみろよ。」
しんと静まりかえる森の中聞こえてきたのは、ばらばらとしたまとまりの無い音。
距離はまだ遠いようだが金属の擦れるような音とともに大勢の足音が近づいてきている。
「なあ、この川の深さはどれぐらいあるんだ?」
「大きな船が浸かるくらい深さがあるって聞いたけど。もしかして飛び込む気か?」
「それしかもう手はないと思うんだ。」
「無茶だ。この高さじゃ、よほど飛び込みで泳ぐ事に慣れた人間じゃないと着水する前に崖にぶつかるよ。」
クレドは再度下をのぞきこんだ。
「この高さだと公演で使う一番高い高台と同じくらいだと思うんだ。」
「いくら高さが同じでも飛び込むのとは訳が違うよ。」
失敗すれば待っているのは確実に死だ。それなのに目の前の友人は微笑んだ。
「幻想旅団ではさ、高台に上がって最初にやるのは落ちる練習なんだ。」
複数の足音は確実に大きくなってきている。
もうあまり時間がない。
「お前はオレにつかまってればいい。」
そう言って、差し出された手。
僕はクレドの方へ手を伸ばした。




