王位継承戦争歴史文献考察
「王位継承戦争歴史文献考察」
王立史学会著、クレメンティアの歴史等王立派学会著作物には王位継承戦争勃発の10年ほど前からキーラ・クレメンティアに関する記述が見当たらなくなる。他学会歴史書にもキーラの生涯について書かれたものは少なく、どれも事実確認がとれておらず謎多き人物である。また多くの他学会派歴史書は王立派学会によって焚書されていった為この時期一体何が起きていたのか明確にされた点が少ないことも特徴的である。
しかしこのような中でも歴史の真実を隠し通すのは不可能であると筆者は考える。
「王位継承戦争歴史文献考察」
クレメンティア暦972年。当時第一王妃であったエネルの側近の一人、ガイラス左大臣が暗殺されるという事件が起きた。犯人については諸説あるが真相は未だ分かっていない。王位継承者を自分の子にする為エネル王妃自らが大臣暗殺を命じたのではという説もある。この事件を理由にエネル王妃は元第一王妃ユリアネの子、キーラの処刑を命じている。しかし、どの文献にも処刑されたという記述が無い。当時クレメンティアで発行された新聞には第十の月十二日にキーラ王子が幽閉されていた東の離塔前で少年二人が走っていくの見た、という証言記事が掲載されている。この日付けはエネル王妃が処刑の命を出し、兵を塔に向かわせたのと同日である。
また、クレメンティアの東方リュクセルの田舎町に実に興味深い童話が残っている。
ある日盗賊がやって来た!
一緒に賢者もやってきた!
二人は突然やって来た。
二人はここに住み付いた。
二人は村に知恵与え、
村をうんと暮らしやすくした。
二人は知識を語ったが二人は何も語らない。
名前も素性も明かさない。
名前がなくては呼ばれない、
困った村人は名を付けた。
賢者のように物知りな、
栗色の髪した少(以下破損の為読み取れず)
もひとり、髑髏の装い、右目を隠す。
盗賊のような少年は、
この時やっと名を明かす。
クレドと名乗った少年は、




