プロローグ:額縁の平和とモンマルトルの異変
Geminiさんと作ったものです。
時代考証やらなにやらは全く無視しておりますのであしからず。
プロローグ:額縁の平和とモンマルトルの異変
「師匠はこの様子だし……一体なぜ、こんなことに……」
モンマルトルの高台にある古びたアトリエの窓から、リュシアン・モローは遠くに見えるセーヌ川の対岸を見つめながら、重い溜息をついた。
雨上がりのパリの街並みは一見して美しかった。だが、その建造物のあちこちには、植物の葉や石畳、古い彫刻の表面にまで、奇妙な「黄金の結晶」が不気味な膜のようにこびりつき始めていた。
それは自然の錆びや風化ではない。触れた者の温もりを奪い、幾何学的な冷たい輝きで強制的に固定してしまう異形の侵食だった。
「うーん、この青の発色はなかなかいい……素晴らしいグラデーションだねぇ」
アトリエの隅では、前作の悲劇的な戦いの末に記憶を失った元師匠、ジョルジュ・ポルページが、絵の具の壺を手に鼻歌を歌っている。かつて冷酷な「黒き美の王」として君臨していた面影はどこにもなく、今の彼はただの無邪気で絵が大好きな老人に過ぎなかった。
そして、部屋の壁際に置かれたイーゼル——そこには一枚の古びた絵画が飾られていた。
前作の戦いの後、受肉を果たせなかった相棒・ゲブは、このキャンバスの奥に広がる静かな絵画の世界で、穏やかに暮らしていた。
「……ポルページさん、ここで大人しくしていてくださいね。勝手に外に出ちゃダメですよ」
リュシアンは作業用の革ジャンを羽織り、ポケットに修復用ナイフを忍ばせると、一人アトリエの鍵を閉めた。
まずは一人でパリの街に出て、謎の黄金化現象の聞き込みを開始する。
モンマルトルの石畳の路地では、芸術家や古物商たちが怯えた様子で囁き合っていた。
「おい、見たか? 聖堂の裏手の石像が、昨夜のうちに丸ごと金ピカになっちまったんだ」
「触ったら氷みたいに冷たくて、何で擦っても色が落ちないんだよ……」
リュシアンが馴染みの古物商の店主に声をかけると、老人は周囲を警戒しながら声をひそめて言った。
「……ここ数日、夜になるとオペラ座の地下の方角から、甘ったるい金属の匂いが漂ってくるんだ。それに、紫のシルクハットを被った異様な男が、金の装飾壺を抱えて歩いているのを見た奴がいる」
「紫のシルクハットの男……?」
「名前も正体も誰も知らん。ただ、あの男と関わった芸術家たちが、次々と『完璧な美が見える』と言い残して街から姿を消しているんだ……」
犯人の名前も、その真の目的も、この時点ではまだ誰一人として知る由もなかった。
だが、その恐ろしい侵食の影が、オペラ座の地下深くに潜んでいることだけは確かだった。
リュシアンは一人、冷たい風が吹く街角に立ち尽くした。
修復士としての目があれば、街を侵食する絵の具や物質の『歪み』そのものを解読することはできる。だが、オペラ座地下という巨大な闇の中で仕掛けられた罠を察知し、犯人を手繰り寄せて追い詰めるには、あまりに危険すぎた。
「僕ひとりだけの力じゃ……この謎の裏に潜む存在に立ち向かいきれない」
リュシアンの頭に浮かんだのは、絵画の世界で穏やかに生きている、あの頼もしい相棒の姿だった。




