第2話 さらばハイセイコー
菊花賞でのハナ差の激闘は、ダービーに続いてタケホープの勝利となった。この頃からハイセイコーは、「怪物」とは呼ばれなくなった気がする。
それでも自分の中でハイセイコーは憧れの存在であり続けた。怪物でも、絶対王者である必要もなかった。この感覚は長い間うまく言い表せずにいたのだが、今ならいい言葉がある。
『推し』だった、ということだ。
三冠クラシックのドラマが終わったせいか、父がハイセイコーの出るレース中継に自分を誘ってくれることがなくなった。たぶん父自身が見なくなったのだろう。
紙と色鉛筆さえあれば必ず、白いメンコに紫袖の勝負服の、ハイセイコーの絵を欠かさない『推し活』を続けていたわりに、このあと自分がハイセイコーのレースを見た記憶は2度しかない。1つは、テレビで流れていた競馬中継で偶然出会った高松宮杯、そしてもう1つは、父に声をかけられて見た引退レース・有馬記念だった。
この有馬記念はハイセイコーとタケホープ、どちらにとっても引退レースという、最後の対決だった。「引退」という言葉に不思議と驚きはなく、そろそろそういう時期か、という感覚だったと思う。ハイセイコーを知ってから1年半以上。小学校に通い始めたばかりの子供にとって、これは相当に長い時間だった。
レースには、ほかに知っている馬としてタニノチカラがいたが、これには負けないだろう、と子供心に思っていた。まだ競馬の仕組みに自信がなかった自分は、おそるおそる「キタノカチドキは出ないの?」と父に尋ねた記憶がある。キタノカチドキは来年じゃないかな、と父は言っていた。
レースは予想に反してタニノチカラが勝ち、ハイセイコーははっきり差を付けられての2着だった。残念ではあったが、宿敵・タケホープを3着に抑えて先着したことへのうれしさの方が大きかった。最後にはハイセイコーが勝ったのだから。
この何日か後に、ハイセイコーの引退式の中継を見た。パドックでタケホープから贈られたという、色鮮やかなニンジン製のレイを首にかけられ、ツル首になってニンジンを食べようとしているハイセイコーの姿が微笑ましかった。
そしてこれが、この時代の自分の圧倒的な『推し』、ハイセイコーの見納めだった。
その後に迎えた冬から春にかけて、去って行ったハイセイコーを惜しむように、テレビや街中で、主戦・増沢騎手の「さらばハイセイコー」をよく耳にした。
増沢騎手の視点で歌われる歌詞だからだろうか。「逃げろよ逃げろよ 捕まるな」のフレーズは今でも、あの菊花賞のゴール前を歌っているような気がする。
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