第8話 ユーザーはデザイナーではない
週明けの月曜日。
私と佐伯は、電車を乗り継いで奥多摩観光協会の事務所を訪れていた。
「先週のトラブルのヒアリングと、今後の運用フローの見直し」
佐伯がそう名目を立ててアポを取ったのだ。
事務所は古い公民館の二階にあった。パイプ椅子とスチールデスクが並ぶ室内には、のんびりとした空気が流れている。
「いやあ、わざわざ遠くまで申し訳ない。先週は本当に助かりました」
権田さんが、恐縮しきった様子で私たちを出迎えた。
「いえ、とんでもないです。その後、更新作業はいかがですか?」
私が尋ねると、権田さんは困ったように眉を下げた。
「それが……実はあの後から、新しい記事を上げられなくてですね」
「えっ? システムのエラーですか?」
「いえいえ! システムは元気ですよ。ただ、私の腕が追いつかなくて……」
権田さんに案内され、彼のデスクのパソコン画面を覗き込む。
そこには、Windows標準の「ペイント」ソフトが開かれ、画面いっぱいに、地元の農家のおばあちゃんが笑っている写真が表示されていた。
「あかりさんが作ってくれたマニュアル通りに、写真を『横幅800ピクセル・縦幅450ピクセル』に切り抜こうとしているんですが……」
権田さんはマウスを握る手をぷるぷると震わせながら、不器用な手つきで四角い選択範囲を作ろうとしていた。
「ここを切るとおばあちゃんの顔が切れちゃうし、顔を入れると大根が切れちゃうし……。どうもうまくいかなくて、もう一時間もこれと格闘してるんですよ。ハハハ……」
乾いた笑い声を聞いて、私は背筋に冷や水を浴びせられたような衝撃を受けた。
(一時間……?)
デザイナーの私なら、Photoshopを使って十秒で終わる作業だ。
でも、権田さんは違う。ITの専門家でもなければ、デザインの知識もない。彼はただ「地元の人たちの笑顔を伝えたい」だけなのだ。
「権田さん、地元の情報発信が本来の業務ですよね」
佐伯が、静かな声で口を開いた。
「ええ、そうです。今週もイベントが目白押しで、早く皆さんに知ってほしくて」
「それなのに、あなたは今、画像の加工という『デザイナーの真似事』に多くの時間を奪われている」
「うっ……お恥ずかしい」
「いや、権田さんが悪いわけではありません」
佐伯はそう言うと、視線を私に向けた。
「一ノ瀬さん。我々はユーザーの意向を無視した芸術作品を作っているんじゃない。権田さんが求めているのは何か……。この状況を見れば分かるはずだ」
佐伯の言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
権田さんが求めているのは、雑誌のような美しいレイアウトではない。
「早く、簡単に、地元の魅力を発信できる道具」だ。
私が提案した「高尚なデザイン」は、権田さんから本来の業務時間を奪っている。
そして、彼がルールを破ってしまえばサイトが崩れ、結果として私の残業まで発生する。
(……私、なんて馬鹿なことを)
私は「残業しないためにクオリティで納得させる」などと息巻いていた。
だが実態は、自分の「美学」をクライアントに押し付け、結果として全員の時間を奪う『非効率のループ』を生み出していただけだ。
「あかりさん、本当にすまんね。私がもっとパソコンに詳しければ、あんなに綺麗なデザインをもっと活かせるのに……」
権田さんが、本当に申し訳なさそうに謝ってくる。
その顔を見た瞬間、私はいたたまれなくなって、ギュッと拳を握りしめた。
ユーザーは、デザイナーなんかじゃない。
そんな当たり前のことに、私はどうして気づけなかったのだろう。
「……権田さん」
私は一歩前に出た。
「謝らないでください。間違っていたのは、私の方です。本当に申し訳ありませんでした」
佐伯が、少しだけ目を細めて私を見た。
「私が直します。……もっと、ずっと、簡単に使えるように」
私は背負っていたリュックから、自分のノートPCを取り出した。




