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その言葉は、戦の始まり

 朝の光が差し込む宿の一室。鏡の前では、リリスが椅子に腰かけ、じっと前を見つめていた。


 背後では、アイシャが丹念にリリスの髪を整え、手際よくリボンを結い上げていく。その表情は、いつにも増して真剣だ。


「お嬢様、少し目を閉じていただけますか……はい、結び目が緩まないように……よし、完璧です」


 アイシャは仕上げの香り袋を胸元のリボンにそっと縫い留めながら、リリスの顔をのぞき込んだ。


「お嬢様、不安ですか?」


 その問いかけに、リリスは思わず小さく笑い、鏡越しにアイシャを見つめ返す。


「ふふっ、さすがにね。だって、人生初の王都デビュー、お茶会でしょ? 緊張しない方が変よ」


 その答えに、アイシャもふっと表情を緩めた。


「ですが――お嬢様は素晴らしく可愛い美少女ですので、大丈夫ですよ。どこへ出しても恥ずかしくありません」


「も、もう……そういうの、からかってる?」


「いえ、真実を述べているまでです。少しでも緊張を和らげていただけたなら、侍女として本望です」


 リリスは思わず笑みをこぼしながら、胸のリボンに添えられた香り袋にそっと指を添えた。


「ありがとう、アイシャ。あなたのおかげで、落ち着けそうよ」


 その一言に、アイシャはぴしりと姿勢を正して頭を下げる。


「ご武運を、お嬢様。今日という日が、よき門出となりますように」


「……やっぱり、アイシャには中までついて来てほしかったな」


「お気持ちは嬉しいですが、お茶会は貴族令息令嬢同士の交流の場。今回は尊き方も居ますし侍女がそばに控えるのは、どうやら許されていないようです」


「……わかってる。あとで、感想聞いてね?」


「もちろんです。――どうか、誇り高き子爵家の娘として」


 やがて部屋を出て、宿の玄関にはすでに馬車が待っていた。

 護衛役として控えていたセラ・アンジーが、軽く頭を下げて挨拶する。


「準備は万全です。どうか安心してお任せください、リリス様」


「ありがとう、セラさん。――じゃあ、行きましょう」


 リリスは馬車に乗り込み、王都の空を見上げた。

 初めての舞台、初めての社交の場。胸が高鳴るのを感じながら、リリスはそっと拳を握った。



 白亜のテラスに足を踏み入れた瞬間、リリスは空気の重たさを肌で感じ取った。

 花壇に囲まれた庭、涼やかな風、紅茶の香り――けれどそのどれよりも、彼女を取り巻いたのは“視線”だった。


「……誰、あの子?」

「見ない顔ね。東のほうの……あの没落子爵家の娘じゃなかった?」

「まさか本当に来るなんて。あの家、もう社交に出られる立場じゃなかったはずよ」

「可哀想……ああいうのを“身の程知らず”って言うのかしら」


 刺すような囁き声が、風に乗って耳に届く。

 だがリリスは聞こえぬふりをして、静かに歩を進める。ドレスの裾を摘み、姿勢を正し、――微笑を浮かべた。


(私は、負けない)


 そのとき、宝石とレースに彩られた華やかなドレスを纏った少女が近づいてくる。

 金の巻き髪と深紅の瞳――ひと目で、場の主導権を握る令嬢だとわかる存在感だった。


「あなたが……リリス・ラヴェンダー? 今回新たに招かれた子爵令嬢、で間違いないかしら?」


「ええ。ラヴェンダー子爵家の娘、リリスと申します。ご一緒できて光栄ですわ」


 優雅に会釈するリリスに、少女はふっと笑みを浮かべた。


「わたくし、カトリーナ・ワームウッド。このお茶会の発起人よ。どうぞ――楽しんでいってね?田舎令嬢さん。」


 言葉は丁寧だが、その目は品定めするように光っていた。


 そのときだった。


「――ご歓談中、失礼いたします」


 朗らかでよく通る声が、会場の空気を変えた。


 振り向けば、二人の少年が控えの使用人に続いてテラスへと現れていた。

 一人は金髪に青い瞳、もう一人は落ち着いた銀髪の美少年。ともに細やかな装飾が施された正装に身を包んでいる。


「王太子殿下……! そして、隣国の――」


「ご紹介いたします。第一王子、エリアス=ヴァーベナ殿下。そして、隣国リュミエール公国の大公嫡男、ジェルヴァーレ=ド=ルクスヴァイン様です」


 周囲の令嬢や令息たちが一斉に立ち上がり、深く頭を下げる。

 リリスも遅れて立ち上がり、ドレスの裾を摘んで丁寧に会釈を返した。


(……このタイミングで?)


 騒然とする空気の中、王太子エリアスはゆっくりとリリスの方へ視線を向けた。


「……君は、ラヴェンダー家の令嬢か」


 静かな口調――だが、確かに興味を帯びた声。

 そのまま何も言わず、彼らは用意された席に静かに腰を下ろした。


 席に案内されたリリスは、周囲に座る令嬢たちに軽く挨拶しながら、様子を伺っていた。

 話題は流行のスイーツや刺繍の話から、各家の近況へと移っていく。


「ラヴェンダー子爵家って、以前は鉱山で栄えていたのよね? 今は農村が中心って聞いたけど……」


 ふいに、隣の令嬢が興味ありげに声をかけてくる。悪意はなさそうだが、探るような視線が向けられていた。


「ええ、田園の多い領地ですの。最近は市場に出たり、保存食の工夫などを――少しずつですが、商売としても形に……」


 その瞬間、空気が凍った。


「……まあ」

「自分で商売、なんて」

「貴族の娘が? まるで行商人じゃない」


 小さなさざ波のようなざわめきが広がり、令嬢たちの表情には、驚きと困惑、そして戸惑いが混じっていた。


 さらに――


「はっ、所詮は田舎育ちのお遊びか」

「商人の真似ごとなんて、子供の暇潰しにしても稚拙すぎる」


 どこからともなく聞こえてきたのは、男の声だった。

 お茶会には、令嬢だけでなく、数名の貴族令息たちも出席していたのだ。


「貴族の娘が自ら商売? 笑わせるな。商売というのは実地と経験だ。子供がわかった風な口をきくもんじゃない」


「しかも没落家だろ? 今さら何をしたって見返せると思ってるのかよ」


 くすくす、と小さな笑い声が重なる中、リリスは静かにティーカップを置いた。


(――いいわ。ここが本当の“社交”なら、逃げるわけにはいかない)


 ゆっくりと微笑みながら、リリスは口を開く。


「皆様も、貴族の令息および令嬢でしたら――お判りでしょう?」


 静かに、だが芯の通ったその一言が、波紋のように場を静かに包み込んだ。

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