表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/93

名前をつけて、売り出す準備を

 朝の台所には、陽光とともに活気が差し込んでいた。

 昨日、市場に持ち込んだ漬け物の瓶は、想像以上の反応を呼んだ。


「……まさか、あんなに人が集まるなんて」


 木箱に残った数本の瓶を眺めながら、リリスはぽつりと呟く。


「お嬢様の読み通りでしたね。“あと一品”を探している家庭は多いのかもしれません」


 アイシャが優しく言葉を添えると、リナも続けた。


「子どもたちも、普通に食べていましたよ。キャベツとにんじんだけなのに……あれなら、暑い日でもご飯が進みそうです」


「保存もきくし、お弁当の隙間とかにも良さそうよね」


 リリスは少し笑いながら、指先で瓶のふちをなぞった。

 庶民の家庭に、こういう“手軽だけど安心できる味”が求められているのかもしれない――そんな手応えがあった。


「リナ、もしかしてこういう保存食って、旅人とかにも喜ばれる?」


「そうですね。日持ちする野菜なら、遠出する方や、船の上の方々にも……」


 リナが言いかけて、少し驚いたようにリリスを見る。


「……まさか、お嬢様。そこまで考えて……?」


「ふふ、まだ思いついたばかりよ。でも、どこかで使ってもらえる未来があるなら、嬉しいじゃない」


 自分たちの台所から生まれた味が、いつか誰かの役に立つかもしれない。

 その想像が、リリスの胸をふわりと温かくした。



 その夜。

 ろうそくの灯りのもと、リリスは机の上に空き瓶を並べていた。

 ラベルもない、素朴なガラスの瓶。でも、そこに込めた想いは大きい。


「名前をつけてあげたいのよ、この子たちに」


 ぽつりと呟いた声に、帳簿をつけていたアイシャが顔を上げる。


「名前、ですか?」


「うん。……だって、商品として誰かに届けたいなら、“これは何か”って伝わらなきゃいけないでしょ」


 アイシャがうなずきかけて、ふと瓶のひとつを手に取る。


「この瓶、やっぱりルビー様の商会から?」


「ええ。“売り物を入れるなら中身が映える容器を使いなさい”って言って、試供用に少し分けてくれたの。……ありがたいけど、ちょっとだけ、くやしいわよね」


 リリスは唇を引き結ぶ。

 貧乏子爵令嬢の自分では、とても用意できなかった量と品質。

 けれど、それを受け取ってでも“先に進みたい”と思えるほど、今の漬け物には価値がある気がしていた。


(そういえば、前世で……)


 ――印刷所の空気。深夜まで続く会議室。

 そこで毎回のように揉めていたのは“タイトル案”と“パッケージデザイン”だった。


『いい? 消費者は中身なんて見ないの。名前と見た目で9割決まるのよ』

 そんなマーケ部の先輩の口癖が、妙に耳に残っている。


(中身が良くても、伝わらなければ意味がない。……だから)


「“ふわっと酸っぱキャベツ”……うーん、ちょっと長いかしら。可愛いけど、覚えにくい」


「“やさし漬け”とか、どうでしょう。響きは柔らかいです」


 リナが手帳を片手にそう口にして、少し照れたように笑う。


「お嬢様の作る味って、やさしくて、でも芯があって……そんな感じがして」


「ふふ、それいいかも。“やさし漬け”……候補に入れておきましょう」


 アイシャも微笑みながらうなずき、三人でいくつかの候補を並べていく。

 それは、まるで赤ん坊に名前をつけるかのような、慎重で、そして少し楽しい作業だった。



「ところでお嬢様、どんな方々に売りたいのですか?」


 瓶に名札を仮止めしていたリナが、ふと尋ねる。

 その言葉に、リリスの手がぴたりと止まった。


「……誰に、か」


 ほんの数秒の沈黙ののち、リリスは言葉を紡ぎ出す。


「例えば、毎日忙しいお母さん。朝のお弁当に、あと一品足りないときとか――」


 彼女の視線は、遠い記憶を見つめるように少しだけ和らいでいた。


「旅に出る人。屋外仕事の人。お野菜が手に入らない場所でも、栄養のある何かを持っていけたらって、そう思うの」


「……それって、すごく商人っぽい考え方ですね」


 ぽつりと呟いたアイシャに、リリスは笑ってみせた。


「ふふ、まだまだ見習いだけど。でもね――“誰に届けたいか”って思い浮かべると、不思議とやるべきことが見えてくるのよ」


(前世で覚えたこと。誰に、どこで、どんなふうに使ってもらうか。

 それを最初に考えないと、広告ってただの紙くずになるって――)


「売る場所も考え直さなきゃ。市場だけじゃなく、パン屋さんとか、行商の人とか……そういう人と組めたらいいかも」


 そこまで言って、ふとリリスの目が瓶に向き直る。


「それに……販路のこと、もっときちんと考えないといけないわね。こういうことって、ルビーに相談してみるべきかも」


「ルビー様、きっと詳しいですよね。各地の店とも繋がっていると聞きますし」


 リナが頷き、アイシャも静かに賛同する。

 まだ確かなものはない。でも、未来の光が一筋、差し込んだような気がした。



 夜が更け、帳簿も片付き、リナもアイシャも部屋を後にしたあと。

 リリスはそっと蝋燭の芯に火を灯すと、慎重に自分の机に置いた。


「……もう一本だけ。これ以上は、だめ」


 屋敷で使える蝋燭は限られている。

 それは“一応子爵令嬢”である自分が、日々実感している現実のひとつだった。

 無駄遣いは禁物。それにもしも何かの間違いで火が倒れれば、それだけで家計も屋敷も危うくなる。


 それでも――今だけはどうしても、今日のことを残しておきたかった。


 リリスは革表紙のノートを開く。

 それは彼女だけの“商い日誌”、この異世界での最初の一冊だった。


《第一頁──やさし漬け(仮)》


 さらさらとペンを走らせながら、リリスは今日の気づきを丁寧に書き留めていく。

 瓶のこと、名前のこと、食べたときの家族の反応。

 そして何よりも、「誰に届けたいか」を初めて真剣に考えた夜のことを。


 前世の自分なら、きっとここで「プロジェクト名:YASASHIZUKE」なんて書いたかもしれない。

 でも、今の自分は違う。これは、一人の少女の挑戦の記録であり、未来へ続く足跡だから。


 ページの最後に、彼女は小さくこう書き添えた。


《この瓶が、誰かの食卓を少しだけ明るくしてくれますように》


 カタン。

 ペンを置いた音が、しんとした部屋に小さく響く。

 その瞬間、どこかで扉が開かれたような、そんな静かな確信が胸に宿った。


(さあ、“やさし漬け”を広げよう。きっとこの味は、誰かを救える)


 蝋燭の火が揺れていた。

 それが燃え尽きる前に、リリスはそっと息を吹きかけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ