転生者のため息と、小さなひらめき
ラヴェンダー家の屋敷を出たリリスは、アイシャとともに再び町外れの農家を訪れていた。
「リリスお姉ちゃん!」
「また来てくれたのね!」
干し野菜やパン床漬けが広まり始めていた。農家の大人たちだけでなく、子どもたちにも好評で、見つけるなり駆け寄ってくる。
「この間教えてもらった干し野菜、ほんとに助かってるんだよ。無駄になる野菜が減ったし、味も濃くなるし」
「おかずが一品増えたみたいで、家族も喜んでるよ」
農家の夫婦が感謝の言葉を伝える中、リリスは穏やかに微笑む。
「そう言ってもらえると、やってよかったって思えるわ」
ただ、その笑顔の奥に、どこか遠い視線があった。
(……でも、これって私が異世界転生者だからこその知識、というほどでもないのよね)
(保存方法や節約の工夫……前世で身に染みた生活の知恵だけ)
ふと、ぽつりと漏らす。
「なんだか、私の知識って全部……節約と保存ばっかりね」
「でも、それで救われてる人がいます。私は、すごいと思いますよ」
アイシャのまっすぐな言葉に、リリスは目を細める。
「……ありがとう、アイシャ。少し元気出たわ」
太陽の下で干された野菜たちの香りが、ふたりの背中を優しく包んでいた。
屋敷の裏手にある簡易台所で、リリスとアイシャは明日の調理に備えて野菜の下ごしらえをしていた。
「そういえばアイシャ、この世界の卵って……あの、ちょっと大きいやつしか見かけない気がするの。普通の鶏卵って、ないのかしら」
「大きな鳥の卵が市場では主流ですね。一般家庭では滅多に手が出ないと聞きます。鶏はいるはずですが……卵は貴族向けの贅沢品として扱われているのかもしれません」
「うーん、確かに高級食材って感じがするのよね。そうなると、目玉焼きとか卵焼きとか、なかなか食卓に並ばないのかも」
リリスがそう呟いたとき、門のほうから軽やかな足音が聞こえた。
「ごきげんよう、リリス。台所にいると聞いて、そのまま来てしまいましたわ」
ルビー・カーマインが姿を現した。薄いピンクのドレスに身を包み、いつものように微笑んでいる。
「ちょうどいいタイミングね。お茶でもどうかしら?」
リリスが手を止めて振り向くと、ルビーは頷いて椅子に腰掛けた。
「ええ、ぜひ。少し話したいこともありますし」
「……つまり、干し野菜もパン床漬けも、あの農家では実際に使われ始めてるってわけね?」
ルビーはいつものように自信たっぷりな表情で、ハーブティーをひと口啜った。
「ええ。保存に困っていた野菜を無駄にせず済むならと思って……地道な工夫だけど、少しずつ効果が出てきてるの」
リリスは静かに微笑みながら答える。
「あなたって本当に、次から次へと堅実なアイデアを出してくるのね。ハーブ石鹸に干し野菜、漬け物にラスクまで……」
「……まあ、どれも必要に迫られての工夫ばかりだけどね」
「でもそれが"強み"になることもあるのよ。そういえば――あなたたち三人、勝手に"百合草の誓い"なんて名乗ってたわね」
ルビーがくすりと笑って、肩をすくめる。
「そろそろ、その名前に意味を持たせたらどうかしら?」
「……ブランドにする、ってこと?」
「そう。"百合草の誓い"という看板を掲げて、共通の品質や理念を示すの。あくまで名前だけを揃えるのよ。今ある商品に“この印”が付いていれば、買う側も安心できるでしょう?」
『……うっ、そう言われると確かに……。節約と保存ばかりで、“売り方”まで考えてなかった……!』
リリスは内心で苦笑しながらも、ルビーの提案に耳を傾け続けた。
「干し野菜や石鹸は、売り先さえ整えば安定供給もできるし、今後も増やしていけるはず。ちゃんと戦略的に育てていくのが“商い”なのよ」
『……結局、前世の知識ってブラック企業の泥臭い日々だけ。チートもスキルもないし、なんで異世界転生してまで節約生活してるのよ……!』
リリスの心の中には、小さなモヤが渦巻く。
けれど、目の前の紅茶の香りと、目を輝かせるルビーの横顔に――ほんの少しだけ、やる気が戻ってくるのだった。
その夜、仕事を終えたリリスは屋敷の一室でひとり、帳簿の束を眺めながら溜息をついていた。
「……はあ。せっかく異世界に転生したのに、魔法もスキルもチートもないなんて……」
『しかも貧乏スタート。なんでこうなるのよ……!』
思わず心の中で叫んでから、自分で苦笑する。
「そもそもこの世界の魔法って、どうやって使うのかしら……?」
ふと、そんな疑問がよぎる。自分の周囲には魔法を使っている人物など一人もいない。貴族の学校でも、教わることはなかった。
「アイシャ、魔法って本当にあるの?」
部屋に入ってきたアイシャが、少しだけ目を丸くして、やがて小さく頷いた。
「ええ。ただ、貴族の中でも特定の家系にしか扱えないようで……一般人が使えるものではないと聞いています」
「やっぱり、そうなんだ……」
『異世界って聞くだけで、なんかもっと……こう、万能チートとか、ドラゴン退治とか、勇者とか……夢があると思ってたのに……!』
「私、何の加護もなければスキルもない。ただこの世界に“ぽんっ”と放り込まれただけ。知識だって、前世のブラック職場のものしかないんだから」
リリスは机に肘をついて、手の甲に頬を預けた。
「……でも不思議よね。あんな職場で、毎日時間に追われて、生きるのに必死だったのに。こっちで干し野菜の並べ方とか、保存の知恵とか、ちゃんと役に立ってるなんて」
「お嬢様……?」
「ううん、なんでもないわ。ちょっと、昔を思い出しただけ」
『まるでおばあちゃんの知恵袋みたいなことしかしてないけど……それでも、必要としてくれる人がいるなら、意味はある……のかな?』
ふっと微笑むその顔に、アイシャは言葉を飲み込み、そっと隣に寄り添った。
夜の帳が深く落ちる中、リリスの胸の中には――ようやく、“自分だからできること”の意味が、静かに芽吹きはじめていた。
翌朝、リリスはキッチンの片隅に置いた空き瓶をぼんやりと見つめていた。昨日の干し野菜の香りが、まだ指先に残っている。
『節約と保存の知識ばっかりでも……もう少し、工夫すれば"新しい味"にできるかもしれない』
思い浮かんだのは、前世の浅漬けダレ。塩気と酸味、ほんのりとした甘みが野菜に馴染み、冷蔵庫に入れておくだけで立派なおかずになる。
「でも、この世界の調味料で作ったら、どこまで再現できるかしら……それに、ちゃんと殺菌しないと……中世レベルの衛生観念じゃ、危ないわよね」
『リナさんなら、きっと知恵を貸してくれるはず』
そう思って厨房へ向かうと、ちょうどリナが朝の仕込みを終えて手を拭いていた。
「リナさん、少し相談してもいい?」
「あら、お嬢様から相談とは光栄ですわ。どうされました?」
リリスは空き瓶を見せながら、前世の浅漬けダレについて説明し、この世界で安全に応用できる方法を一緒に考えたいと伝えた。
リナは興味深そうに頷きながら、香草や酢の種類、保存の工夫について幾つかの案を出してくれる。
「やっぱり、頼りになるわね、リナさん」
「ふふっ、もっと褒めてくださってもいいんですよ?」
「ただ……この世界の保存環境でどこまで安全に保てるかも、ちゃんと確かめておきたいわね」
「そうですわね。あまり涼しい保管場所もありませんし、気温が上がると傷みも早くなりますわ」
「昔、どこかで読んだ本には"冷たく保存できる箱"があって、ずっと新鮮なまま保てたって……でもこの世界じゃそうもいかないわよね」
「それならまずは試作品を少しずつ作って、常温でどれくらい日持ちするか観察してみましょう」
「瓶の煮沸消毒も必要ね。保存日数と風味の変化も記録しておけば、商品化に活かせるはず」
ふたりは、まるで実験を始めるように、手順を書き出していった。
二人で笑い合いながら、新しい調味液の試作が始まった。
「それに……せっかくなら、"リリスだけの味"って言われるような個性も欲しいのよね」
「たとえば、香りづけにローズマリーやタイムなどのハーブを使ってみるのはどうでしょう?」
「あ、それいいかも! 香りづけにローズマリーやタイムを使えば、風味も華やかになるし……」
「普通の酢だけじゃなくて、果実酢を少し混ぜるのも面白そうですわね」
「甘酸っぱくて、でもちょっと大人っぽい……そんな浅漬け、きっとこの世界にはまだないはず」
そう語るリリスの目には、新たな"味の商売"の火が灯っていた。
『私にしか作れない味があるなら、それは……この世界でもきっと、役に立つ』
そのひらめきは、リリスの中で静かに熱を帯びはじめていた。




