プロローグ
人の一生はどうなるかは分からない。人生のどこかで歯車が狂い、そこからドミノ倒しにすべてが崩れてしまうことだってある。
暗闇の中、僅かなモニターの光を浴び、ぶつぶつと独り言を呟きながらネットゲームに勤しむ彼もそうであった。
彼の名は景山俊郎。今年で二十を迎える青年である。
「くそ!またガチャ外れたよ!もう今月の小遣いないのに…」
むしゃむしゃと下品な音を立てながら、お気に入りのコンソメ味のポテチを頬張りながら悪態をつく俊郎の後ろ姿は、丸々太った豚のようだ。
「あ~!もう金ないし、痒いしイライラする」
俊郎はそのでっぷりと蓄えた顎の下の脂肪をわっさわっさと掻く。今日で丸三日風呂に入っていないので当然である。
しかし風呂にはあまり入りたくない。というか部屋の外にすら出たくないというのが俊郎の本音だ。
amazohuで購入したゲーマー用デスクチェアーをギコギコと鳴らしながら、どこか切なそうに目を細めて、モニターの光で青白く光る天井を仰いだ。
昔はこうでなかった。昔といってもそれは小学生時代まで遡るが、彼の社会との関わりはそこで断絶したといっても過言ではない。
小学生のころはいたって普通の子供だった。いや、普通よりもやや活発で友達だって多かった。足もまあまあ速く、運動会のリレーの選手に選ばれたことだってあった。
六年生のバレンタインには二人の女の子からチョコを貰ったりもした。自慢ではないがけっこうモテたのだ。
さて、何でこんなことになってしまったのか。
それは小学校を卒業して中学に入ってから起こった。父親の転勤で田舎から都心の中学へ転入したときだ。
俊郎はすぐに友達もできて、都会の生活にも慣れるだろうと思っていた。しかし現実はそう甘くはなかった。
俊郎はいじめの対象になったのだ。
まず、いじめは俊郎の方言丸出しの話し方を馬鹿にすることから始まった。そこから理不尽な暴力へと発展していった。
もちろん、親にそれを言うことはできなかった。両親に迷惑をかけるのも嫌であったし、何より羞恥心からなのか小さなプライドがそれを許さなかった。
中学二年生の夏、ついに俊郎は不登校になった。両親はそこで自分たちの息子がいじめられていたことを知り、何度も俊郎に謝ったし、度々中学へも出向いたようだった。
だけど、それから俊郎が学校へ通うことは一度もなかった。あのとき、涙を流しながら「気づいてあげれなくて、ごめんね」と首を垂れる母親の姿は今でも鮮明に覚えている。
それから段々と引きこもりはエスカレートしていき、中学を卒業する時期になると、もう外にさえも出なくなっていた。
「はー。お腹減った」
モニターの右下を見やると、時刻は昼の二時を回っていた。いつもなら母親がご飯を部屋の前に置いておいてくれるのだが、今日はその合図であるノックがない。
どうしたのだろうか。俊郎は意を決して重い腰を上げ、一階の台所へと足を進めた。
ぎしぎしと音を立てて、重い身体を揺らしながら階段を下りる。
キッチンに着くと、テーブルには小さなメモで書置きがあった。母親の字だ。
『としちゃん、ちょっとおばあちゃんの病状が悪化したみたいだから、病院に行ってきます。ご飯はそのお金で何とかしてください。』
おばあちゃんというのは母方の祖母である。二年前から肺炎で近くの病院へ入院している。
「あのババア!俺より死にかけの婆さんの方が大事なのかよ!」
俊郎はいきなり声を荒げると、右手でテーブルを叩いた。腹の虫の音が誰もいない台所に寂しく鳴り響く。
俊郎は大きくため息を吐きながら、太鼓のように出っ張ったお腹をさする。
「行くしかないか…」
この日、俊郎は五年ぶりに外へと足を踏み出した。住み慣れた部屋にはもう二度と戻ることはないと知らずに。




