30話 環司鈴音の心
叶えられない願い。それを望むことは罪なのだろうか?その答えを私が知ることはない。
この感情にどういう名前があるのかも、私には分からない。
ただ、これだけは言える。私は、私の願いを言えぬままこの世を去ったのだと。
それに対しての後悔はない。あの時願いを言ったとしても、彼を悲しませることになるからだ。でももしかしたら、彼は私のもう一つの願いを探して苦しんでるのかもしれない。
そう思うと、胸が痛くなった。原因が分からない胸の痛み。それが思いの外苦しくて、堪らず胸を押さえた。
『どうしたのですか?』
「いえ…。少し胸が痛んだだけです」
目の前に居る、世界を管理する女神様に話しかけられて、私は正直に返事をした。
それを聞くと、神様はその顔を疑問のそれに変え、眼鏡を整えながら口を開いた。
『鈴音さん。ここは世界を管理する世界ですよ?痛みなど起こるはずがありません』
「そう、ですよね」
それは私も理解しているつもりだ。ここは、私が居た世界では『冥界』と呼ばれている。ここでは死者に対してのみ一切の戦闘行為が禁止されていて、その延長にある痛みや更なる死が起こらないようになっている。
なっている、筈なのだが……。
「ですが、それでも彼を想うと、胸が痛むのです。この感情は何なのでしょうか?」
『知りません。それよりも、この仕事を見学したいと言ったのは貴女でしょう?仕事に関係のない話をするなら、さっさと天国にでも行って下さい』
『本当、お堅いよねリィニアは。若い神の悩みを聞いても良いんじゃないかな?』
『黙りなさい。ロリババア』
『んなっ!?そんな酷いこと言わないでよ!』
「……え?え?」
よく分からない胸の痛みの相談をしていると、白髪赤目の小さな女の子が、神様と口論していた。それにどのような反応を示していいか分からない私は、ひたすら困惑するだけだった。
そんな私を無視して、口論は続いていく。
『大体、何でリィニアは機械みたいに淡々と仕事してるの!?感情の神の癖に!』
『私はメリハリを付けてるだけです!貴女こそ進化の神の癖に身長も胸も成長しないじゃないですか!?』
「……あ、あの」
『姿形は一ヶ月ぐらいで決まっちゃうんだがらしょうがないでしょ!?っていうか気にしてるから止めてって言ったじゃん!?』
『それを言うならこちらだって気にしてると言いましたが!?それにそんなに気になるなら変化でも何でもすれば良いじゃないですか!』
「……えーと、」
『変化なんてしたら完全に詐欺になっちゃうでしょ!』
『その見た目で1000歳の神が何を言って……』
『ま、まだ998歳だって!』
『どっちも大差ありませんよね!』
『『ふん!!』』
「……はぁ」
さっきまで凛としていた神様までもが大声を上げて口論しているのを見て、私は思わず溜め息を吐いた。
どうでもいいが、私が今180歳だから、あの女の子が途方もないくらいの年上であることも確認出来た。だからと言って態度を変えるつもりもないのだが。
「あの、神様。そちらの女の子は?」
『今の口論の間に仕事が溜まってしまったので、本人に聞いてください。あと、名前で呼んでくれても構いません。と言うわけで、お願いします』
『うん、分かったよ。じゃあ場所を変えるね。掴まって』
「は、はい…」
手を差し出されたので、その手を掴む。小さい子供のような柔らかな手触りを感じて、本当に目の前の存在が自分より年上なのかと疑わしくなる。だが、その疑問も一瞬の内に消し飛ぶことになった。
「……っ!?」
『…よっと。一応【音声遮断】もしておくね。そうしたら、僕が何者かって分かりやすくなるだろうから』
目の前に居る存在。それは、神様だった。それも私とは比べ物にならない程に強力なそれだ。
一瞬にして新たな空間を創り、その空間にどんな些細な音も漏れさせない強固な結界を張っている。私がこなそうとすれば少なくとも私が十人必要なそれを、目の前の少女は簡単にやってみせたのだから。
『その様子だと分かって貰えたみたいだね。僕はリエイト。どこにでも居る…じゃなかった。君の居る世界に存在する最強の神さ。まぁ、気軽に呼んでくれていいよ。この見た目じゃ威厳もないし、堅苦しいのは嫌いだしね』
「貴女のことは分かりました。ですが、何故ここへ来たのですか?死者である私に用があるとはとても思えませんが」
『それがあるんだよねー。……聞きたい?』
そう言って、意地悪い笑みを浮かべるリエイト…さん。彼女の笑みが何を意味しているのか?それは分からなかったけれど、そこまで聞いて断る気になる私ではなく、当然のように肯定した。
「はい。聞きたいです」
『まぁ、嫌って言っても教えるけどね。一言で言うなら、遊夢が関係してる』
ドクン、と心臓の音が大きくなるのをを感じる。でもその原因を探る前に、彼女の言い回しが気になった。
もしかしたら、彼に何か良くない事があったのかもしれない。そう考えた瞬間に、今度は心臓が凍りつく感覚がした。
「…!?遊夢さんに、彼に何かあったのですか!?」
『うん。原因は君かな?』
「……まさ、か」
焦りながら問いかける私に、彼女が無表情のまま返事をしてくる。その彼女の言葉を聞いて、私は私の顔がみるみる青くなっていくのを感じた。
───邪神を倒して欲しい。
これが私が口にした願いだ。それを伝える直前に邪神が世界を滅ぼす未来が見え、このままでは邪神によってきっと彼も殺される。そう思った私は彼のあの力に賭けて、彼にそれを伝えた。
まさか、彼は邪神に挑んで返り討ちに……!?
「教えて下さい!お願いします!」
『………気が変わったよ。急に教えたく無くなった』
頭を下げて、私は彼女に教えを乞いた。でも、彼女は一瞬笑ってから、私を見下すような声で否定の言葉を返してくる。
その理由が分からなくて、私は叫んだ。
「な、何でですか!?」
『んー。強いて言えば、君が気に入らない』
「どう、して……」
『それを教える義理こそ、ないよね?』
そう言われて、私は何も言えなくなってしまった。私の何処に悪い点があったのか、分からない。
でも、知りたい。何も出来なくても、苦しむことになろうとも、彼に何があったのか。原因は、私なのだから。
だから私は願う。叫ぶ。どんな代償を払ったとしても、彼のことを、少しでも知りたかった。
目頭が熱くなり、液体が溢れる。それは頬を伝い、この黒い空間の下へと落ちていった。
「お願い、です。私に出来ること、なら、何でもします、から!」
『今、何でもって言ったよね?』
「え?」
ほんの一瞬。私が瞬きをするよりも速く、目の前に居るリエイトさんは床が無かったはずのこの空間に床を作り、私を押し倒して来た。そして彼女は私の上に覆い被さり、囁いてきた。
『抵抗したら、分かるよね?』
「……っ!?」
可愛らしい声とは裏腹に、その音と共に伝わってくる圧倒的な魔力。私はそれにあてられて、息をすることすら出来なくなった。
(……う…ぁ……!?)
何も考えられなくなって、私は咄嗟に目を瞑る。
……どれくらいの時間が流れたのだろうか?顔を軽く叩かれて、私の体は自由を取り戻した。
目を開けると、少し申し訳なさそうな顔をしたリエイトさんの顔が目に入る。
『……ごめん。ほんの冗談だったんだ。ちょっとこういうのやってみたくて、ね』
「……え?」
訳が分からなくなった私は、ただ声を洩らすことしか出来なかった。それを見たリエイトさんは、私の体を起こしてまた口を開いた。
『えっと、だからさ、遊夢に何かあったとか、教える気はないとか、そういうのは全部冗談なんだよ』
「……は、はい。でも、どうして?」
『必死な君を見て、からかいたくなった。…まさか泣かれるなんて思わなかったけど』
予想外の告白をされ、私は戸惑うと同時にその意味を理解して、ほっと胸を撫で下ろした。
───遊夢さんは、無事なんですね。良かった。良かった……!。
『え、ちょっ!?なんで泣いてるの!?もしかして、さっきのが相当…!?』
「え?……本当、ですね。なんででしょう?」
リエイトさんに言われて目元を拭うと、確かに指が濡れていた。それがどうしてか分からずに、私は思わず彼女に問いかけた。
言ってから、彼女に聞いても仕方がないと苦笑しかけるが、彼女は何故か答えを用意してくれていた。
『……もしかして、遊夢のこと考えてた?』
「はい。どうしてそれを……?」
『理由?ほら。君が遊夢のことを気にかけてるなら、納得出来るかなぁってさ』
遊夢さんのことを気にかけている。
その答えは当然イエスだ。でも、それがどう関係しているかが分からなくて、もう一度、私は彼女に問いかける。
「?確かに彼のことは気にかけてますが、それと何の関係があるのですか?」
『え、いやだって、好きな人の無事を喜ぶのは当然のこと…らしいし』
「好き、と言われましても、私には良く分からないです…」
『じ、じゃあ質問。遊夢の事、どれくらいの頻度で考えてる?』
「えーっと、気付けば何時も彼のことを考えてます」
彼の笑顔を思い浮かべると胸が温かくなりますし、苦しそうな顔を想像すると胸が痛みますし、手を繋いでくれる場面を想像すると顔が熱くなりますし、それ以外にも色々とあります。
そう言いたかったけれど、少しでも言ってしまうと止まらなくなりそうなので、何も言わないことにした。
その間にも彼を思い浮かべて、少し体が温まるのを感じる。ふとリエイトさんを見ると、凄く呆れた表情で私のことを見つめていた。
『………あー、あー、うん。何でもないよ。……(まさか、自分の心に気付いてないのかな?自覚してたら弄れるんだけど、無自覚はなぁー……)』
「?」
良く分からない。結局、私の思ったことはそれだけだった。
そうしている間に、リエイトさんは吹っ切れたのだろう。笑顔で私に手を差し向け、こう言った。
『あ、取り敢えず、来てくれるかな?』
「何処に、ですか?」
『あ、言って無かったね。神殿さ』
「?……わわっ!?」
そうして、もう一度視界が暗転し、私は『冥界』からは消えることとなった。
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『ふう、ようやく終わりましたね』
世界を管理する神、リィニアは溜まっていた仕事を終わらせ、一息吐いた。その際に黒色だった髪が青に水色の水玉模様の柄に変わる。彼女は感情の神であり、今の感情が髪に現れるのだ。青に水色の水玉模様は、疲れたから休みたいという感情を表している。
他にも、無感情は黒色、悲しむと灰色に群青の縦線、恥ずかしがるとピンク、性的なことを考えているとピンクに赤のライン、楽しんでいると明るいオレンジなど実に様々だ。
表情は全く変えないが、髪の色はころころ変わるので、見ていて面白い。それをリエイトなどに弄られて、怒るわけだが。
『さてと、鈴音さんは何処、に……あれ?』
リィニアの髪が紫色になる。それは疑問を表していた。
リィニアは感情が表に出るため、戦闘向きの神とは到底言い難いが、感情を読むことに関して言えば、リエイトのそれを上回っている。それこそ、遠くに居る人の心を感じとることが出来る程だ。
彼女の前では何れだけ魔力を隠そうとも、殺気を消そうとも関係ない。何故ならそこに「無感情」という感情が存在しているからだ。
……まぁ、それは関係ない。今問題となっているのは、そんな彼女ですら、鈴音の心を感じ取れないことにあった。
『………まさか!?』
リィニアの髪が白くなる。それは何かを察したことを表していた。
鈴音の存在が感じ取れない。それは鈴音がこの空間の近くに居ないことを表していた。リエイトが強力な空間、結界を張ったことまでは確認出来ている。だが、今はその空間も無くなっている。ならば、とリィニアはリエイトの出身世界、そこにある『王都グランド』の神殿を覗いた。
『……』
みるみる髪が赤くなる。それが表す感情は、最早言うまでもなかった。
誰も居ない空間で、リィニアの怒号が響く。
『折角、折角普通な神と出会えたと思ったのに!?「名前で呼べ」って言ったのがバカみたいじゃないですか!?………はぁ』
彼女の髪が灰色と群青色の縦線に変わる。
彼女は、意外と寂しがりやだった。




