睡魔そして……
飲食をすませたわたしにやってきたのは睡魔だった。八時間は歩いてきたのだから当然といえた。とはいえこの堅い床に寝る気には……そう考えて思いつくままに、
「布団が欲しい。枕が欲しい。毛布が欲しい」と口にしてみた。
すると、あの女が選択肢を提示してきた。
「かしこまりました。布団ですね。綿とポリエステルがございます。どちらかをお選びください。――かしこまりました。枕ですね。蕎麦がらとウレタンがございます。どちらかをお選びください。――かしこまりました。毛布ですね。羊毛と綿毛が……」
わたしは綿布団とウレタンの枕と羊毛の毛布を選んでみた。例のごとく、側壁に切欠きが現れ、やがてそこから台車にのせられた寝具が、床の上を滑るように運ばれてきた。模様も飾り気もない白いシーツに覆われたものだった。
「悪くはないな」
ぽつりとそうつぶやいたあと、わたしは布団を敷いて枕に頭をあずけた。
「まぶしいな……おい女、照明を消してくれ。これでは眠れない」
「かしこまりました。照明ですね。完全消灯と非常灯点灯がございます。どちらかをお選びください」
「非常灯点灯だ。それでいい……」
疲れていたせいだろう。いちいち選択肢を質問してくる女の声に少し腹が立った。
そういえば、お袋や同棲していた彼女もこうやって面倒を見てくれたっけな。ということは、随分と邪険にしてきたってことか。
忘れかけていた懐かしさを思い出したためなのか、興奮していたせいなのか、その夜はなかなか寝付けなかった。
このツアーは注文さえすれば何でも手に入ることは確かなようだ。選択肢は限られるようだが、それは我慢のならないことではない。和食にするか洋食にするか。綿を着るか絹を着るか。布団に寝るかベッドに寝るかの違いのようなものだ。しょせん人間なんていうものは、いくつもある選択肢からおおよそ二つ三つを選び出して、自由だとかいう自分の欲求を満たしているに過ぎないのだから。
しかし、気になることもあるといえばある。あの女は電話口で言っていたはずだ。「いくつか手に入れられないものがございます。それは……」。そう、そのいくつかは大した問題ではないだろう。例えば、交通機関。自転車だとかバイクでこの通路を進むことは許されない。つまり、歩けということだ。自分の手と足で自由を掴め。そういうことなのだろう。だが、あの女が言っていた「本当の自由」という意味だけは未だによくわからない。おそらく、今日のように注文することで手に入るものではないのだろう。だからこそわたしは歩き続けたのだ。「その先に本当の自由はあるのです」。あの女の言ったことを信じたってわけだ。何を今さら疑っているんだ。そう思ったからこそ、このツアーに参加したんじゃないか。「歩けば歩くほど自由は貴方に近づいてきます。ただし、人によっては大変に時間がかかることがございます。ですが、ご心配はいりません。わたくしどもDTセントラルはそのために……」。そうだ、だから歩いたんだ。手に入れた自由がなんだったのか。手に入っていない自由が何なのかを忘れないように、記録を残せるチェックポイントがあると、あの女は言っていたのだから。きっとそこで「本当の自由」を見つけ出せるのだろう……。
うとうとしながら、考えごとをしていたわたしは、ある感覚に打たれて急に目が冴えてゆくのがわかった。いてもたってもいられない。抑えつけようとすれば抑えつけようとするほど高まっていくような妙な感覚は、――尿意だった。
ガバリと布団に起き上ったわたしは言った。
「トイレが欲しい! 洋式だ! 豪華なやつがいい! ウォシュレットつき希望だ!」
もちろん、付けたした要求には答えてもらえないであろうことは知っていた。だが、わたしには女に打ち勝ったような満足感があったのだ。しばらくして現れた便器の前に立って用を足したあと、布団に戻ったわたしは深い眠りに落ちて行ったのだった。