4 お礼の朝食
「んう……むにゃ」
微睡の中、窓から差した陽光が微かに俺の意識を戻す。
……あれ、俺は一体何をしてたんだっけ?
昨日学校に行って授業を受けて、それから……。
「――ふふ、青田君の寝顔は可愛いね~」
「……むにゃむ」
「あはは、そんな可愛い声出しちゃって。よしよし、朝ですよー」
さすさすと誰かに頭を撫でられている感触を察知。
耳元からは小鳥の声の他に、至近距離で甘い声が聞こえる。
それにこの枕、やけに柔らかくないか?
俺は固めのそばがら枕が好みで、ずっとそれを愛用しているはずだが。
しかし、何故だかとても心地の良い気分だ。
普段は絶対に二度寝などしない俺だが、今日くらいはいいか。
「……むにゃ。……む、にゃ――」
「――ほーら、二度寝しないの。ぎゅー」
「――うおっっ!?」
頭に柔らかな感触が押し当てられ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
その匂いと感触が誰のものか理解した途端、意識が一気に引き戻された。
な、何だ。一体どうなって……。
「……んあっ。あれ、向坂さん」
「あはは、おはよっ青田君。寝ぼけてるねぇ。昨日のこと、思い出した?」
「えーと」
目の前では、エプロンを着たプラチナブロンドの髪をした美少女が俺を笑顔で見つめていた。
……そうだ、思い出した。
昨日うずくまっていた向坂さんを拾った俺は、オールナイトカラオケへと突入した。
それから紆余曲折あって二人で自宅へと向かったのだ。
寝室の時計を見ると、朝の10時。
ということは、俺は眠ってしまっていたのか。
それに……。
「あの、向坂さん。さっきの感触は……」
「ふふ。末っ子の廉がどうしても起きない時にいつもこうやるの。膝枕して抱きしめてぎゅーって」
「だだ、抱きしめ……!?」
「そうそう、もう朝ご飯できてるから青田君のこと起こそうって思って。弟にやってるみたいに普通にやっちゃった。――あれ、思春期の君には刺激が強かったかな?」
「否定はできません……」
俺は素直に白状した。
……それにしても。
「向坂さん、朝ご飯っていいましたか?」
「うんっ。流石に泊めてもらうだけなのは申し訳ないからさー。ちょっと寝た後、冷蔵庫の使えそうなもので作ったの。あ、洗い物も私がするから安心してね」
そういえば、リビングからとてもいい匂いが漂っているな。
向坂さんの手料理か。
俺はごくっと唾を呑んだ。
「さ、青田君。リビング行こっか」
「すみませんが、少し立ち上がるのは待ってもらえますか向坂さん」
「ん? どうしたの」
「ちょっとまだ、暴れてて」
先程の柔らかな感触が脳内に焼き付いた俺は、ひとまずご子息の暴走を収めてからリビングへと向かうことにした。
●○●○
「……凄い。これ全部、向坂さんが?」
「うん。あはは、お姉さんちょっと張り切りすぎたかな?」
食卓に用意された朝食に、俺は舌鼓をうつ。
炊き立ての艶やかな白米。
小松菜と豆腐の優しい味噌汁。
完璧に成形された甘めのだし巻き卵に、オール明けに嬉しい薬味が添えられた冷奴。
そして塩麴が効いたジューシーな紅鮭。
どれも向坂さんの優しさを感じる頬がとろける味で、喉にするすると入っていく。
凄い、俺の冷蔵庫に眠っていた食材がこんなに完璧に調理されているとは。
こんなちゃんとした朝食は何年ぶりだろうか。
「ほら。味の感想、聞かせて?」
「本当に美味いです。どれも優しい味付けで、絶品だ」
「やったー。昨日あれだけ歌ったからね。優しいのがいいかなって」
「いつもパンとバナナしか食べてないんで、ありがたいです」
「もう。ちゃんと朝食は取りなよ~」
そう促す向坂さんは、いつもの頼りがいのある彼女だった。
……でも、昨日泣いていたのは夢じゃない。
だから今、彼女はここにいるのだ。
「昨日はごめんね、情けないとこいっぱい見せちゃって」
彼女は朝食を口に運びながら軽く頭を下げた。
「いや、気にしないでください。こうして仲良くなれたわけですし、向坂さんの美味しい朝食も食べれましたから」
俺がそう笑いかけると、彼女は照れくさく笑う。
「私も、君と仲良くなれて嬉しい。これからもよろしくね、またオールナイトカラオケもね!」
「ええ……。またするんですか?」
何だか昨日の一件で、彼女との距離が近くなった気がするな。
クラスメイトと仲良くなれるのはいいことだと俺は素直にそれを喜んだ。
そんなことを二人で話しつつ、俺はリビングのテレビをつけた。
たまたま開いた番組は休日の朝らしいピアノコンサートの番組が。
この曲、確か一年の頃の音楽の授業で触れたことがあるような。
演奏されているのは、ショパンのノクターン第2番だったか。
陽光が差し込む部屋に、テレビに映る漆黒のドレスに身を包んだ美しい女性が演奏する旋律が流れる。
「綺麗な曲ですよね、これ」
「おっ、いい感性してるねー。ゆったりとした旋律に、繊細な感情。一音一音に表情があるのが本当に素敵な曲なの」
「……えっ」
俺は軽い気持ちで呟いたつもりだったが、向坂さんはやけに具体的に話に乗る。
そういえば、学園ではバレーで目立ってる彼女だが、音楽もやっているという情報もちらっと小耳に挟んだことがあるな。
「向坂さん、ピアノもやっているんですか?」
「うん。だって今テレビで弾いてるの私だもん」
「――は?」
俺は彼女の言葉に思考が止まる。
「んー。卵焼きおいしーっ。卵焼きといったら甘い味付けだよねー」
卵焼きを頬張りながら平然とそう口にする向坂さん。
彼女の言葉を聞き、俺は慌ててテレビの方を注視する。
「……マジかよ。たしかに黒のドレスで化粧もいつもと違うから分からなかったけど、向坂さんの影が……」
「あはは、でしょ? 土曜のこの時間は私の演奏が放送されるんだー」
嘘だろ……この人はどこまで多才なんだよ。
目の前のテレビでピアノを演奏する女性は、雰囲気こそ違えど確かに向坂さんだ。
「私達は元々片親なんだけど、今ウチにお父さんがいないって言ってたでしょ?」
「え、ええ」
「お父さんはプロのピアニストでさ。今はフランスに滞在してて、教授として大学でピアノ教えてるんだ」
「――! そうなんですか……」
「ちなみに次女の千聖はベーシストで、三女の秋波はドラマー。四女の彩乃はギタリスト、長男のタケルはチェロ。末っ子の廉はバイオリンに興味があるって言ってたかな」
向坂さんはあまりに平然とそう口にするが、俺は開いた口が塞がらない。
本当に、この人とその家族は計り知れない。
「向坂さんは凄いですね。バレーもして、ピアノも弾けて」
「あはは。でも最近は勉強がおろそかになってきてダメだ……」
向坂さんはうーっと頭を抱える。
たしか向坂さんは学業も成績上位の方であったはずだが、そんな悩みがあったのか。
「では向坂さん、朝食のお礼といってはなんですが。もし勉強に行き詰まったら俺を頼ってください。勉強に関しては力添えできますから」
「――! やった、ありがと青田君! 君は学年一位だもんね。凄いなぁ」
嬉しそうに笑顔を見せる向坂さん。
この笑顔を見ていると、俺は彼女の為に何かをしてやりたくなる。
それが勉強なら容易い御用だ。
「これからも君のこと、沢山知っていきたい。もし青田君がいいなら、定期的にご飯とかも作りにくるね!」
「ありがたいです、男の一人暮らしで雑飯しかなかったので」
「うん。君と仲良くなれて、学校もまた楽しみになったよ」
そんな約束を交わし、朝食を食べ終えた俺達。
結局洗い物も向坂さんにやってもらった俺は、そのまま彼女を見送った。
いい休日だったし、彼女と仲良くなれてこれからの学校生活が慌ただしくて楽しいものになりそうだ。
まさか、あの夜のカラオケがこんなことになるなんて思ってもいなかったな。
俺はそんな思いのもと、月曜日を楽しみに待ちわびた。




