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1 リリアーヌの小さな願い

 クレマチスのアーチが満開を迎え、先に咲き誇っていた薔薇と見事な共演を果たしている。花の女王たちは、侯爵家のガゼボを絢爛たる華やかさで彩っていた。


 紅茶の薫りがゆっくりと辺りを包みこみ、気持ちのよい午後の風が通り抜ける。


「…お姉様。砂の国アムン・ラ公国から、夜会の招待状が届いたというのは、本当ですか?」


 夢の国のようなこの庭園の主人公であるリリアーヌが、僅かに首を傾けた。


「あら、耳が早いわね。その通りよ、リリアーヌ」


 妹のあまりの可愛さに気を失いそうなエレオノーラは、しかし優雅さを保ちながらカップに口を付けた。


「かの国には『輝夜石』という夜の神秘を宿した宝石があるそうです。一度で良いから拝見してみたいわ」


 きっと、それは「見てきたお話を聞かせてくださいね」というささやかな願いのつもりだったのだろう。しかし、エレオノーラはそっとその美しい手に自らの手を重ねて、ゆっくりと頷いた。


「お姉様に任せなさい。叶わない貴方の望みなど、何一つ無いのだから」


 ――さて、王都の目抜き通りから一本入った静謐な貴族街の入り口に、蔦に覆われた重厚なレンガ造りの建物がひっそりと佇んでいる。


 招かれた者のみがその扉を叩くことができると言う、アンティークショップ『星屑の天球儀(アストラル・オーブ)』である。


 店内に並ぶのは一級品の高級アンティーク。どれも一筋縄では手に入らない貴重な品だ。


 まるで美術館の展示品のように絢爛に飾られており、いかにも上級貴族の娯楽のための店だ。

 しかしその実態はヴァランシエール侯爵家の長女エレオノーラが、美しすぎる妹、リリアーヌを保護するために私財を投じて設立した非公式精鋭組織――『天球の灯(スフィア・ランタン)』の拠点である。


 その一室にて、いま厳かに命令が下された。


「…というわけですので、招待された夜会にはリリアーヌを連れていきます。貴方達は護衛として旅に同行しなさい」


「…話は最後まで聞けよ、お姉様」


「リリアーヌ様は同行したいって言った訳じゃないんだよね、お姉様」


 言っても無駄だと分かりつつ、鷹揚に扇子を口許に当てているエレオノーラに物申す。


「あの子が見たいと言っているでしょう。他に必要な情報があるのかしら?」


 案の定、言葉の通じない野良犬を見るような目を向けられて、二人は肩をすくめて首を振った。


「ああ、今回は夜会にも出席してもらいますのでどちらか一人は女装してもらいますわよ」


 続く命令に、諦めの境地と思われた二人は、未だその地には至っていなかった事を思い知る。


 二人が揃ってギシリと固まった。


「何、言ってんだ、正気か?」


「夜会に潜り込むような女装なんて無理だよ。俺たちもう二十歳越えてんだよ?」


「お黙りなさい。ちゃんと考えてあります。カイル…」


 チリンと手元の真鍮製の鈴をならすと、侯爵家のマッドサイエンティストが扉を壊さんばかりの勢いで登場した。


「お呼びですね、エレオノーラ様!」


 己の欲のままに研究することを認めてくれる女帝に、この男は狂信的である。


「頼んでおいたものは、完成したかしら?」


「勿論ですとも。こちらをご覧ください、『フルートを奏でる(ラブリートーン・)茜色の蟹(クラブ)』です!」


 そこに現れたのは、茜色の無駄に美しい装飾を施された、カニ型のネックレスであった。

 鋭い足が首からぶら下げたときに不快なこと間違いないデザインだ。


「聞きたくねぇけど、何だよ、これ」


「変声期だよ。君たちのどっちが女装するのか知らないが、過去に女装したときは非常にキテレツだったそうじゃないか」


「未来永劫、もうしたくないんだけど…」


 ガイが遠い目をしたところで、当然カイルには聞く気はない。


「それから、今回の任務用にフェロモンを錯覚させる機能も追加装備しておいた。これで獣人の国といえど見抜かれることはないさ!」


 砂漠と獣人の文化を色濃く残すアムン・ラ公国の夜会にもぐりこむ以上、見た目だけ整えても意味はない。


 自信満々のカイルにエレオノーラが満足げに頷く。


「出立は明日です。入国までに役割分担を済ませておきなさい、いいですわね?」


 そして当然のように、どちらが女装するかは最後まで決まらなかった。

 入国ギリギリまで大揉めに揉めたのは、言うまでもない。


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