30 聖水
大沼から巨大タラバガニが出現した。
黒々とした極悪な棘や爪が泥水を滴らせている。
苦々しい思いをしたデスシーカーよりも遥かに大きな巨体を、僕たちに見せつける。
どう見てもボス戦の様相を呈していた。
デスシーカー多数に、呪われた巨大タラバガニに狙われている。
にもかかわらず、頼りのゴールド冒険者は、まるで鼠を追う猫のようにそこら中を駆け回っていた。
「イシュ! どうして逃げるんだい⁉ 私はこれまでずっと、君に優しくしてきたじゃないか! 大丈夫だよ、私はシノ君より優しく触るから、さあ!僕の腕の中へおいで!」
「やっ……やだっ…………こないでっ」
気持ちの悪い事を喚きながら追いかける黄竜族ウォルターと、それから逃げるウォルターの彼女、のハズの蒼竜族のイシュ。
どうしてこうなった。
数匹のデスシーカーはウォルターたちを追いかける。
怪我の功名かは判断の別れるところだが、少なからず敵の包囲は乱れはじめた。
僕たちを取り囲む敵の半数は、ウォルターに気を引かれて沼地を走る。
「アリーヤ! コサギ! 今のうちに敵の数を減らす、手前の奴から倒していくぞ!」
「応っ!」
「サギにお任せー!」
アリーヤがオカリナを取り出し、〝白猫のワルツ〟を演奏する。
前に使ってもらった時よりも、効果が高くなっているようだ。
僕の身体が、とても軽くなっていった。
コサギも同様に、動きやすくなった身体を存分に動かし、拳を振り回しながら突っ込んでいく。
驚くべきことに、コサギに続いてアリーヤも短剣を握りしめ戦いにいった。
後衛に拘っていた彼が自ら前線へ赴き、短剣を振る。
「うおらぁああぁぁっ!!」
「よいしょぉー!」
コサギは硬化した拳をデスシーカーの腹部に打ち込み、風穴をあける。
絶命したデスシーカーの腹部から、前と同じように〝探求者〟が外殻を蹴り破りながら何体も這い出てくる。
よく観察すると、ゴブリンのゾンビもわんさと混ざっていた。
コサギとアリーヤは手分けをして、シーカーの首を落としていく。
「2回目のクエストで、随分と変わるもんだな」
二人は互いに背中を預けながら、卒なく敵を片づけていた。
シーカーの相手は二人に任せてよさそうだ。
《緊急スキル発動『ゾーンⅣ』突入します。以降、全魔力は遁術に自動変換》
え、なんで?
ゾーンに突入し、思考が明晰になっていく。
浮かびかけていた、この状況の打開策がはっきりとわかった。
あの巨大タラバガニの攻略法は、コサギが唯一の鍵になるだろう。
露払いのため、僕は他のデスシーカーへ杖を向ける。
『風遁 黒風』
雷嵐を撃つつもりだったのに、自動変換で『黒風』が杖先から奔る。
レーザー照射のように一点に凝縮された愚風が螺旋を描き、デスシーカー・シザーの頭部を貫いた。
前回、フォートレス戦で撃った時よりも細く、貫通力が数倍にも増していた。
そのまま、周囲にいるデスシーカーの頭部に『黒風』を撃ちまくる。
全てのデスシーカーが力尽き、その巨体を横たえ泥水を飛び散らす。
この後、腹部からシーカーが出てくるはずだ。
「二人とも気を付けろ! 〝探求者〟が出てくるぞ!」
僕の声を聞き、コサギとアリーヤが死骸の前で得物を構えるが、シーカーは出てこなかった。
「タカキ! たぶん外殻に損傷が無いから、中のシーカーは閉じ込められたままなんじゃないか?」
「マジか!」
アリーヤの読み通り、デスシーカーは沈黙を続けている。
それなら残りは巨大タラバガニと、ウォルターを追っていった連中だけだ。
ウォルターたちの姿を探すと、遠く離れた場所でデスシーカーと交戦していた。
そしてちょうど今、最後の一匹を倒し終えたところだった。
呪われし巨大タラバガニは、現れた場所から一歩も動かない。
攻撃もしてこなければ、逃げようともしない。
デスシーカーの殲滅を終えたウォルターたちが、今度はタラバガニへ攻撃する。
邪悪な雰囲気を纏ったままその場で鎮座するタラバガニに、ウォルターたちが飛び掛かった。
『ゼロ・ハープーン』
『スカルプト・マター!!』
二人の突撃と斬撃はタラバガニの頭部を割り、胴体の殻を破ってぐちゃぐちゃの中身を排出させた。
タラバガニの腹部からあふれ出たものは、〝探求者〟と大量の泥だ。
それからすぐに、タラバガニは苦しそうにもがき、少しずつ身体を再生させていった。
「魔導師様、やはり……聖水がないと……倒せない」
イシュは撤退を提案したいようだ。
僕は自分の閃きを信じて、拳を構えているコサギに言う。
「コサギ、覚えてるか? 教会で聖水を飲まされた事、その時にお前が、急に成長したことを」
「え? うん。覚えてるけど、それがどうしたの?」
「お前の身体から、聖水を出せないか? なんて言うかこう……手の平から、湧き出たりさ」
「はぁ? 手の平から聖水を? 出せる訳ないじゃん!」
「いいから、やってみろ!」
コサギは渋々と、僕の言う通りに手から聖水を生み出そうと力む。
「ふぐっぐぐぅぐぐぐ! ふぅん! ふっ! ぐぬぬぬ!」
懸命に聖水を生み出そうとするが、コサギの手の平からは何も出てはこない。
そうこうしている間に、イシュとウォルター、アリーヤが寄ってくる。
「アレは……〝消失点〟は強い聖水がなければ、解けない……呪い。逃げた方がいい」
「イシュ! さあ、私の胸に飛び込んでくれ! 恋人同士なんだ、抱き締め合おう! この泥臭い戦いに決着を付けようじゃないか!」
「タカキ、竜のお姉さんの言う通りだ、ここは一度逃げよう。王国に戻って聖水を手に入れてから出直そう!」
確かにアリーヤの言う方法が、一番確実だ。
だが、僕たちは336匹のゴブリンたちを湿地帯の前に待機させている。
問題を先送りにすると、彼らの問題も先送りになってしまう。
聖水。
今僕たちに必要な物は、『聖水』だ。
そこで僕は、新たな閃きを手にする。
「コサギ! 水筒【改】は持ってきているな?」
「へ? 持ってきてるけど?」
コサギはきょとんとした顔で頷く。
「いいか? パパの言う事を聞いてくれ。〝今から水筒に入っている水を飲み続けろ〟」
恐らく、この一連のカニ騒動は偶然ではない。
〝再生と死を繰り返す呪い〟を掛けられたカニの親玉の出現が、証拠と言ってもいい。
本来は海に生息しているデスシーカー・シザーが湿地帯で大量発生しているのは、呪いを掛けられた巨大タラバガニの一部、例えば外殻の欠片などが〝再生〟して、増殖したものと考えるべきだろう。
〝探求者〟はそのオマケで、一緒に増えたんだと思う。
僕たちのような新米の冒険者が、湿地帯で大勢死んでいたら、とっくにギルドで問題視されているはずだからだ。
つまり、僕たちが倒したデスシーカー達は、巨大タラバガニの粗悪な複製、そう結論付けた。
《ゾーン終了》
◇◇◇◇◇◇
僕はコサギを抱き抱えて、澄んだ空気が流れる大空を飛翔している。
僕に抱き締められているコサギは、指示通りにずっと水を飲み続けていた。
「どうだ、コサギ。出そうか?」
「…………パパ。もう一度訊くけれど、正気で言ってるのかな?」
「当然さ、パパが正気を失ったことなんて、それこそ死んだとき以外には無かったよ」
「…………じゃあ、正気のパパは自分の娘にこう言うんだ? 『いいかコサギ、お前の聖水が必要だ。今から尿意を感じるまで水を飲みまくってくれ。お前の〝聖水〟をタラバガニに引っ掛ければ、呪いは解けるはずだ』なんて、正気で言ってるって事でいいんだよね、パパ?」
「そうだ。これは前世の記憶なんだけど、女性のおしっこを『聖水』と呼ぶ界隈もあるんだ。それで僕は閃いたって訳さ! ベルストックの『強力な聖水』を飲まされた『コサギの聖水』なら、巨大タラバガニの解呪も可能なんじゃないか、ってな!」
「ってな、じゃねぇ! パパの変態! 異常性癖! ホントは娘の放尿が見たいだけなんでしょ!」
「何を言っているんだ。そんな事よりも、ほら、そろそろ丁度いい場所だぞ」
外殻を再生している巨大タラバガニの真上に辿り着いた。
上空から様子を窺うと、真っ二つに割れた頭部から、妙な粘膜が伸びて再びくっ付こうとしている。
ドラゴン娘のイシュは〝再生と死を繰り返す呪い〟と言っていた。
その呪いを解くことが、湿地帯で起きている〝デスシーカーの大量発生〟を解決する糸口になってるはずだ。
大沼の底から巨大タラバガニが姿を現している今が、討伐する絶好の機会だ。
「コサギ、聖水は出そうか?」
「聖水とか、エッチな呼び方しないで頂戴……」
「何言ってるんだ、聖水だよ聖水。お前、まだパンツを履いたままじゃないか。恥ずかしがるな、パパが脱がしてやる」
「ぎゃああ!! 触るなぁあっ!! 出すから、おしっこするから触らないで! ちょっと待っててよ!!」
「まったく、仕方のないやつだな」
僕の腕の中でコサギがゆっくりとパンツを脱ぎ、足を開いた。
「パパ、しっかり目を閉じてて。もし見たらぶっコロすからね」
「わかった。努力しよう」
「あぁ……もう、本当に本当に、お嫁にいけない。こんな見晴らしのいいところで、パパに抱っこされて漏らすなんて……」
「パパの嫁になればいいじゃないか」
「死ね!」
僕は目を半開きにして、コサギの雄姿を見届ける。
ぱぁっと、水飛沫のような音が聞こえる。
僕の想定通りだった。
空中から散布した〝コサギの聖水〟はしっかりと巨大タラバガニに降り注がれ、呪いの浄化が始まっている。
全身から蒸気を発するタラバガニはゆっくり沼から這い出て、アリーヤたちがいる方へと歩みを進めていく。
「もっとだ! もっと聖水をかけろ!」
「えぇ⁉ もう出ないよぉ……」
「マジか」
コサギが聖水を出し切ってしまったのなら、飛翔している意味はない。
急いで加速し、アリーヤのもとへ戻る。
「ちょ! パパあんまり飛ばさないで! まだパンツ履いてないんだからぁっ!」
少し近づいて、異変に気付く。
アリーヤのいる場所から、今まで経験したことのない異様な魔力の流れを感じた。




