29 消失点
巨大な底なし沼の周りは、樹木が生えていない。
空気は酷く淀んでいて、泥沼からは生き物が腐った嫌な臭いが漂ってきていた。
ぬかるんだ水気の多い足元に注意しながら、周囲の警戒を怠らない。
今回は『ゴールド』が二人、随伴してくれているものの不安は残る。
デスシーカー・シザーとは……もう戦いたくないな。
さっき進化させた杖、『再誕のレイシオ』をアリーヤに手渡す。
「こんな高そうな杖、貰っていいのか」
「いいよ。魔法は使ったことあるか?」
「火を熾したり、基本的なことは習ったことがある。空は飛べないけどな」
「よし、今日から魔法も練習だ」
「わかった! やってやるっ!」
アリーヤの意気込みは十分だ。
辺りを見渡し、調査していたウォルターが僕のもとに歩いてくる。
「シノ君。今のところ、〝探求者〟は見当たらない。ひょっとしたら、あのゴブリンたちの嘘に惑わされてるんじゃないか?」
ウォルターがそう疑うのも無理はない。
「ゴブリンたちは嘘なんか付かないよっ!」
コサギはすかさず反論するが、彼の信用は得られないだろう。
「……いや、何か聞こえないか? 大沼の奥の方から……なにか蠢いてるような音がする」
そう言うのはアリーヤだった。
普段は垂れている白い猫耳が、珍しくひくひく動いている。
「アリーヤ君は心配性かい? 見ての通り、ここにあるのは酷い臭いの沼だけ――」
「みんな! 敵が来るぞ! 大沼の真ん中からだ!」
ウォルターを遮り、アリーヤが注意を促す。
気味の悪い枯れ葉で汚れた沼の水面から、こぽこぽと泡が立っていた。
〝探求者〟はゾンビだから、息はしない。
だけどデスシーカー・シザーの口からは常に、泡がぶくぶく漏れていた。
前と同じだ。
あそこにも、シザーがいる。
水面に大きな波紋が生まれた瞬間、そいつは姿を現した。
コサギと一緒に倒した時よりも大きなデスシーカー・シザーが、沼からゆっくりと顔を出す。
「ほう、アリーヤ君も意外と使えるね。意外な大物が出てきたけど、どう料理しようか」
ウォルターは余裕しゃくしゃくといった様子で、高級そうな直剣を構えた。
彼には言っていないが僕たちは前回、あのシザーに煮え湯を飲まされている、油断は出来ない。
各々武器を手に戦闘準備をする。
が、よく見るとコサギは手ぶらじゃねぇか⁉
「あれ、コサギ⁉ お前武器なかったの⁉」
「なーに言ってんの! 拳が武器なのだーっ!」
コサギが僕に、握った拳を見せる。
よく見ると、カニの甲羅みたいな外殻が手を覆っていた。
「な……なんだそれ⁉」
「なんかねぇ、身体を固くしようと思うと、殻が出来るの! ちゃんと元にも戻るよ!」
言ってすぐに、コサギは手を元通りの薄緑色の肌に戻した。
「……よく分からんが、コサギの特殊固有スキルか?」
「とくしゅこゆーすきる? なにそれ! サギは判んなぁーい!」
とりあえず、コサギへの質問は後回し!
今は、全員戦える状態にあるって事だけわかっていればいい。
僕はツィネルを構え、『来来鎌風』を放つ準備に入ろうとする。
その時、大人しいイシュが、
「ボク……あれ……倒していい?」
と言った。
イシュは、その細身な身体で背負っている剣を抜く。
それは両刃の無骨な大剣で、長さは1メートル弱ほどはある。
ゲームで見たことのある、『クレイモア』と言う剣によく似ていた。
イシュは大剣に魔力を流し、力を溜めている。
「シノ君、君は運がいい。蒼竜族が戦う所は中々お目に掛かれるものじゃないぞ」
「え? 珍しいもんなの?」
「ああ、蒼竜族は人前で技を使う事を嫌うんだ。気難しい種族なのだよ、口数も少ないしね。まぁ、そこが彼女の魅力でもある訳だがね」
「こんな時に惚気かよ。『ゴールド』様は余裕だな」
「いやいや、すまないね。この前やっと気持ちが通じたばかりなんだ。4年かけてやっと口説き落とした。美しい彼女と付き合い始めて私も浮かれているのさ」
「ふぅーん」
「私の前でも一度も技を使ったことがないんだ。ついに拝める日が来るとはね。きっと君たちに〝私の彼女〟がどれだけ強いのか見せたいのだろう」
「ふぅーーーん」
その話、おもんな!!
蒼竜族のイシュは魔力を帯びた大剣を、まるで木の枝でも振っているかのように軽々と振り回し始めた。その場でぐるぐると身体ごと回転して、遠心力を伴ったまま彼女は跳躍し、宙に浮く。沼からずるっと這い出てきた黒光りする大きな沢カニ、デスシーカー・シザーの上空で、彼女は輝く大剣を振り下ろす。
『ゼロ・ハープーン』
イシュが技を放つ。
彼女はまるで、銃弾のようだった。
瞬間移動したみたいに、シザーの分厚い殻を貫通してその場を突き抜けていった。腹に風穴を開けられたデスシーカー・シザーは、その場で爆散した。あっと言う間にシザーを討伐したイシュが、飛行魔法を使って宙を滑りながら帰ってくる。
ウォルターは両手を広げ、出迎えるようにイシュの方へ歩いて行った。
「流石は蒼竜族のイシュだ! 素晴らしい技だよ! まったく、本当に君は私の最高のかのじ――――」
イシュはウォルターの横を通り過ぎ、僕の目の前で滞空する。
「……御覧になっていただけましたか? 魔導師様」
「あ、うん」
目ん玉をひん剥いて振り返るウォルターを、今御覧になってます。
「あはははは! イシュめ、私を立てようとしてくれてるんだね? まったく、な、なんて良い子なんだ!」
冷や汗を垂らしながら、ウォルターがよろよろと歩いてくる。
何なんだこの二人は、と呆れそうになったところで、魔力の気配を察知した。
デスシーカー・シザーの方から、魔力の気配を察知した。
咄嗟に僕はイシュの細い身体を抱き寄せ、ツィネルを振る。
『来来風花』
分厚い突風を花弁のように重ね、杖の先から展開させる。
たった今想像して創った呪文だけど、うまく防壁の役割を果たしてくれた。
シザーの残骸を見ると、死骸の下敷きになっているシーカーが頭と腕だけを動かして魔法を撃ってきていた。
〝探求者〟が呪文を使っている……?
死んでも魔力を持っているのか!
イシュを左腕で抱いたまま、僕は魔法を撃ち返す。
『来来鎌風!!』
「あぁっ……んっ」
変な声を出すなっ!
シーカーとシザーの沈黙を確認し、彼女を腕から離した。
蒼い竜の顔が、なんだか赤くなっている気がする。
「タカキっ! 油断するな、まだ沼の中に山ほどいるぞ! どんどん上昇してきている!」
「なんだと⁉ 全員武器を構えておけ、こっからが本番だ!」
「サギにまかせろー! 今度こそボッコボコにしてやるー!」
「イシュ……私にも身体を抱かせてくれないのに、今日は一体どうしたんだい? 初対面のシノ君に触らせるなんて、気が緩んでいるんじゃないのかい?」
「敵……来る」
冒険者全員が、交戦態勢に入る。
一匹目のデスシーカー・シザーがまるでただの斥候だったかのように、それは姿を現した。
水面の至る所からこぽこぽと水沫が浮かび始め、弾ける。
その量は次第に多くなり、激しく波打つ波紋に変わっていく。
次の瞬間、沼の中央がこんもりと膨らんでいった。
ざばっ。
と大沼から泥水が波になって溢れかえる。
僕とドラゴン娘のイシュが、魔法を使って押し寄せてくる泥の波を抑えていた。
波が過ぎた後、大沼からは10匹を優に超えるデスシーカー・シザーが現れた。
そしてシザーの後ろには、更に大きいモンスターがいる。
デスシーカーが『巨大化した沢ガニ』なら、後ろに控えているデカ過ぎるカニは『巨大化したタラバガニ』だろう。
凶悪な棘の生えた外殻が全身を覆い、一掴みで何人もの人間を真っ二つに出来るであろう凶悪な爪を持っている。
隣にいるイシュが巨大タラバガニを見ながら、ぼそっと呟いた。
「あの……一番大きなカニ……呪い、掛けられてる」
「呪い?」
「あれ……は残酷な呪い。再生……と死を……永遠に繰り返す……最古の竜が掛けられた〝消失点〟と同じ」
「それって……斃せないって事なんじゃないのか⁉」
「解呪……の強い聖水、がないと、無理」
『強い聖水』
その言葉を聞いて、僕はコサギを見る。
コサギの拳はカニの様な甲羅のグローブで覆われている。
コサギの姿は、最初の洞窟にいたゴブリンと、元は同じものだ。
〝人の姿に近づいたのはアイリスの母乳を飲んで育った〟から、だとしたら?
教会で飲まされた聖水も、コサギに影響を与えているのではないか?
コサギの〝特殊固有スキル〟が〝吸収して身体に取り込む〟ようなものであれば、これまでの事は殆ど辻褄は合う。
「気を付けろ! デスシーカーが俺たちを取り囲もうとしている!」
考え込んでしまっていた僕の頭は、アリーヤの声で意識を目の前に戻す。
デスシーカーたちはカニ歩きで僕たちを包囲していた。
非常にまずいが、今回は『ゴールド』の二人が助っ人に来ている。
シルバー級のデスシーカーなら、先ほどのイシュの技を見る限り瞬殺できるだろう。
ウォルターに数匹頼もうと、声を掛けようとした。
「イシュ! 私にも身体を抱き締めさせてくれよ! シノ君が私より先なんて、そんなの変じゃないか! 私は4年も君だけを想い続けていたというのに!」
「……きゃっ!!」
襲い掛かるウォルターから逃げるイシュが、デスシーカー・シザーの前でぐるぐる駆け回っていた。
「お前らなにしとん⁉」




