第3章 冒険者ギルドってこんなんなのか、この世界さっぱりわからん
日差しが窓の隙間から差し込んできた頃、あたしは壁に寄りかかってココルの寝顔を眺めてた。
——別に暇だからじゃない。幽霊は眠らないから、他にやることがないだけだ。
ココルは小さく丸まって、布団がぐちゃぐちゃ。片足が布団からはみ出して、つま先がほんのり赤い。寒いんだろうな。銀色の髪が枕に散らばって、口が半分開いてて、口の端に涎がちょっと光ってる。
【……天才魔法使いの寝顔がこれか。威厳ゼロなんですけど】
するとココルが寝返りを打って、枕をぎゅっと抱きしめた。
「……幽霊さん……そのゼリー食べちゃダメ……青いから……」
【夢の中でもゼリーのこと気にしてんのか!】
「……ん……行かないで……もうちょっとだけ……」
【……】
あたしは少し低く降りた。ココルの眉がかすかに寄ってて、枕を握る指が白くなってる。
その時、ふと気づいた。
胸のあたり——昨日は髪の毛一本くらいの細さだった淡い青の線が、今日は太くなってる。色も濃くなって、綿糸くらいのしっかりした繋がりになってた。ココルの胸から、あたしの胸へ。
ココルの心臓の音が聞こえる。速くない。ちょっと弱いけど、安定してる。
【これが魂の繋がりってやつ? 心音まで聞こえるとか……この契約、思った以上にガチ縛りなんですけど】
試しにその線をそっと引っ張ってみた。ココルが寝ながらぴくっと動いて、鼻をくしゃっとさせた。
「……くすぐったい……やめてよ……」
【引いただけで反応すんの!? この繋がり敏感すぎでしょ!】
「ココル。朝だぞ」
「ん……」布団を頭まで引き上げる。
「今日ギルド行くって言っただろ」
「あと……五分……」
「五分前も同じこと言ったぞ」
「嘘……あたし、一回も呼ばれてないもん……」
「そっか。じゃああたしだけでギルド行って新しい相方探してくるわ。登録名簿のパーティ名、まだ空欄だし。書き換えるの簡単だし」
布団がバサッと跳ね除けられた。ココルが寝癖だらけの頭で起き上がる。目はまだ半分しか開いてないのに、口だけはもう動いてた。
「ダメ! 契約したんだから! 逃げちゃダメ!」
【起きた】
「おはよう」
「……おはよう」目をこすってあくび。それからあたしを見上げて、淡い紫の目がまだ眠そうに潤んでる。
「幽霊さん、おはよう」
「おう」
ココルは二回まばたきして、じっとあたしを見つめた。それから、にっと笑った。八重歯が覗く。
「幽霊さん、今日の色、すっごくきれい」
「……は?」
「昨日は透明になりかけの薄い青だったのに、今日は濃くなってる。夕焼けの空みたいな青」小首をかしげて、「昨日あたしが魔力吸ったから、逆に幽霊さんが『濃く』なったんじゃない?」
【それって被害者が加害者に感謝するパターンじゃね?】
「知らん。でも繋がりは昨日より太くなってる。髪の毛から綿糸になった感じ」
「綿糸!」ココルの目が輝いた。「じゃあ麻縄になったら、離れてても話せるようになる?」
「朝飯食ってから夢見ろ」
ココルの家の中を探し回ったけど、出てきたのは固いパン半分とジャムの小瓶だけ。パンが硬すぎて釘打てるぞこれ。
「普段これだけ?」
「……普段は街で買ってるもん。昨日帰ってきたら倒れちゃったんだから仕方ないでしょ」
【だから紙みたいに細いのか】
「ギルド行く途中で何か買おう」
「うん!」
ベッドから飛び降りて、立った瞬間ふらついた。あたしは手を伸ばす——実体化——ココルの腕を支える。
「ゆっくりしろ。昨日熱出したばっかだろ。鉄かお前は」
「天才魔法使いなんだから、回復速度も天才級なの! 当然でしょ!」
口では強がるけど、手は離さない。
「はいはい天才。靴履け」
ココルの靴はベッドの下で片方東向き、片方西向き。しゃがんでやっとこさ拾ってた。髪が床について埃まみれになってる。
【この子の生活能力……かなり不安なんだけど】
外に出る時、あたしはココルにしか見えない半透明に調整した。街の人にはココル一人しか見えないはず。
「幽霊さん、今他の人には見えないの?」
「ああ。目立ちたくないからな。街で幽霊がふらついてたら噂になる」
「じゃああたし、空気と話してるように見える?」
「そうだ。だから普通に歩け。空気に向かってニヤニヤすんな」
「善処する」口は引き結んでるけど、口角が上がりっぱなし。
【善処するって言いながらもうニヤけてんじゃねえか】
朝のグリーンウッドは夕方よりずっと賑やかだった。通りに屋台が並んで、野菜、肉、謎の薬水を売ってる。店主はだいたい獣人かドワーフで、たまにエルフ。人間は——見渡した限り、ココル以外だと隅の階段に座ってる二人だけ。
「ココル、この町の名前なんだっけ」
「グリーンウッド。辺境の町」歩きながら指を差す。「こっちが商店街、北が住宅街、南に出ると迷宮方面」
「亜人が多いんだな」
「うん。グリーンウッドは九割以上が亜人。獣人が一番多くて、次がエルフ、ドワーフ、あと竜人の末裔が少数。人間は珍しくて、町によっては一人もいないとこもあるよ」
「じゃあココル、人間なのにどうしてここに?」
ココルの足は止まらなかった。声のトーンも変わらない。でも、歩幅が半拍だけ遅れた。
「人間の町ではいらないって言われたから」
あっけらかんと、他人事みたいに言う。
「『呪われた子』って。両親もその呪いで死んだの。あとね、捕まえて研究しようとした人もいたよ。『呪いの源を確かめるために解剖しよう』って」
「……解剖?」
「うん。盗み聞きしちゃった」ちらっとあたしを見て、笑った。「だから逃げた。天才の逃走速度も天才級だからね!」
【「解剖」って言葉を笑顔で言うなよ】
「それから人に助けてもらいながらグリーンウッドまで来たの。ここはだいたいみんないい人で、人間をいじめたりしない。ちょっと見下す人はいるけど、前のとこよりずっとマシ」
「解剖しようとした奴らは、その後どうした」
「知らない。とにかく逃げたから」肩をすくめる。「とりあえず生きてる。残り半年だけどね」
【半年。それを天気予報みたいに言うなよ】
「ココル。お前が探してるもの——何なんだ」
足が止まった。
「古代聖遺物。『命の泉の欠片』って言うの。生物の身体構造を組み直せるの。魔力回路も含めてね」見上げてくる。「でもそれ、遺跡の深部にあるから。ランク制限があって——B級以上じゃないと依頼受けられないの。あたし今F級だから、足元にも及ばない」
「だからランク上げるのか」
「そ! サクッと上げて資格貯めて、取りに行くの」拳を握った。「着いた! ここがギルド!」
冒険者ギルド——三階建ての石木造り。入口に剣と盾が交差した看板。うん、いかにも「ザ・冒険者ギルド」って外観。
出入りしてるのは亜人ばっか。獣人が斧を担ぎ、エルフが弓を背負い、ドワーフがつるはしを引きずってる。人間は——まあ、いないよな。ココル以外。
ドアを押して中へ。中はもっと賑やかだった。
左の壁一面に依頼板。猫探しから上位魔物討伐まで、ピンからキリまで。右のカウンターにスタッフ三人——獣人の姉ちゃんが誰かと机を叩いて言い合い、ドワーフの爺さんがのんびりハンコ押して、エルフの姉ちゃんが笑顔で仲裁に入ってる。中央のテーブルは冒険者で満席。酒の匂いとエルフ茶の香りが混ざってた。
ココルはカウンターに行く前に、依頼板の前に立った。
「F級で受けられるの……薬草採取、下水掃除、低級魔物の追い払い、猫探し……」指でなぞる。「遅すぎ。一つずつやってたらB級なんていつになるのよ」
「もっと早いのは?」
「ないことはないけど……リスクがあるの」隅の方を指差す。「例えばこれ。『廃坑調査』、F級。偵察して報告するだけに見えるけど、備考に『深部に正体不明の魔物の気配あり』って。低級だけならF級で足りる。中級だったら……」
「死ぬかもな」
「うん」
「これにしよう」あたしは言った。
「え? 本気?」
「早くランク上げたいんだろ? 調査系は経験値デカいし。正体不明の魔物がいるなら——低級なら儲けモン、中級でも逃げりゃいい」
「昨日ガイコツに追い回されてた人が何言ってんの」
「昨日は昨日。今日はあたしに《いたずらっ子》がある」
ココルは二秒くらいじっとあたしを見て、それから笑った。
「決めた。それにする」
「でもその前に——」カウンターへ向き直る。「一人募集するの」
「募集?」
「パーティに神官がいないの。あたしの体、見ての通りでしょ。戦闘中に魔力回路がまた暴走したら、神官がいれば応急処置できる。回復もできるし、戦闘補助もね」
「考えてるな」
「天才だから」
カウンターの前で、ココルは背伸びして依頼書を置いた。
「すみません、この『廃坑調査』の依頼をお願いします。あと——パーティに神官が足りないので、募集をかけてもらえますか?」
エルフの受付嬢がココルを見下ろして、依頼書に目を落とした。営業スマイルは崩さない。
「神官の募集は承りますよ。ただ……お嬢ちゃん、このパーティ、あなた一人?」
「相方がいます」ココルは動じない。
「相方はどちらに?」
「外に。中に入るのに都合が悪くて」
「……分かりました」板に何か書き込む。「募集情報を貼っておきますね。適任者がいたら連絡します」
「ありがとうございます!」
ココルが振り返った瞬間——
「おう、チビ」
隣のテーブルから獣人が三人立ち上がった。リーダー格はココルより三つ頭は高い。肩幅が壁みたいで、顎に剛毛の輪。笑うと牙が二本覗く。
「また依頼か? しかも神官募集?」見下ろすように。「お前みたいなチビが神官集めてどうすんだ。一人で支えられるのか?」
後ろの二人も笑った。
「おいチビ、集まらないなら俺らのパーティ来いよ。洗濯と飯の手伝いしてくれたら、餓死はさせねえからさ」腹をポンと叩く。「うちの飯はうまいぜ。お前みたいな小さいの養うくらい余裕だ」
「ははははは——」
何人かがちらっと見たけど、誰も口を挟まない。獣人の受付嬢もカウンターの奥で眉をひそめただけで、何も言わなかった。
【このクソ獣人ども……】
あたしが半歩前に出かけた時、ココルが先に口を開いた。
「ふん」両手を腰に当てて、獣人を見上げる。「あたしは天才魔法使いです! 今はまだ成長期なだけ! 身長をバカにしないでください!」
「成長期?」獣人が腰を曲げて顔を近づける。口元が歪んでた。「成長期のチビはいつまで経ってもチビだろ——」
「そ、それは……!」
ココルが言い返そうとした、その時。
「あの……」
横から声が割って入った。柔らかくて、ちょっと自信なさげな声。
全員が振り向く。
エルフの少女が二歩先に立ってた。淡い金の髪を二本の三つ編みにして胸の前に垂らしてる。白い神官のショートローブに金の聖徽。腰には小さな祈りの書。背はココルよりちょっと高いくらい。尖った耳。薄緑の丸い目。子鹿みたいな佇まい。
「すみません……その、パーティ、神官を募集されてますか?」両手で杖を握りしめて、声がだんだん小さくなる。「あたし、ルース・アイリーンって言います……あの……あたしでも、いいですか?」
【エルフ。神官ローブ。聖徽。杖。正統派の神官装備だ。しかもなかなか可愛い】
あたしは頭からつま先まで一瞥した。白いローブに治療神エルフの聖徽。腰の祈りの書は端っこが擦り切れてる。杖の先の水晶も少し欠けてる。本物の神官だ。素人じゃない。
「ルースちゃん!」ココルがぱっと笑顔になった。「こんにちは! あたしココル! 天才魔法使い! このパーティ、あたしが作ったの!」
「は、はじめまして……」ルースがぺこりとお辞儀。三つ編みが肩から滑り落ちた。「よろしくお願いします……」
「よろしく!」
【ココルの神官への対応とあたしへの対応、温度差エグい。差別待遇すぎでしょ】
自己紹介が終わると、ルースがきょろきょろ見回して、小首をかしげた。
「あの……ココルさん、パーティってお二人だけなんですか?」
「違うよ」ココルは首を振った。「前衛がいるの」
「前衛!」ルースの目がぱっと輝いた。「それは心強いです! 前衛がいればパーティ構成は——」
「幽霊さんです!」
「——え? ゆ、幽霊……さん……?」
あたしは壁からゆっくりと出て、ルースの後ろに回って、肩をぽんと叩いた。
「よお」
ルースがゆっくりと振り返る。
薄緑の目と、コンマ五秒くらい目が合った。
「……ゆ、幽霊……?」
「ああ、幽霊だけど。何か文句ある?」
ルースは白目を剥いて、そのまま真っ直ぐ後ろに倒れた。
「……え?」
ココルが駆け寄ってしゃがみ込む。「ルースちゃん? ルースちゃん! 起きて!」
「気絶したな」
「気絶してるの分かってる! なんで驚かすの!」
「肩叩いただけだぞ」
「幽霊に肩叩かれたら誰だって倒れるでしょ!」
「……あ、それはそうだな」
【ぐうの音も出ねえ】
ルースが目を覚ましたのは十分後だった。
ココルが隣に正座して、うちわで扇ぎながら説明してる。「ルースちゃん、ごめんね。幽霊さんは悪い幽霊じゃないの。あたしの相方で、見た目がちょっと怖いだけで」
「で、でも……幽霊……」ルースはココルの後ろに縮こまって、肩越しに半分だけ顔を出してあたしを見る。
あたしは壁から出るとき、わざとゆっくりやった。まず手、次に体、最後に頭。できるだけ「怖くないぞ」アピール。
「さっきはごめんな。驚かせちまった」
「…………」
ルースは黙ってる。でも、また倒れはしなかった。
「幽霊だけど悪霊じゃないの。人を食べないし、憑かないし、呪いもかけない。ただの普通の幽霊」ココルが補足する。「それに、あたしと契約した相方だから。もし人に害を加えたら、契約が反動で返ってくるの」
ルースがココルの肩越しに、ゆっくりと顔を出す。薄緑の目であたしを数秒見つめて。
「……本当に、人を食べないんですか?」
「食べない。飯もいらない」
「…………」
「それに、見た目は幽霊だけど剣術はできる。前衛はあたしに任せて、お前は補助に専念しろ」
ルースはもう少しだけあたしを見つめて、それからゆっくりとココルの後ろから出て、背筋を伸ばした。
「そ、それでは、よろしくお願いします。ルース・アイリーンです。職業は神官。回復魔法と状態浄化が得意です。ランクはまだD級ですけど……がんばります」
【D級か。あたしたちより上だ。とりあえず、一人はマトモなのが来たな】
「よろしくね、ルースちゃん!」ココルが笑って手を握った。
「よろしく」あたしも頷いた。
「よ、よろしくお願いします……」ルースがあたしに深々とお辞儀。三つ編みがぶわっと前に流れた。
【……このエルフ、ビビりすぎだろ】
パーティが組めて、ココルが依頼書をルースに見せた。
「これを受けたの。廃坑調査」
「廃坑調査……」ルースが真剣に読む。「備考に正体不明の魔物の気配ってありますね。中級以上の危険があるかもしれません」
「うん。でも報酬高いし、調査系は経験値多くてランク上がりやすいの」
「わかりました。回復の準備はしっかりしておきます」頷いて、少し間を置いた。「あの……この坑道のこと、前にも聞いたことがある気がするんです。F級の冒険者が何人か、似たような任務で行ったらしくて」
「その後は?」
「帰ってはきたんです。でも一人が重傷で。坑道の深部で『動く何か』を見たって。正体が分からないまま逃げてきたって話です」
【動く何か、ね。やっぱり低級魔物の話じゃなさそうだな】
「明日にしよう」ココルが言った。「今日は準備。ルースちゃんもあたしたちの連携に慣れておいて」
「はい」
「じゃあ今夜はうちに泊まって。ルースちゃんも一緒にどう? 狭いけど、詰めれば寝られるから」
「え? で、でも、いいんですか?」
「もちろん!」
【もう同居始まったのか。このパーティ、できあがるの早すぎるだろ】
まあいい。少なくとも明日の坑道探索には、編成は揃ってる。前衛、魔法使い、神官。
——前衛が幽霊で、魔法使いが死にかけで、神官が幽霊恐怖症だけどな。
【……このパーティ、あたしより危うくね?】
(第三章 終)




