第一章 存在してはならなかった少年
初めまして。 この作品を読んでくださり、本当にありがとうございます。 楽しんでいただけたら嬉しいです。
アステリア王国の夜空を、激しい嵐が支配していた。
稲妻が黒い雲を切り裂き、豪雨が大地を激しく打ちつける。
村人たちは皆、家の扉を固く閉ざし、嵐が過ぎ去るのを静かに待っていた。
しかし――
村の外れに建つ小さな木造の家だけは、まだ明かりが灯っていた。
家の中では、一人の女性が苦しそうに叫んでいる。
「……っ、ああっ!」
若い夫は妻の手を強く握りしめた。
「エレナ、もう少しだ! 頑張れ!」
年老いた産婆は落ち着いた声で言った。
「あと一息です。力を込めて!」
その瞬間――
ドォォォン!!
家のすぐ近くに雷が落ちた。
家全体が大きく揺れる。
産婆は思わず顔を上げた。
「……この魔力は?」
空気が重く変わっていく。
まるで世界そのものが息を止めたようだった。
そして次の瞬間――
「おぎゃあっ! おぎゃあっ!」
赤ん坊の産声が部屋いっぱいに響き渡った。
同時に、不思議なことが起こる。
さっきまで荒れ狂っていた嵐が――
ぴたりと止んだ。
雨も。
雷も。
風さえも。
まるで最初から存在しなかったかのように、世界は静寂に包まれた。
産婆は震える手で赤ん坊を抱き上げる。
「……なんて子なの。」
漆黒の髪。
生まれたばかりとは思えないほど整った顔立ち。
そして、一瞬だけ開かれた瞳。
深い蒼色のその瞳は、まるで雷光を閉じ込めた宝石のように輝き、すぐに静かに閉じられた。
母親は涙を浮かべながら微笑む。
「この子が……私たちの息子。」
父親も優しく赤ん坊を抱いた。
「名前は……どうする?」
エレナは赤ん坊の頬をそっと撫でる。
「カエル。」
「カエル・ドレイヴン。」
父親は嬉しそうに頷いた。
「いい名前だ。」
しかし――
誰も気づかなかった。
赤ん坊の胸元に、一瞬だけ黄金色の紋章が浮かび上がり、すぐに消えたことを。
そして――
遥か雲の上。
人の目では決して届かない場所で。
黄金色の瞳がゆっくりと開かれる。
「ついに……」
低く威厳ある声が静寂を破った。
「嵐に祝福された子が、生まれたか。」
その存在は静かに微笑む。
「運命の歯車が……動き始める。」
「カエルーーっ!」
朝の静かな村に、元気な声が響いた。
アステリア王国の辺境にある小さな村――レイヴン・ホロウ。
畑では農民たちが働き、子どもたちは笑いながら走り回っている。
どこにでもある、平和な村だった。
……一つの家を除いて。
ドォォォン!!
突然、大きな爆発音が村中に響き渡る。
驚いた鳥たちが一斉に空へ飛び立った。
村人たちはため息をつく。
「またか……。」
「ドレイヴン家の坊やだろ。」
「今日は何を壊したんだ?」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
家の裏庭では、一人の少年が呆然と立ち尽くしていた。
まだ五歳。
黒髪に青い瞳。
幼い顔立ちだが、その瞳には年齢以上の落ち着きがあった。
少年――カエル・ドレイヴン。
彼の右手には、小さな青い雷が「パチッ」と音を立てながら踊っている。
その目の前には……
真っ二つになった木製のバケツ。
「……またやっちゃった。」
カエルは困ったように頭をかいた。
近くにいたニワトリは驚いて逃げ出していく。
「ご、ごめん……。」
その時、家の扉が開いた。
「カエル。」
母・エレナが静かに出てくる。
壊れたバケツを見る。
次に息子を見る。
そして、その手に残る雷を見る。
「説明してくれる?」
カエルは慌てて背中に手を隠した。
「えっと……。」
「バケツが先に僕を攻撃したんだ。」
しばらく沈黙が流れる。
エレナは小さくため息をついた。
「その言い訳は昨日も聞いたわ。」
「うぅ……。」
カエルは肩を落とした。
その様子を見ていた父・ロイドが笑いながら近づいてくる。
「ははは!」
「五歳で魔力を制御できないのは仕方ないさ。」
エレナは呆れたように夫を見る。
「あなた、甘すぎます。」
「でも、この子は特別だからな。」
ロイドはしゃがみ込み、カエルの頭を優しく撫でた。
「焦る必要はない。」
「少しずつ覚えていけばいい。」
カエルは小さく頷いた。
「うん、お父さん。」
その笑顔を見て、両親も自然と笑顔になる。
しかし――
誰も気づいていなかった。
家の外から、一人の男がカエルを見つめていることに。
その男の視線は鋭く、
まるで何かを探しているかのようだった。
その頃。
村の入口では、一台の豪華な馬車がゆっくりと止まっていた。
金色の装飾。
高価な白馬。
そして扉には、大きな家紋。
アッシュボーン家。
この地方を治める名門貴族である。
村人たちは慌てて道を空けた。
「領主様だ……!」
「どうしてこんな村に?」
「何かあったのか?」
馬車の扉が静かに開く。
中から、一人の壮年の男が姿を現した。
豪華な服装。
指には黄金の指輪。
首には高価な宝石。
この地方を支配する貴族――
セドリック・アッシュボーンだった。
彼は静かに村を見渡す。
そして……
遠くで遊ぶ黒髪の少年に目を止めた。
「……あの子は?」
彼の瞳が、鋭く細められる。
その少年は、村の外れにある小さな家の前で立っていた。
まだ五歳。
しかし、その瞳には年齢に似合わない静けさが宿っていた。
セドリック・アッシュボーンは、ゆっくりとカエルへ歩み寄る。
その鋭い視線は、まるで少年のすべてを見抜こうとしているかのようだった。
「君の名前は?」
「カエルです。」
「カエル・ドレイヴン。」
少年は少し緊張しながらも、真っ直ぐに答えた。
セドリックは静かに頷く。
その瞬間――
カエルの指先から、小さな青い雷が弾けた。
パチッ。
周囲の空気が一瞬だけ震える。
セドリックの表情が変わった。
「……雷属性?」
五歳の子供が自然に雷属性の魔力を扱うなど、常識では考えられない。
彼は懐から小さな水晶を取り出した。
魔力測定用の魔晶石だった。
「少しだけ手を乗せてくれるかな?」
カエルは素直に頷き、水晶へ手を置いた。
次の瞬間――
パリンッ!!
水晶は眩い青い光を放ち、粉々に砕け散った。
村人たちは息を呑んだ。
「な、なんだ……?」
「魔晶石が壊れた……!」
「そんなことがあるのか?」
セドリック自身も信じられないという表情を浮かべる。
魔晶石が耐え切れず砕けるなど、彼も一度も見たことがなかった。
彼はゆっくりとカエルの前に膝をつく。
「カエル。」
「君には……特別な才能がある。」
少年は首を傾げた。
「才能?」
「うん。でも、その力は君だけのものじゃない。」
「使い方を間違えれば、多くの人を傷つけることになる。」
「逆に正しく使えば、多くの命を救える。」
カエルは真剣な表情で話を聞いていた。
セドリックは両親へ向き直る。
「この子を守ってください。」
「やがて、この才能を狙う者が必ず現れます。」
ロイドは静かに頷いた。
「命に代えても、この子は守ります。」
エレナも息子を優しく抱きしめる。
「この子は、私たちの宝です。」
セドリックは満足そうに微笑んだ。
「その言葉を聞けて安心しました。」
彼は馬車へ戻る前、もう一度だけカエルを見つめた。
「また会おう。」
「カエル・ドレイヴン。」
豪華な馬車はゆっくりと村を去っていった。
しかし――
誰も気づいていなかった。
遠く離れた山の頂から、一人の黒いローブを纏った人物が、村を静かに見下ろしていたことを。
その人物は一枚の古びた地図を広げる。
地図の上には、小さな青い光が灯っていた。
その光は――
レイヴン・ホロウを示している。
黒いローブの人物は静かに微笑んだ。
「見つけた。」
「嵐に選ばれし子を。」
「計画を始める時が来た。」
冷たい風が山頂を吹き抜ける。
そして世界のどこかで――
運命の歯車が、静かに回り始めていた。
(第一章・完)
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