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第一部   第四章    Ha

 遥か高くからキィーバを照らす太陽、それがあるのは東北東の空であった。少年達が朝、家から出て向かう方向もそうであった。

 「今日が終業式だっていうのは驚いたけど、それ以上にびっくりすることって何?」ソイソーは三者を見回しながら言った。母親の方に向いた時、少年は母親から口に布を当てられてゴシゴシとされた。少年は、ちょっとの間されるがままになったが、慌てて首を小さく引っ込めるとそのすぐ後、お皿を繁々と見詰めているショー=サナエの方を見た。


 「だから、帰ってきたら教えてあげる。早く歯を磨いてきなさい。」エレナが言った。少年は首を反対側に回した。


 「兄ちゃーん。」 「ほら、遅刻するぞ。」

 「まだダイジョーブだよ。ねえサナエー、何か知ってるでしょー?」


 「サ?」ショー=サナエはソイソーの声に首を傾げただけであった。ショー=サナエの嘴も少し汚れていた。先っぽの方は黄と赤の(まだら)になっていて、エレナはその様を見て楽しんでいた。母親に、魔法やって、と言おうと少年は思ったが、ショー=サナエが水を飲ませてもらっているのを見ると、小さく唸ってしまった。そのままソイソーは兄に引っ張られていった。


 そこは洗面所だった。少年にとっては普段より、と言っても約三ヶ月振りではあるが、三十分早い行程であった。ソイソーは瞬きしながら、変な感じだなあ、と思いながら、兄から渡された新しい歯ブラシを受け取った。


 「兄ぢゃんは()ってるんでじょ?」 「……、何が?」

 「…、ぢょごに行ぐがって…。」

 「……、……。」 「にぇー…。」


 アーマスは淡々と、ソイソーは忙しそうに手を動かしていた。だが、途中から兄は速度を上げていった。弟はそれを見て、怒ったのかな、と思ったが、すぐにそうではないと分かった。


 「……、ソイソーさあ、……修行って……どういうことをしたんだ?」

 「いりょんなことおしたよー。朝はこんくらいの時間きゃらねー、」 「……。」

 「ん? あ……、しょれうぉ教えてくれたら、兄ちゃんも教えてくれりゅ?」聞きながらアーマスは一足先に口を注いだ。


 「………、母さんには内緒だぞ。」

 「うん!」ソイソーも口から水を出した。二人は並んで玄関に行った。


 「おっ。」 「あ……。」


 ショー=サナエは先んじてそこに座っていた。玄関から上がってすぐの所には小さな絨毯が敷かれているが、そこには触れずに僅かな隙間を取って隣の床に座っていた。


 「お見送りだね。」とソイソー。「サナエ。」

 「よしよし。」アーマスは背中を撫でた。「サナエ。」


 二人はそれぞれ昨日まで履いていた靴を履き、

 「それじゃあ、行ってきます。」と声を揃えて言った。


 「サナエー。」 「いってらっしゃーい。」

 後ろから母親も手を振っていた。二者に見送られて兄弟達は強い日差しの中へと歩んでいった。


 十二月の中旬、フォーダースの世界では多くの地域が夏を迎えていた。雪や氷が生まれる寒さの中にある城・町・村・里などに住む者、そして、それらの面積のいずれも倍近くが、同じ時期に、水や涼が欲しくなるような一年で一番強い太陽の下にあった。未だ開かれていない土地のことを数に入れても、この世界は南半球の方が広いのである。キィーバは、南半球に位置する面積が世界で最も大きい「ウォースレー大陸」のちょうど真ん中辺りにあるので、まさしく夏本番であった。しかし、あそこは高原地帯の涼しい所だから避暑地としてはもってこいだろ、という考えからキィーバにやって来る者が少なからずいるのだが、それはキィーバを知らない者達であった。この年はそれも考慮に入れて、各地域や国の観光課に対して大々的に、「十二月にキィーバに来てはいけません」という案内を通知していた。他地域に住むキィーバ通の者達はこの時期にキィーバへと訪れる者達を、「()んで()にいる夏の無知達」と滑稽に評していて、それだけ夏のキィーバは暑いのだった。キィーバの者達が一番多く電車で山のトンネルを抜けるのが夏であった。この年は閏月がなく、少年の知らぬ間に順当に十二番目の月を迎える時期となっていたのだった。


 「山の中は僕達が居た間、ずっと同じような気温だったんだよ。」

 「夏が来てたことが分からなかったくらいに寒かった、ってことか?」

 「うんん。今ぐらいじゃないけど、結構暑かったんだよ。」ソイソーは半袖の襟元を掴むと少し窮屈そうにそこから風を入れ始めた。


 「だから、持っていった服はほとんど寝る時に使ってたんだ。半袖のやつは一着しかなかったから、昼とかは、テリーから借りてたのを着てたんだ。」

 「相変わらず、仲いいな。修行中に喧嘩とかなかったのか?」

 「それは、まあ……ね、ケンカするほど仲がいい、だからね。でも、派手なケンカはできなかったんだ。じいちゃんの目は霧みたいに、どこに潜んでいるか分からなかったからね。」


 「じいちゃん? 仙人様のことをそう呼んでたのか?」

 「そうだよ。」


 「『じいちゃん』か…、」兄は小さく呟いた。直後、アーマスの歩幅が三歩間だけ短くなった。彼は、ソイソーもそうなのであるが、おじいちゃんに遊んでもらった記憶が少ないのであった。家庭の事情で城下の外へと出掛けることが少ないのと、おじいちゃんが今は農家をやっていて中々町へ来れないということから、二人が会えるのは年に一回あるかないかであった。仙人山があるのはその農家の近くであったが、ソイソーは近くに来ているという意識が全くなかったのであった。


 二人は大通りに出た。陽は高く光を遮る雲もなくて、辺りには建物の影はほとんど見られなかった。路面が一両西に向かって走っていったが、それが持っている影にさえ少年の目線は向けられた。店や民家の軒先にはどこも青色の旗が掲げられていた。それらが頻繁に吹いている微風に流されていて涼の雰囲気を作り出していた。ソイソーはこれを見ることで夏の訪れを一つ実感していた。だが、少年の中にはその感覚を掴みきれていない部分もあった。


 「人…少ないね。路面も…あんまし走ってない。」額の汗を拭いながら言った。

 「そうだろ。この時間がそのぎりぎりのところなんだ。二年生になってすぐの時にこの時間を見つけたんだ。朝から疲れる思いをしたくなかったからね。これより少しでも遅く出ると、一気に人口密度が増えて忙しくなる。そうすると、路面も電車も全然座れなくなる。落着いて気持ちよく学院に行くにはこの時間が最適って訳なんだ。」


 「そうだったんだ。何か、いつものキィーバじゃないみたい…。」言いながらソイソーは後ろを見た。道の右から左からちらほらと大人や子供が出始めていた。少年くらいの者達はみんな半袖を着ていて、それより大きい者達も半分ほどは肘が見えるか見えないか程度の服を着ていた。家を出てすぐ、自分達の前方には一者しか歩いていなかったのだが、今は視界の中にその十倍くらいの者が居た。たった今通りに出てきた者は小走りの状態であった。


 ふと、その彼らが上下に揺れ出した。


 「ほら、行くぞ。」

 「え?」だが、それは少年が兄に引っ張られてることによって見えたものであった。

 「分かったよ。放してよ。」ソイソーは回転しながら少々恥ずかしそうに振りほどいた。が、離れていくその手に自然と目が行った。


 「兄ちゃんの手、こんなに大きかったんだ。」

 「手? 背はソイソーが居ない間に三センチは伸びたけど、手はどうだろう?」

 「父さんかと思ったよ。」

 「父さんのは陸獣(ウォスター)だよ。」


 「でも、びっくりした。」小さな風が流れる閑散とした大通りの静かな線路を渡っていき、まもなくやって来た路面に二人は乗った。車内は一人が立っているだけであとは座席のほとんどが埋まっていた。何人かは二人の方にそれとなく顔を向けて、半分くらいはすぐに視線を戻した。アーマスとソイソーは中ほどの細い柱の所へと進んでいった。


 「じいさんの修行はどういうことをやったんだ?」


 「じいさん……ああ、うん。えーっとね、修行は朝起きてからすぐ始まるんだ。」


 「すぐ?」 「うん。」


 路面はやや大きめな電動音を出して走っていた。ソイソーは乗る前からそれには気付いていたが、兄が何も言わないので無視していた。車両はやがて左に曲がり、駅前の超大通りへと入った。車外の風景は特に変わらず、寂しげで静かであった。


 「布団から出て、すぐ近くの湧き水を飲んで、そしたら始めるんだ。」

 「何するんだ?」

 「歩くの。」


 「歩く……、」遠くの歩道で老人と思しき者が一歩……一歩……と歩いていた。「体をほぐす為……だけじゃないんだな?」


 「うん。」その返事を聞いたアーマスは、通りを歩く一人の帽子を被った男を見た。それは鍔が広く山が高くてそのてっぺんは僅かに折れて垂れ下がっていた。


 「(魔導師?)」


 「ん、何?」 「いや、何でもない。それで?」


 「まずね、五分間歩くんだ。いつも決まった方向に歩き出すんだけど、途中で右にも左にも曲がらないのに、毎日道は変わってるんだ。」

 「変わる……、魔法か。その道に何かあるんだな? 仕掛けとか。」

 「まあ、大体そんなところ。でも、最初の五分間は本当に何もないんだ。ただ、毎日変わる真っ直ぐな道を歩くだけ。五分が過ぎると何かが……、」


 「……起こるのか。」 「うん。」


 ソイソーから見た歩道には四人の兵士が歩いていた。一人が剣を()き三人が槍を手にしていた。


 「まさか悪魔(ビル)なんかは……出ないんだろう。」

 「悪魔(ビル)悪魔(ビル)だけが作り出せるんでしょう?」

 「……作るってことになると、そういうことでいいかな。……っと、……んー。……石や木の枝を避ける、とかか?」

 「そうそう、そういうのあった。」

 「その言い方だと、まだ何かあるように聞こえるが。」

 「何でしょうか?」 「……。」


 路面はもうまもなく巨大駅の中へと入る所であった。一方、この車両が走る線路からかなり離れた所、超大通りの東側から三本目の線路に、駅から出たばかりの路面が走っていた。アーマスは、この時間までだと駅から出てくる路面はほとんどがらがらの筈だ、という認識を持っていた。しかし、本日の彼はちょうど下を向いて思考を開始したところだったので、車両の存在には気付いていなかった。また、車内の誰も、運転手さえもほとんどその車両に対して反応しなかった。ソイソーは細い柱を片手で握って立ちながら少し得意そうにしていた。静かに巨大駅を離れていく車両の行き先は「南東車庫」とあった。


 「よかったな、我々以外に客が居なくて。」


 「居たら静かにしていればいいだけのことだ。」 「この服装だったら我々もただの客だしな。」


 「そういうことだ。」


 「ふぁ~~……し……かし、眠いわ。まだ昨日の……えーっと、……あれが、残ってるな。」

 「別に、意味もなく言い方を濁さなくてもいい。お前がこういう時に失敗をしないことはよく分かっている。だが、大丈夫だな? これが最終点検なんだぞ。それも、」


 「我々の所が一番重要な拠点、ってことだろ? 心配しないでくれ、将軍。俺の任務は侵入者が居ないかどうか警備するだけのものだからな。はっきり言って、入口に立っていればいいだけっていう三等兵でも務まる仕事をしくじることは砂粒ほどもない。」


 「念の為だ、全てに於いて。恐らく、すぐそこまで迫ってきているからな。」


 「お二方、客が来ます。ご注意を。」

 「ああ。」 「……。」


 駅から出てきた路面は駅前十字路を直進。超大通りから道路の幅が半分となってすぐの所に乗車場があり、二人の女性が立っていた。車内に居る者は客を装っていそいそと新聞を広げ始め、または(うつむ)いて目を閉じ始めた。車両の速度が徐々に落ちていった。


 そして、こちらの路面も減速中となっていた。巨大駅の十番線に入るところであった。


 「まだー?」 「危ないから降りてからだ。」


 二人は路面の停車を待ってから降りた。この時間の乗客で走行中に急いで降りる者は誰も居なかった。ソイソーはまるで余所者になったかのようにその状況を見ていた。


 「ソイソーもこれから早く家出ろ、な?」


 「考えとくよ。」二人はのんびりとした歩調で階段を上がっていった。上がった先の通路には数名の兵士が右に左にと行き来していた。彼らの手には数枚のパペルがあった。


 「……、まだ客の多くないこの時間を使って、車庫から出てきたばかりの車両の簡単な点検をしてるんだろう。」


 「ふーん。」少年は抑揚のない返事をした。三名の兵士が二人に気付き朝の挨拶をした。少年達もしっかり丁寧な形でそれに返していった。


 「さっきの話だけど、修行の。じいさんが後ろから攻撃を仕掛けてくるんだろ?」

 「前からも横からもあったよ。」


 「前からもか……。」 「上からもあったし。」

 「上?」

 「うん。術の攻撃が来る時は頭の上からが多かったよ。それに、よけるだけじゃないんだ。取らなきゃいけない時もあるんだよ。」


 「取る?」

 「団子になったパペルが飛んでくるんだよ。横や後ろからは来なかったんだけど、上とか前とかから来るそのパペルを拾えないと、朝ごはん抜きにされちゃうんだ。」

 「修羅だな、それは。毎日か?」


 「……何? 『しゅら』って。」

 「取り敢えず、その朝ご飯の為にも命懸けてるんだな、くらいに思っといてくれればいいよ。」

 「ふーん……、でも、その『しゅら』は毎日じゃあないよ。三日に一回くらいかな。……あっ、ここ右か。」階段を下りると、水色と黄色の帯が入っている電車は扉を開けて出発を待っていた。弟が走り出すのを兄が制して、二人は余裕を持って乗車していった。


 間が空いてしまいました。申し訳ありませんでした。

 これからも、どうぞよろしくお願い致します。

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