第一部 第三章 Na
「思えば、その時間を迎えるのが一番辛かった。」と、テリーはその日の夜に思った。
ショー=サナエは芝の上に立って上を向いていた。春が始まったばかりでまだまだ丈の短い緑の子供達が、やはりこちらも短い可愛らしい小さな足をよくくすぐっていた。黄色い足は薄茶色の所に合わないことはなかったが、闇色が濃い中での土の上に馴染むものではなかった。ショー=サナエの足はキィーバの風と触れ合いながら落着いた様子を見せていた。だが、嘴が小さく開かれると、足は見えなくなっていった。白いお腹をくっつけて芝の上に座ったのだった。大きなお腹を持った体は二つの足が感じていた自然のくれる安らぎを代わりに充分過ぎるほど受け取っていた。真ん丸の目が見ている方角には、普段の同じ時間であれば沈み始める太陽を見ることができるのだが、すぐ近くに高い山があるという今の状況のせいで、視線の先は、影で色を表すことができないスンボーの山があるだけだった。もっとも、この山は普段の色も決して美しいものではなかった。城の学者から「死の山」とも喩えられているこの場所は、草木の姿を想像しがたい灰色でほとんどが埋められていて、その学者の話では、もう一千年は緑や水さえも存在しない状態が続いている、ということなのであった。そういう訳なので、この山は、人を始めとした生物達の関心を示さない場所になっていた。しかし、ショー=サナエはずっと同じ方向を向いていた。洞窟を出てソイソーの腕の中に居る時からそうであった。青色の瞳はいつもと変わらない真ん丸の形であったが、それが捉えているものがそうさせている為か、表情は決して明るいといえるものではなかった。
「何? 仙人を探しにここまで来たのか。」
「……はい。」
ショー=サナエが体の向きを変えたのは、ソイソーの小さな返事を聞いた時であった。風の向きが緩やかに北東へと変わっていった。
このような場面において、男のどすの利いた声は洞窟に潜む闇の如しであった。今回の大冒険がそうであるように、その奥にあるものは十中八九恐ろしいものなのであった。
「仙人?」 「ああ……、ダメだ……。」
テリーは、男が広間に姿を見せた時から覚悟はしていた。していたが、この日ここまでに溜まった疲れというのが少年の予想を遥かに上回るものだったので、声と共にテリーはただ項垂れるだけであった。二人の少年剣士から二人の身長分離れて横顔を見る格好で立っているアーマスは、視界の左側に居た男の方をもう一度見てから、すぐに頭の中へ「仙人」を探しに行ってしまった。二人の未熟剣士を見下ろしている男はソイソーの方も下を向き出したのを見ると、険しくしていた表情の一部を一瞬にして緩めていった。右手で頭を軽く掻きながら口元で軽く笑みを浮かべると、下を向いてる二人に対して一つ大きく口を開いた。
「喝!!!」
「………!」 「……!!!」
少し驚いたソイソーは軽く肩をすくめて徐に顔を上げた。見えてきたのは、薄暗い色の中にある横にも縦にも大きながっしりとしまった男の体に、それと、目が小さく開かれて同じく小さいその口がしっかりと結ばれているという、普段の男の顔であった。「あれ?」と思わず声が出てしまったが、その声は男の耳に入っていなかった。テリーは更に頭を下げていて、ほとんど直角に体が曲がっていた。男は目を閉じると、今度は僅かに口を開いた。
「キィーバ ノーツ スーニ サラズ」
「えっ……、キィーバの……移す?」
「キィーバ、ノーツ・スーニ・サラズ。これには、『キィーバよ、今この瞬間に感謝致します』という意味がある。お前達が無事でよかった、ということだ。」
「すいませんでした、おじさん。」テリーが男の言葉に素早く反応した。ほんのちょっと体を起こしてから、すぐにまた深々と頭を下げて、普段の位置から百二十度くらいのとこまで体が曲がってしまっていた。ソイソーも、テリーの体が動きを止めたところで再び小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、父さん。」
その言葉に続いてショー=サナエは目を閉じて嘴を地面にくっ付けた。
ソイソーとアーマスの父、
グリード=カダイア=ローレスは、背中から腕を大きく廻していって真上に来てから下ろしていく形で腕組みをした。身長百九十七センチメートルの大きな体がした大きな動作は、それだけで小学院生に恐怖感を植えつけてしまうものであった。ソイソーは影を通して口数の少ない父親の今の行動を見ていた。山間から光が差し込んできていて、グリードは太陽を背に受ける形で立っていた。光が生み出す天然の黒い画は、少年の目を通すと、大きな鞘に見事な大刀が納まる様子を描いているようだった。年下の少年は頭を上げようとはもちろん思わなかったが、更に下げる必要はないかな、とも感じたのだった。
テリーは今、視界を真っ暗にしていて何がどうなっているのか分からない状態だった。そして、同時に分からせたくない状態であった。山を降りてる時から、「何て言って怒られるんだろうか」とか、「うちの親父にも知られてこっぴどく叱られるんだろうな」とかいうことばかりが頭の中を走り廻っていた。しかし、おじさんの掛けてくれた一言はそのテリーに、先ほどまで感じていた闇の中での恐怖と、生きたキィーバの風を再び身に受けることができる奇跡とを急激に実感させるものとなっていた。緑の地が受け取った極小の数粒は何とも素直なものであった。
そんな二人の頭に男はそっと大きな手を置いた。まずテリーの方に右手を置いて二周ほどその茶色い髪の頭を撫でた。テリーはそれでもまだ下を向いたままになっていたので、おじさんは手の平だけを使って柔らかく、パッ……パッ……、と音が擦れ出る程度に彼の左頬を叩いてあげた。一方の息子の方には置いたまま何もしなかった。ソイソーはゆっくりと頭をもう少しだけ下げてみたが、父親は、その動きが停まったところで、力を加えて今下げた分の二倍深く頭を下げさせてから、その手を放した。その姿勢でソイソーは右手を頭に持っていって更に少しだけ頭を下げた。結局、二人は同時に頭を上げていった。
ショー=サナエはそれよりも前に顔を上げて、三人の様子を眺めていた。
「ん? ソイソー、テリーに比べるとあんまり怪我してないじゃないか。腕、全くの無傷だぞ。」
「えっ? ……あれ、本当だ。何でだろう?」ソイソーは自分の手と足を見て、そして、左隣に居るテリーの全身を見比べて目を丸くした。テリーも自分の怪我している箇所を見たが、どこか気が抜けた表情をしていてそれ以上の反応はなかった。アーマスは頭の中に入ってからそのままの状態が続いていて、その様子をチラッと見たショー=サナエは、翼を使ってまた四人に背を向けた。
「手だけ綺麗だ……。顔ちょっと痛いし、足も色々と汚れてるのに……。」ソイソーとテリーは、足の傷は同じ程度であった。二人共同じ森を越えて、途中までだが洞窟も同じ所を探索していて、足の傷はそれらの時のものがほとんどだった。顔はそれぞれに傷があるが、その原因は違うものであった。テリーの傷は、力の弱い小悪魔が集団で囲んできた時のもので、所々赤く腫れているが、その程度は大したことはなかった。ソイソーのものは二人の友情がもたらしたものであった。右頬にある少し大き目の傷口に手をやると強い刺激がその辺りに広がっていった。刃の破片のほとんどは傷を作ってすぐに落ちていたが、今触った所の少し下に傷を作らずにただ皮膚に貼りついただけの極小の欠片があり、ソイソーはさりげなくそれを手の中に回収した。そして、それを誤魔化すかのように、少年は自分の腕を繁々と見やった。
「うーん、不思議だ。」
「そうだ、ソイソー……。」テリーが何かを思い出したかのように口を開いた。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




