第一部 第三章 Re
復活の節目はまもなく。だが、それを伝えられる存在が今はまだ居ないのである。
アーマスはゆっくりと顔に表情を込め始めた。
「あんなものは今までに全く見たことがなかった。まるで、綿で作られた大きなボールのようであったが、それはそれ以上に柔らかくて温かみを覚えるものだった。しかし、しっかりと重みがあって、体がそれを受け入れるのにある程度の抵抗もあるものだった。ああいうものは古書の中にしか存在しないものであるとばかり思って……、いやそれよりも、あんなことができる……? あっ、いやいや、ごめん。えーっと……、もう一つの偶然はねえ、」
ソイソーはキョトンとした様子で兄を見詰めていた。テリーは生地の破れた枕を投げつけられたような気分であった。しかも、相手がアーマスであるという認識がはっきりと抜けている中においてであった。
アーマスは更に左に顔を向けた。ソイソーは兄の右耳が動く所を見た。それは兄の癖であった。彼は特定の音を探し拾い出す時に、両耳を動かすということをしていて、ただ本人曰く、動かしているのは片耳だけ、とのことであった。そして、その動きは三回ほどで止まった。ソイソーはその停止によって何かが動き出すのを感じた。更に、その場にじっとしていてはいけない、ということを誰かに言われているような気がした。
「それはね……。」兄はそう言うと、ソイソーから見て右の方に三歩ほど移動した。
「……ー。」 「……え?」
遠くの方に居る何かをソイソーは感じた。少年は今、ゆっくりと動いていた足と足を、最初の一歩を思い出したかのように地に下ろしていった。
「通路……、光……。」視界の奥にあるものが口を突いて出てきた。外に押し出したのは少年の中に居るまだまだ木の芽ほどにもならない者の仕業であった。ほんの少し前までは、やはりこれだけは地の中の虫に食われてしまうのではないか、というような運命に置かれていた末の種が、闇の中で靄のような光と出会った末のことであった。二つの光は似て非なるものだった。いや、前者はまだ小さすぎるのだった。だから、先にテリーと共に駆け出した時にあった風景と同じにも見えるのだが、ソイソーにはその時と光の様子が違っている風に、不思議な確信を以ってそう見えていた。視界の中心にあるのは象徴となる凄まじいばかりの白さであった。その周囲にはぼんやりとした赤い煌めきが発生していたのだが、少年はそれを、自分が顔面で思わず作り出してしまった物の産物だと思っていた。
「…ァエー…。」 「……!」
少年は一つ息を吐き出しながら口が動いただけだった。テリーはまるで穴の中を覗き込むように、首を前に出していった。アーマスは左腕で顔を軽く拭ってから、鋭い目線を広間の奥へと突き刺した。そこに居る存在は今もなお、体を極々僅かに左右に動かしているだけだった。少年は次の一歩を前に進めようとしたけれども、足が思うように動かずにやや前のめりになった。兄は一旦、視線と目付きを切り替えて、すぐに顔ごと右に向き直した。ちょうど光の通り道とならない部分がそこにはあった。永きにわたる重なりを感じるその場所で、彼は言葉を口にした。
「キィーバ ノーツ スーニ サラズ。」
そして、
今、少年の中で、忘れ去られた光が一つ、永き眠りから目醒めた。
「サナエー!」
そこにはショー=サナエが走っていた。光に代わって闇が残されていた洞窟の通路をショー=サナエは走っていた。それはやはり、決して足の速いものではなかった。だが、自分のぽっちゃりとした体を隠し切ることのできない大きさの翼を地面と平行に開いて、頑張って風を切ろうとしながら走っているその姿は、少年に一つの力を取り戻させた。ソイソーも満面の笑顔になって、手から刀が離れながら走り出すと、両者は、ちょうど通路から開ける所で再び翼と手を触れ合わせた。一緒に過ごしてからまだ十日と経っていないショー=サナエとソイソーであったが、特にソイソーにとっては、離れ離れになっていた時間が百日にも感じる思いであった。ソイソーは、今自分が何処に居るのかということを忘れて、その小さな体を抱きしめていた。ショー=サナエの翼は抱きついてきたソイソーの腕の上に優しく置かれていた。
「どーこに行ってたんだよー、サーナーエー。」声が僅かに揺れていた。それに合わせて、ショー=サナエに触れている少年の体も極々小さく前後に反復して動いていた。
「……、サーナー、エー……。」その声に気付いて、少年は慌てて力を緩めた。手はショー=サナエに触れたままで前屈みになっていた体勢を後ろに戻して、今度は、その顔をじっと眺め出した。何も変わっていなかった。真ん丸の目はくりくりっとしていて、中の青い瞳は何ら迷うことなく少年の顔を見詰めていた。黄色い嘴も小さく、パクパク、とさせていた。少年の腕の所々にはショー=サナエの白い毛が数本散らばっていた。
「本当に不思議な奴だよ、この『サナエ』という奴は……。」そう言って、アーマスは少しだけ振り返った。ソイソーの顔は嬉しそうであった。兄は何だかほっとする気持ちになったが、そうさせてくれるのが弟の前に居るこんな小さなものであるのかもしれないということに対しては、まだ不思議な気分が拭えないのだった。
「サナエ……。」今、テリーの中の恐れる気持ちなどというのはかなり小さくなっていた。顔がこっちを向いていないから、というのは理由の一つだった。だが、この少年がショー=サナエを見る目は、ソイソーが初めて目の前の存在に会った時のそれと何処か似ているのだった。
「……!」と、テリーは不意に、強度の刃を突きつけられたような感覚を覚えた。アーマスは舌打ちと共に顔を前に向けた。ショー=サナエはゆっくりと顔を上に向けていった。その先にはソイソーの反転し終える後ろ姿があって、その陰には長いこと立ち尽くしていた古い力があった。ショー=サナエは嘴を隙なくきっと閉じ顔を若干斜めにして、目の形を、ソイソーを見る時とは違った形とした。変わったショー=サナエの表情が映しているものはこの広間の一部であったが、深層に描かれたものは二者のあるべき出会いなのであった。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




