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第一部   第二章    Tsu

 対面の時…、風は僅かに動きを変えた。

 ソイソーは左を見て、右を見て、それから、静かに前を見上げた。ソイソーがいつか何処かの、高い所か、低い所かで見たことのある、蛇の体長よりも遥かに長くて太い首が、そこにはあった。目線を上にずらしていくと、まず、口が見えてきた。少年の体が頭からすっぽりと入ってしまいそうなくらいに大きくて、今は、その入口が僅かに開かれていた。鈍く光った牙が数本見えていた。鼻は、よく見る(ユマン)のものと変わりはないように見えた。もちろん、大きかった。そして、何故か、目は閉じられたままだが、その横には、飛獣(フレマー)や鳥の翼を思わせる形の耳があって、今も、頻りに動いていた。


 「…、でかい……し、………あかい。」少年は、走っている時に、目を合わせちゃったら息もできなくなるのかな、と思っていたが、それ以上に、今声を発することができたことに対して、名前を知らない大の友達から力を分けてもらっているような、そんな不思議な感覚を抱いた。


 相手は少年の声がした後、長い尻尾を動かし始めた。巨体は地に着いたままだが、ソイソーから見える部分である筈の折り曲げた状態の足は、当初、その長い尻尾に隠れてほとんどが見えなかった。ズゥズゥズゥ…、という重いものを持たずに引きずるような音がしながら、茶色がかった赤い尻尾が、ゆっくりと動いていくと、それは少年の眼前に映し出されることになった。俺に触れたら怪我をするぜ、っていうのはこういうことなんだ、と盛大な勘違いを少年が起こすほどに、皮膚は刺々しく、その一つ一つも長めのナイフほどの大きさがあり、刃を通そうとすれば、切られていたのは金属の方だった、というくらいの外見があった。もっとも、そんなことを起こす気になれないものが、少年には見えていた。それは、足の爪であった。小指と思われる所の爪でもその長さは少年の肩幅以上はあった。ソイソーは唾を飲んで、思わず一歩後退した。その時だった。


 「オォー…、ウグォー…カー…。」


 「…えっ?」 「(パクパク)」


 突然だったので、少年は、今聞こえてきたものが唸り声だと思い込んだ。もちろん、相手の口からの音だとも思った。いずれにしても、少年はよく聞き取れていなかった。相手は次の声をすぐに発しなかった。ソイソーは後退させた足を元に戻してから、独り言の感じで声を出した。


 「しゃべっ…た? 本当に?」


 「(ドラゴン)がどういう存在であるかをまだ知らないか、(ユマン)の子よ。」


 未だに目は開けず、微かに開いたままの口も動かすことなく、その燃え上がるような紅い皮膚を持った(ドラゴン)は、言葉を発した。少年にも分かる、フォーダース・ユマン語であった。少年は、「(ドラゴン)語」で話してくるのかな、と思っていたのだが、自分の分かる言葉を使ってきてくれたので、驚きながらも幾分安心した様子を見せた。後ろのショー=サナエは、最初に(ドラゴン)が声を発したその瞬間から、真逆の方を向いていて、じっとしていた。時々、口をパクパクさせるだけで、頭部以外は完全にリュックの中に入っていた。そのことよりも、少年は、目の前の、この大変珍しい存在に大いに関心を持った様子であった。(はや)、相手が何を言ってきたのかと言うことを忘れていて、少年は果敢に(ドラゴン)へ話し掛けようとしていた。


 「あなたは………ドラゴンっていうんですよね?」


 「…、私が平気かね。」相手の発する声に少年は何か神秘的な感じと、同時に違和感を覚えた。そのことに戸惑いがある為か、すぐに、少年の次の言葉が出てこなかった。相手も黙ったままだった。ようやく、少年の左手が左の脇腹を叩いたところで、少年の次の言葉が出てきた。


 「凄く……強そうだなとは、…ううん、強いより凄そうだなって思うんですけど、でも、怖くはないかな。…えへへ。」


 「…。」閉じたままの目で少年を見ているその(ドラゴン)はその尻尾をまたゆっくりと動かした。()にとっては意識するほどでもない、ほんの十センチメートル程度の動きだが、低く小さく響く擦れるような音は、並の子供に対してであれば充分な威圧感を持っていた。だが、それはすでに、ソイソーに何らの変化をもたらすものではなくなっていた。ソイソーは相手の変わった顔を見ているだけだったが、見やすい位置へということで、三歩ほど後退していった。そのことを含めて少年の心理にどうしてか気付いた(ドラゴン)は、今度は、静かに力を込め始めた。すると、少年から一番近い所にある(ドラゴン)の五つの爪が徐々に地面に()り込んでいった。少し経つと、(ドラゴン)の口が大きく開かれていき、そこへ息が吸い込まれていった。ソイソーは流石に警戒をして、いつでも動けるようにと身構えた。しかし、少年の予想に反して、口の動きはすぐに止まった。そして、視界の端の方で何かが動き出した。


 「おぉ…。」現れたのは(ドラゴン)の翼だった。山の尾根のような背に隠れて寝そべっていた、少々色あせた紅をまとった翼、(ドラゴン)は一度の大きな羽撃(はばた)きを伴ってその姿をまざまざと見せ付けた。大きさは巨大な体が風を掴むのに相応しく甚大であり、それを為す羽の代わりは、やはり、頑丈な皮膚であった。「…すげー。」小さく少年の口から感嘆の声が漏れ落ちた。その言葉には一片も、相手を威圧するような力が込められている筈はないだろうが、両方の翼は急に不安定な動きを見せ始めた。少年の目に更なる輝きが生まれ始めるところで、(ドラゴン)はすぐに、自らの翼を元の位置に戻してしまった。僅かに動いた足先までも(うやうや)しく下がっていった。大きく開かれた口がいつの間にか閉じられていて、高く伸びていた首は縮んでいくようにして体の上に横たわっていった。鼻と髭を動かしながら顔を少年の方に向き直して、(ドラゴン)は何処からなのか、ユマン語を発しだした。


 「ただの(ユマン)の子ではないな。」


 「えっ、…えーと僕は、お城で働いてる父さんと魔法が使える母さんの子供だよ。母さんはちょっと変わってるらしいんだけど、でも、普通の(ユマン)の子供だと思うよ。ねえ、それよりも今、どうやって声を出したの? 鼻から?」

 「………、鼻から声が出せる生命は極僅かながら存在している。だが、数ある(ドラゴン)の中で、そのような生態系の者が居るかどうかは分かりかねる。私の……、」(ドラゴン)の言葉はそこで途切れ、髭の動きも一瞬だけ止まった。顎や頬に小さなものが幾つかあったが、動きがあったのは今動いていた二本だけだった。


 「何ですか?」

 「いや、それよりも私が如何にして声を出しているか、であったな。…答えは、『魔法』だ。」


 「…、魔法…。」

 「………、今の(ユマン)が持つ魔法の力では、これは相当高度な部類に入るであろう。ミスティラングの持つ意味を完全に理解し、…魔法の根源的な概念を良く心得ていなければ、この技術は身に付かないのだ。」魔法が止んだ時に、ソイソーの口は閉じられていった。声を聞いてる時は、呆然としたような姿を見せていたが、何とかその粒の一つ一つを漏らさず回収しておこうと、少年なりに努めているのだった。


 「…すまなかったな。子供にするような話ではなかった。」そう言うと、(ドラゴン)は再び小さく口を開いた。「しかし、……、」その上に左右一本ずつ生えている、太い鞭を思わせるような、茶色くて長い髭が、なびくようにそれぞれの方向に動くこと数秒、口は次第に閉まっていって(ドラゴン)は魔法の続きを唱え始めた。

 「しかし、お主はただの子供ではないのだ! 絶対に。」


 「そんなこと言ったって………、何で?」この時に(ドラゴン)の放った魔法がそれまでの中で圧倒的に強い力を持ったものであった。だが、ソイソーは言われた内容に少し戸惑うくらいで、積極的に(ドラゴン)に立ち向かっていった。応じて、(ドラゴン)は首を僅かに伸ばしていった。この小さい者らがこの場所に来るべくして来た者達である、という確証を、その紅き相手は持っていなかったが、自分の居る空間に足を踏み入れた生者がおよそ「五十年」振りのことである、という事実もあって、(ドラゴン)の魔法はより力を増していった。

 「ここまで来ることができる、だからそうなのだ。」


 「だって、あの赤い模様の所を踏んだだけだもん。」


 「最初からあったのか?」 「無かったよ。」

 ソイソーが気付かない程度に尻尾が動きを見せた。


 「では、どうやって紋章を出したのだ?」 「もんしょう?」


 「…。」(ドラゴン)の鼻から少し強く息が吐き出されて、ソイソーはその風の直撃を受けた。

 「その模様のことだ。」


 「そんなこと言われても…、」少年は(ドラゴン)に、自分が洞窟に来てからここに来るまでの経緯を、一部を除いて話していった。話をしている途中で少年は、(ドラゴン)の大きな耳がそれこそ翼のような動きを見せているのを視界に入れて、少々目を丸くしたが、相手はそれ以上の動きや反応を全く示さなかった。ソイソーの話が終わると、(ドラゴン)は再び口を小さく一定の大きさに開いてから、その大きな顔をやや上に向けて、先の時よりもかなり力を抑えた様子で魔法を放ち始めた。


 「開けたのか……あれを…。」 「そうだよ。」

 「…誰の息を吹きかけたと…。」 「…だから、僕の…。」


 次の瞬間、(ドラゴン)は長きに渡って閉じていたその目を大にして見開いた。


 「わっ………、………。」声は小さかったが、ソイソーはこの紅き大巨体を目にしてから一番の驚きを見せた。(ドラゴン)の金属にも劣らぬ強度を持つ瞼の裏に存在していたものを、少年は、霧の陰に隠れて悪さをしようとした奴よりももっと恐ろしいもの、と感じた。瞼が覆っていた所にはその(ドラゴン)に全く似合わない、禍々しいとさえ言えるほどの濃い青の光が満ちていた。そして、その光が邪魔をしている為に、その奥にある筈の瞳の存在を、ソイソーの青い瞳を通して少年が確認することはできなかったのであった。少年は不意に、落胆した自分が居ることを微かに感じ取って、それはそれで奇妙に思うのであった。


 これからも、どうぞよろしくお願い致します。

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