第一部 第二章 Nu
彼は商人だった。だが、ある者は言う。
「あいつは最低だ。人の足元を、これでもか、ってほど見てきやがる。靴の中まで覗かれてるような気分だぜ。」その男は商人から、流通価格の十倍もの値段で物を買わされたことがあれば、珍しい金属を一日の飯が食えるほどの値段程度で買い叩かれたこともあった。
そのような者が多く居た。そのような商人も決して少ない訳ではなかった。どの時代でも。だが、この商人の生きた時代は別であった。飢饉が非常に長く続いていて、物の値段が異常なことになっていた時であった。
そのような中、この商人は自分の道を貫いていた。理由はこうだった。
「親父がそうだったんだ。俺の親父は商人仲間の間じゃ、一目置かれる存在だったんだぜ。俺にもその才能があるんだ。」
そして、時はやって来た。その商人の結末を予想していた者は多く居たが、大きな意味で外れた者は居なかった。道端で、肉を口にして倒れていた。
「おう、その肉くれよ。いくらだ?」
「一S -当時の貨幣で、今は無い- です。」
「おいおい、マジかよ。まっ、そんなら有り難く頂戴していくぜ。」
「どうも。よい旅を…。」
そして、その商人は旅立っていった。実に、三百年間。未だに闇の中を歩いている。
では、本文をどうぞ。
「おかしいな、何か聞こえるような気が…。」選ぶ路を迷ってからどれだけの時間が過ぎたか、少年は分からなくなっていた。実際はほとんど砂の量が変わらないくらいの時間であった。白い粒子はほとんど変わり終えていた。少年は、一つの通路に向かって足を踏み出そうとした時に、その音を感じた。それは先行者の行進曲ではなかった。寧ろ、待機部隊による狂想曲なのであった。しかし、少年の頭の中はごちゃごちゃしていた。聞く必要のある音と、無い音の区別が曖昧になっていた。「(もっと前からこの音は聞こえていたような気がする)」という感覚が僅かにソイソーの中にあった。
「うーん…。」少年は頭の中を整理しようと、四回、軽く頭を叩いた。間隔を大きく空けたり、小さく開けたりしながらやった。だが、それはよくなかった。それをしたことで、また音が聞こえたと思った少年は、あれこれ構わずどんな音でも拾おうとした。
「うーん…、どれだろう…? …何か…変な気分…だ。」少年が拾った声はソイソーの声を現し始めた。少年の爪先は違う方向を向いていた。
ソイソーの声に惹かれた邪声は微量ずつだがその大きさを増してきていた。少年は再び足を取られることになった。白くも黒くもない、見えない人形遣いが、ソイソーを自分達の縄張りに連れて行こうとしていた。「魔法竜巻ごっこ」と称して、ひたすら廻り続ける遊びで一番ばかりを取る少年も、周りが灰色になっていく感じを覚えていった。耳に入ってくるものは、鐘を振った時のアレ、となりつつあった。額やお腹の辺りから汗が出始めていた。
「う、う…。」邪声を操る者達はその瞬間を狙っていた。それまでは、少年達が通ってきた通路の外れで姿は見せずに、ただ黒い光を目に湛えるのみであった。奴等は生者の発狂した時を合図として、その姿を実体化させていた。それまでは闇の中で、光に拠らぬ影となってあべこべな生を過ごすのだった。だから、決して不死身ではない奴等はそのほとんどが、闇のまま、闇を形作るものにもならずに、消えていくのであった。
「う、うう……。」生者を得ることができればもちろん力を増すが、その為にも奴等は力を得るのだった。強か故に運命に見放された者が、たった今、少年を狙うような奴等の大半となるのだった。そして、そんな力に惹かれたのか、ただの偶然か、少年の遥か上には、氷柱のような妙に澄んだ青く光る鍾乳石が垂れ下がっていた。眼下に居る少年を悠久の内の一時にただ眺めているだけであるはずの老体に、この黒い光を備えた者は一つの邪声を放った。その声が風となって石を包むと、それはその力に必死に抗うかのように震えた。だが、すぐに震えが収まり、鍾乳石からは一粒の雫が滲み出てきた。その一滴に映された色は、彼がこの歳まで生きてきたその半生を顕した色ではなかった。冷たい風の色で満ちた雫だった。
「…。」少年は遂に、膝に手を置いた。頭をダランっと下げて首の後部が諸に露呈した形となった。声の主はこの瞬間を見逃さなかった。歪んだ像を持った其奴が近くにある壁から薄っすらと乗り出し、右半身だけを茶色の明かりの中に現した。外見に似合わない白く輝いた並びのいい歯を見せて、更なる邪声を放った。声に反応してそれは動いた。非常に高い根元の所で発生した黒い雫は静かに緩やかに流れていった。石の外を流れていた。中ほどを通り過ぎていった。そして、あっという間に、石の先端に達していった。
「…ァ!」存在を悟られないようにする為か、相当小さくではあったが初めてまともに、奇怪な感じを覚える声を出した。
しかし、ソイソーはそれに気付いた。
「(これは…?)」
「ンドゥト!」なんだと、と声を小にして出すと、そのまま其奴は姿を消した。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




