第一部 第二章 Ri
行けども行けども、霧を通り過ぎる度に後ろを向けば、そこには何故か陽の光がある。だが、通路はこれだけしかない筈。他の通路を俺の目が映していないのだから。
-中略-
知り合いの魔女にこのことを聞いてみたところ、彼女は次のようなことを言った。
「それはその穴を掘った者が仕組んだ魔法の力に違いないよ。時の魔法の中に『ニートラ』というものがあってね、おっと、心配しなくてもいいぞ。こんな高度な魔法、口にしただけじゃただの戯言で終われるからな。そいつを練ると、俗に、『巻き戻しの霧』と呼ばれたりするものが生み出されて、とにかく、侵入者の歩んだ時を僅かに戻しちまうのさ。」
-一部省略-
「物好きだねー、あんたも。まっ、そんな洞窟の奥に居る奴なんて、化け物でなけりゃあ、とんでもなくエライ奴だろうね。しかし、あんたには世話になったからもう一度だけ言っとくよ。家を出たら、まっすぐ女の所に帰んな。今ならきっとその首飾りで許してもらえるんだから。前に進むだけが男じゃないだろ、エヴァ。」 -クルーズ=エヴァートン著・「人の預からぬ地にて」、より抜粋-
では、本文をどうぞ。
見覚えある広間の三つの通路は先ほどと同じように真ん中を行った。ほんのりとした暗闇を大分長く歩いていたので、少年の目は魔法蝋を点けて歩いていた時と同じような状態になっていた。弱くなったり強くなったりしている冷たい空気の流れも、ふかふかのショー=サナエを抱えているおかげで、ただのどこからか吹いている風としか感じられなかった。今は、その風の流れをほとんど感じていない状態だった。少し前に、同じように風の流れが無くなりかけた時は、その後で、急激な逆風が発生して、更に、一瞬だけ目の前が見えなくなった。それは、最初の広間にやって来た時の、魔法蝋の灯りを消して闇を招く、といったようなことではなく、ある意味ではその逆で、
「うわ、まただ。」少年の前に突如として現れるこの白い霧の為に、であった。
「サナエ、サナエ。」
霧はただ目の前を真っ白にしていくだけでなく、少年の頭の中をも白く掠めていくのだった。
「くそっ、早く周りを確認しないと…。」霧をもたらすこの風はソイソーの真正面から不意に来るものだった。少年が咄嗟に目を覆いたくなるような威圧感があったが、決して強風ではなかった。視界の利かない少年にはどうにも分かりようのないことではあったが、向かってくる白くて非常に小さな粒の集まりは非常にゆっくりとした動きなのであった。それでも、少年は顔から腕が離れなかった。更に、じわじわと足が動き出していた。動き方は風に抗しようという風に見えなくもなかったが、足先に来た何かから逃げる為の反応であるようにも見えたのだった。そして、広間を暴れ廻った白いイタズラ者達は静かにその場から姿を消していった。それと気付けない少年はもう数秒間同じ姿勢を余儀なくされた。腕が下がって、同時に足の動きが止まって、その後のソイソーは取り敢えず口を動かすしかなかった。
「まただ、真ん中に居るよ。僕達。」風と霧に再度弄ばれたことで、ソイソーは、これは遂に魔法使いさんの出番かな、と思った。頭の中に、小さな馬車が走っている様子が出現したが、少年がそうと認識する前に、その映像は白いものに飲み込まれていった。気が付いたら無人島の真ん中に居ました、というお話の意味を、少年は少しだけ理解できたと感じた。
洞窟に入って最初にあった広間より今居る所は大きかった。面積ということでも、高さという意味でもそうだった。一度上を向いた少年の目が、天井を映すことはなかった。霧の無い状況の時であった。今も同じ状況であったが、ソイソーは周りの壁でさえも見ることが難しくなっていた。ただ、そちらの方は霧が白い背景をもたらした為でもあった。キョロキョロと少年が辺りを見廻すこと十秒ほど、ようやく、視界にはっきりとした広間の壁の姿が現れた。すでに見ているものに対する今の少年の目は、まるで新しいものを見ている時のような目であった。
改めて、その場でぐるぐると廻ったところ、どうやら、今回も四つの通路があるようだった。四つの通路がある広間はこれで五つ目だった。通路の伸び方はどれも似ていたが、この広間は二番目と、一番目は四番目と特によく似ていた。でも、ソイソーは、今居る所と二番目の場所が別々かもしれない、と感じていた。はっきり、…という訳だから、などということを言える状態ではなかったが、どちらにしてもそんなことを考えないのが、ソイソーであった。少年の体にちょっかいを出した白い霧が、体の中にまで居座る種類のものでないことは何とも救いではあった。が、
「どうしよう、もう次で正解の路を見つけないと…。テリーに先越されちゃうよ!」
「サナエ、サナエ。」
「もう、引っ張るなよ、サナエ! どこ行けばいいか考えてるんだから!」
「サナエ、サナエ。」
少年は、周りの壁を見ていくということをしなかった。一時は、した方がいい、するべきだ、と頭の中で声がしたが、ここに居ると、その声が風の中の轟音にも等しいものになるのだった。今のやり取りの中で、ソイソーはショー=サナエを知らず知らずの内に地面に降ろしていた。ショー=サナエは抵抗することなくソイソーの靴からゆっくりと離れていった。そして、まず、少年の周りを歩き始めた。歩いている時は、さながら地中に潜んでいるミミズを探す鳥のように、頻繁に下を向いては、一々黄色い嘴を動かしていた。周りが見えなくなっている少年は、間抜けな小躍りをするように、その場で靴の向きを時計回りに動かし続けていた。ショー=サナエは正面から来る靴にぶつかりそうになると、別者になったように軽々とかわしていってから、歩いていくということをした。歩き方はいつものゆったりとした足取りであった。ただ、ペタペタ、という小さい音が聞こえてこないのだった。
何週ぐるぐるしたか分からなかったが、何とか足を停めることができた。少年はまず右を、そして左を向いた。それぞれ一つずつ通路が見えたが、少年は正面を見た時に、それが二度目の初めに見ていた方向であったとは、夢にも思っていなかった。ショー=サナエは悠然と歩いていた。少年の目にその姿は映っていなかった。ほんの僅かなところであった。何を思ったか、ショー=サナエが小さく飛び跳ねた時は、ソイソーの目はすでに違う所を向いていた。ソイソーはどっちに行こうか迷っていた。左か右か……、…後ろか…。ショー=サナエは前に向かって歩いていた。ソイソーには聞こえていなかったが、いつもの「サナエ、サナエ」という声を出して可愛い足を動かしていたのだった。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。




