09.セリーヌ・発見のかけら
「ふふっ」
「急にどうした?」
ある日、いつものように二人そろってこの古書の匂いの籠った魔導書室に入り浸っていると急にセリーヌが笑い声を漏らした。いつもは静かに読んでいる彼女にしたら珍しいことである。
思わず笑い声を上げてしまったセリーヌにソレイヤは怪訝な顔をしている。確かにそうだろう。セリーヌの手にあるのはおおよそ笑いが起こるような本ではない、古代魔術語で書かれた古代魔導師たちの芸の指南書なのだから。
「わからないところもあるのですが今日で一応5系統全ての魔導書の基礎の部分を読んでみて気がついたのですが…」
「何かわかったのか?」
そういいながらもソレイヤは内心驚いていた。なにせ、5系統すべてを解読したと当たり前のように彼女が言ってのけたのだ。自分の所属する系統の古代魔導書ならば読む者もいるだろう。しかし今はそれも含めてわかりやすい今の言葉で書かれた近代魔導書があるので古代魔導書まで手を出す者は少ない。しかも他の系統までとなるとセリーヌより他はいないだろう。
「面白いですよ、皆同じ言葉が書かれていました」
「同じ言葉?」
そう、レズバスの邸で魔導書を読んだ時に引っかかっていた言葉がどの系統の本にもあるのだ。もちろん表現はそれぞれだけれども。
“汝、愛するものに魔術を捧げよ”
「なんだそれは?」
「私も良くわからないのですが、これはレズバス系魔術の創始者というべき大魔導師グローブルス様の言葉です。でも他の系統でも似たような言葉が書いてあるのですよ。大体魔術とは如何なるものか?と言う部分を語る時に使われるみたいですね。魔術を繰り出すための“根底にあるもの”だと言っている本もありました」
セリーヌの言葉を聞いたソレイヤは何時もある眉間の皺を最大限深くして考え込んでいる。
「あ、でもこれは幻想術としての魔術に関するものですからソレイヤさまが使う魔術とは違うかも知れませんね」
「そうだな。俺たちは憎きものに対して魔術を使うからな。愛する者がいたとしてもその者に対して魔術を使おうとは思わんな。まあ使ったところでどうなるわけでもない。人間に対して魔術は何の効果もないからな。まあ心理的攻撃くらいはできるかもしれないが」
「すみません、あまりお役に立てそうもなくて。ただ、独自の言語を作り出してまで守ろうとしたそれぞれの魔導書に同じ言葉を見つけたのでちょっとおかしくなってしまいました。ソレイヤさまのお邪魔をして申し訳ございません」
自分本位な発言をしてしまったことをセリーヌは恥じた。きっとソレイヤが欲しい情報とはかけ離れているだろう。いや、セリーヌが読んでいるのは幻想術としての魔術を指南する本のたぐいなのだ。これ以上のことは何もない。それなのに、声など上げてみっともないと反省した。
「構わない。何か発見した時は誰でも嬉しくなるものだ」
「あ、ありがとうございます!」
それでも、そんなセリーヌに今度は眉間のしわを緩めて笑顔で慰めてくれるソレイヤがいる。セリーヌの気持ちが、そんな彼に囚われていくのをまだ彼女は意識しないでいた。
ただ、今のこの時間が楽しい。
ここに来た時は何かを必死に探していたはずなのに、気が付けばのんびりと過ごしているように思える。たくさんの書物を読んでいるはずなのに、特別な収穫があるわけでもない。なのになぜか心が満たされた気持ちになって帰路につく。そんな毎日なのだ。いや、本当は帰りたくない、などと思っている自分にちょっと驚いている。
最近は、馬車を使わずに、馬に乗せてくれるソレイヤにセリーヌは甘えている。ちょっと視界が高くなる。それだけで、今まで見えていたものがまるで違う世界のように新鮮になった。初めて乗せてもらってそのことを思いつくままに伝えたら、いつも帰りは彼の馬で送ってくれるようになったのだ。
そういえば、そのことを一度父であるグルードに伝えたらなぜか顔を歪められた。もしかしたら快く思っていないのかもしれないが、好きにしろと言われたのでそのままにしている。もしかしたら男性と二人で同じ馬になることをはしたないと思っているかもしれないが、きちんと注意しない父親が悪いのだと開き直ることにした。
その日も馬の上に二人で乗って帰路についていた。初めて乗った時は舌を噛みそうで話すこともできなかったが、慣れてしまえばゆっくりと進むので二人で話すこともできる。
セリーヌはふと魔導師の言葉とまだベッドに寝てばかりの頃を思い出していた。
そういえば、兄二人は魔術師になる前からよくセリーヌに幻想術を見せてくれていた。
「一番上の兄であるロックウッドお兄様は光の魔術が苦手だったそうです。私がある日流れ星について聞いたのです。星が落ちるってどんな感じなのか、と。ロックお兄様は領地で見たことがあるっておっしゃって説明してくださるのだけど、キラキラでしゅって落ちると言われてもあまりピンとこなくて」
「まあ、それではわかるまいな」
「そうしたらしばらくして暗くした部屋で幻想術で見せてくれたのです」
「流れ星を、か?」
「はい、すごく綺麗で嬉しくて」
恐らくロックはセリーヌのために練習したのだと思う。それをおくびにも出さずにある日流れ星を見せてあげる、と言って披露してくれた。それに二番目の兄であるランスシードが対抗心を燃やしていたことまではセリーヌは知らない。
「それで思ったんのですが、大魔導師の言葉ってそういうことなのではないかと思ったのです。きっとお兄様たちは、私を妹として愛してくださっている、そう思うのは自惚れでしょうか?」
「いや、レズバス総司令官も含めて彼らはきっとお前を愛しているだろうな」
「父も…ですか?」
「なんだ、総司令官には愛されていないとでもいうのか?」
「正直わかりません。父にはその、避けられているように思います。あまり話したことがないので」
しかしよく考えてみればお荷物同然の娘であるのに何をいうでもなく邸におき、好きにさせてくれていること自体、父親なりの愛情かもしれない。もっと自分から話せばいい、セリーヌはそう思った。
「そうか、父親とはそういうものかもしれんな、俺にはいないからよくわからん」
「すみません」
そう、ソレイヤは親の顔を知らないという。彼が流れ着いた時、一緒に濁流に飲まれたのかもしれない。ソレイヤが水の魔術を使えるほどにひどい流れだったのだろう。彼は覚えていないというが、水を恐れる感覚は彼の奥深くに刻まれているのかもしれない。
「別に気にしちゃいない、気が付いたらいなかったんだ、家族がどうこうなんてものはわからない」
セリーヌは何か言いたかった。自分にも生まれた時から母親はいないが、その代わり父親と二人の兄、そして乳母やずっと診てくれていた医者、その他たくさんの人に愛され支えられてきた。ソレイヤにはそんな人はいなかったのだろうか?
(どんな言葉をかけるべきなのかしら)
でも言葉が見つかる前に帰り着いてしまった。
そのまま別れたくないとも思ったが、とどまる理由も見つけられないまま、ソレイヤは馬に乗って行ってしまった。その背中がいつにも増して寂しく見えたのは気のせいだろうか?