11.セリーヌ・隠しきれない落胆
ソレイヤに魔導書室の鍵を渡されてからセリーヌは毎日のように図書館へと通い、魔導書室へと足を運んだ。今日もこれから行こうと思い2階の自室からエントランスへ降りた時だった。
「シェリーご機嫌よう、最近熱心に図書館に通っているようだね」
「ランスお兄様、お帰りなさいませ。ご無事で何よりでございます。図書館には読みたい本がありまして通わせていただいております」
しばらく魔物討伐へと出かけていたすぐ上の兄がやってきた。無事であることは王都に戻って来てすぐ伝令が届いたのでセリーヌも知っていたが、魔術師棟での報告などがあって邸に戻ったのは今だったようだ。
「魔導書とはそんなに面白いものだとは知らなかったな」
セリーヌは魔導書室に通っていることを誰にも言っていなかったが、さすがに家族にはばれているらしい、仕方がないことだった。侍女も護衛も連れていれば毎日報告されるだろうし、そもそも図書館からも父親に何らかの確認があったはずだ。貴族の暮らしとはなかなかプライバシーがないものだ。
「そういえばあいつは元気か?最近じゃ魔術師棟にも姿を見せなくなったからな」
「あいつ、ですか?」
「ソーヤ…ソレイヤ・ユーハバックだよ、それともユーハバック公爵とでも名乗ったか?同い年だからな、一応気にはなっているんだ」
公爵名に家名を使うのは領地を所有していないからだ。けれどソレイヤから公爵名を聞いたことは一度もなかった。彼は爵位で人を見下したりする人ではない、とセリーヌは思う。
それよりもセリーヌは驚いた。ソレイヤの年齢を詳しくは知らなかったが、まさか目の前のランスと同じだとは思わなかった。見た目からしたら父親の方が年齢が近いような、40くらいだと思っていたから。眉間には深く縦にしわが寄っておりそれがなくなることもない。おそらく黒かったであろう髪はその半分がすでに白く色が抜け落ちているようだった。本をめくる手の甲には血管が浮き出ていて白い肌には青い筋がいくつも透け見えていたのだ。
「えっと、よくしていただいております」
「はぁ?よく…してもらっている…のか?」
「えっと、毎日魔導書室で一緒に書物を読んでくださって。私が時間を忘れていると、休憩にお茶に誘っていただいたり、帰りは馬車を先に返して一緒に馬に乗せていただいたりと…」
セリーヌが記憶をたどって今までのことをかいつまんで話している間に、頬が緩んでいく。どれも楽しい思い出でこれからもそうありたいと思えた。一方話を聞いているランスの表情はだんだんと険しいものに変わっていく。
(本を読むだけでは飽き足らず、お茶をしたり…帰りは馬上に二人きりだと!)
「そんな報告受けていて、親父は何も言わないのか?」
「お父様ですか?はい、特別注意されるようなことはありません」
馬のことを言った時に一度不機嫌そうな顔になったが好きにしていいと言われたから注意ということではないだろう、とセリーヌは考えた。
「それに、一緒に読むって、あそこは立ち入り禁止の窓のない密室だよな?」
「そう言われればそうですね、窓はありませんし、ドアも締まっていますから、密室の条件には合います」
受け応えるセリーヌは至って真面目なのだがランスは納得がいかない。
(密室とわかっていてわざわざ入るなんて。こんなか細いセリーヌなんかどうかしようと思ったらどうにでもできるだろ!)
「おまえなぁ、何をのんきに。いいか、シェリーは未婚の!公爵令嬢!なんだぞ!!少しはわきまえろ」
「…もう行くなということでしょうか?」
やっと見つけた一縷の糸が切れそうな予感がしたセリーヌはとても悲しくなってきた。それだけではない。邸の中でひっそり暮らしてきたセリーヌにとって家族以外の人との関わりが楽しくなってきたのだ。思っていた以上にソレイヤと過ごす時間は温かい。はじめは怖い人だと思っていたが、言葉の端々にあるのは優しさだった。だからランスに否定されると途端に大事だったものを取り上げられるような焦燥感にかられた。
(どうしよう、ランスお兄様がお父様とロックお兄様に相談したらすぐにでも図書館通いが禁止されてしまう)
「待て、大きな声を上げて悪かった。まだ時間はあるだろう?ソファに座ってちょっとゆっくりしよう、な?」
おそらく潤んできたセリーヌの目を見てランスは焦ったのだろう。この兄はことのほか妹の涙に弱い。優しくソファまで連れて行くと隣に座ってうつむくセリーヌの顔を覗き込むようにして力なく言う。
「悪かった。ただ俺はセリーヌが心配で。セリーヌは可愛いご令嬢だろ。一応ソーヤも俺と同い年の男だから、その…それにあいつもあいつで今は不安定なんじゃないかって心配で…」
「ソレイヤさまは落ち着いた方ですよ、ランスお兄様よりずっと年上だと思っていたくらいには」
「なんか俺が落ち着きないような言い方だな。まあいい、それより今のお前は落ち着いたか?」
涙がセリーヌの瞳からこぼれず収まった様子にランスはほっとして一息ついた。
「もう、行ってはいけないのでしょうか?」
上目遣いの妹のお願いは反則だ、すぐOKを出したくなる。ここぞとばかりに告げられた問いにランスは心で葛藤しながらもここは兄の威厳(があるかどうかは別として)を最大限利用してセリーヌを諭そうとする。
「そうは言ってない。言ってないが行っていいとも言い難い、古代魔導書のたぐいならばこの邸にも複写があるだろう?」
「はい、すべて読み終えました」
「ええ!古代魔術語…全部読めたのか?」
古代魔導書のたぐいは鍛錬塔でそれを要約して現代語で説いたものくらいしか読んだことのないランスにとっては飛び上がるほどの衝撃だ。座学だけで言うなら軽くランスを超えただろうセリーヌはそれでもまだ足りないと言う。
「ここにあるのはレズバス系言語で書かれたものだけですが、図書館の魔導書室には他の4系統の魔導書がありますから、まだまだ読破にはいたっておりません。レズバス系言語は辞典がこの邸にありましたので問題なかったのですが、ほかの系統は現代語訳と照らし合わせて拾いながら…」
すでにセリーヌが何を求め何を言っているのかわからない。正直彼にはお手上げだ。
(セリーヌはどこに向かっているんだ?)
「もういい、ここにないものを欲して図書館に行くなら仕方がないだろう。だが、今日はやめて家でゆっくりしておけ。それを守るならもう何もお前には言わない」
なのでランスは矛先を変えることを選んだ。セリーヌに言ってダメなら相手をどうにかすればいい。ここはガツンと兄として妹はやらないと言ってやるべきなのだ!
「はい。今日は部屋でゆっくりしています」
聞き分けのいい妹をねぎらうようにランスは彼女の頭をなでてから「ちょっと出かけてくる」と言って玄関に向かう。もちろん行き先は図書館の魔導書室。
(待ってろソーヤ!)
若干空回り気味な兄は可愛い妹を守るため、魔物討伐の疲れもなんなその、すぐに出かけて行った。