31話 ヤキモチご主人様
あれから。
嵐の前の静けさなんて言うべきか、日常らしい日常が続いた。
少しだけ不穏だったのは妹。最近、なんだか様子がおかしい。
俺のことを見つめては目を逸らす。
何か気になることでもあるのか。
それとなく質問しても自覚はないようだし、むしろこちらのシスコン具合が激化したと警戒されてしまった。
「だから、結月は俺のことを見てるんだって」
「なんで兄さんはそれを断言できるの! 逆に妹を四六時中観察してるって自白してるってば」
「違ぇって! 視線感じて見たらいつもお前がこっち向いてんの!」
と、主張と反論の一騎打ちはいつも足踏み。
「じゃあ兄さんの言ってることが正しいとして、私が覚えてないのはどうしてよ」
「……無意識なんじゃねぇの」
人のことをシスコン呼ばわりしているが、お前のブラコン度が増えただけでは。
しかし、この行為に深い意味がないのはそれで安心だ。
これ以降に視線の話はしていないが、今もたまに感じることがある。
気にはなるが、不快であるわけでもないしスルーでいいだろう。
こんな小さなことが事件と思えるくらいに平和なのだ。今は。
その平和が壊れるわけでもない。失われるわけでもない。
ただ、その日はしっかりと近づいていた。
――戦いの日。
彩葉さんが告げた日時は土曜日の22時。
場所はフィリードの屋敷近くにある山奥だそうだ。
これを聞いたのが一昨日で、今日こそがその当日なのだった。
昼間から理苑へソワソワしながら電話したり、意味もなくルンを呼んだりと落ち着きのない行動で時間は過ぎていく。
そして――。
「結月、ちょっと散歩してくるわ」
と、俺は平穏から遠ざかった。
秋に入りかかった夜風はやはり寒い。
それでも自分の体は、非日常への不安と期待とぐちゃぐちゃな興奮で満ちていて、その勢いは増していく一方。
集合場所の神社へ向かう。一歩、一歩と。
鳥居をくぐって、石段を登って。
到着した場所は夜だというのにやかましかった。
どうやら自分が最後の一人なようだ。
赤髪の吸血鬼が怒号を飛ばす。
「遅いっての! 殴られたいの?」
「シュリー、ウォーミングアップはそのくらいで」
「下僕、ありがとね。妹さんとか、いろいろあるでしょうに」
妻を止める夫と駆け寄ってくる娘。
予想通り。これぞ自分の知る吸血鬼一家だ。
「結月なら大丈夫。俺は長い散歩に出掛けてるだけだから」
「ふふ。その『散歩』とても賑やかになりそうよ」
俺たちがそんなやり取りをしていると、別の方向から友の声が聞こえた。
「僕はああやってお礼を言われたことないのに……」
愚痴のような独り言だったが、神は主の声を聞き逃さない。
「主よ、妾はそういうの苦手なんじゃ。高望みするでない」
「お、お狐様! 聞こえてた……?」
「うむ、お前の声はすべて聞いておるからの。だからはっきり言え。言わぬと気持ちは伝わらんぞ」
狐の声色は穏やか。あちらも、こちらに負けないほどいい関係を築けているようだ。
理苑は縮こまりながら言う。
「きょ、今日は、頑張るから……。よろしく……」
「くく、素直じゃないのう。……感謝しておるぞ、主。これが終わったら1杯付き合え」
理苑は「僕、未成年だよ」と笑った。
あれ? むしろあっちの方が仲いい?
てか、理苑でさえ「お狐様」って呼んでるけど、神様の名前ってなんなんだろう。
「ちょっと下僕。私のこと見なさいな」
自分の横から声がかかる。
自分の主人からだ。
「巨乳だけじゃなくて幼女もお好み? それとも金髪かしら」
「い、いや、そんなことないって」
目に見えてわかるほどに頬を膨らませる主人。
わかりやすくご立腹の様子。
「下僕は私のモノなんだからね? まだわからないかしら」
「わかってるって! 俺の主人はフィリードだけだよ」
「……いつも口ばっかりなんだから」
発言の割には彼女の口元が緩んでいた。
ちょろい。
気持ちは見え見えだし、ちょっとのことで喜ぶし……。
それが主人の魅力でもあるのだが。
「仕方ないから、口ばっかりの下僕にチャンスをあげるわ。態度で示しなさいよね」
「態度ってどう――」
俺が言葉の意味を理解する前にフィリードが動く。
何を思ったか、全員集合な神社で首元を甘噛みしてきたのだ。
久々の感触。
彼女の歯、舌、唾液。口内のいろいろを肌で体感できてしまう。
これがチャンス……?
ここからどうすればいいのだ?
もしかして吸血欲求が出てきたかから適当な理由をつけて噛みたかっただけ?
周りから視線を感じる。そのうち一人は殺気立ってるし……。
それでも屈してはならないのだろう。
彼女を受け入れて、彼女に委ねて。俺の示すべき態度は、そんな『信頼』のはずだから。
首を味わう主人の体を持って、抱きしめる。
「……暖かいな、フィリードの体」
さすがにこの雰囲気を無言というのも恥ずかしく、ついつい言葉を発した。
それを聞くとフィリードは口を離す。
「ま、それなりに伝わったわ。あなたの態度。最後の一言だけ、いらなかったけれど」
やっぱり口元は緩い。
毎回少しだけ叱るのは照れ隠しなのか何なのか。
どちらにせよ、こちらも嬉しいが。
「山石くん。見せつけてくれるねぇ……! せっかくだから男同士で語り合わないかな、拳で」
そんな甘々疑似吸血を見て殺気立てていた男がついに口を挟んだ。
声にドスが入りすぎて誰だかわからないほどだ。
「こ、これはフィリードの命令ですから――」
「あら? 態度で示せとは言ったけれど、何もあんなにロマンチックじゃなくてもよかったのよ?」
いつもより意地悪に主人は笑う。
戦いの前だなんて忘れるほど、彼女の笑みは無邪気だった。