魔界到着
ガタゴト、ガタゴト。
馬車が揺れ、時折馬の鳴き声が響き渡る。表面上だけなら、何処にでもありそうな、喉かで平和な光景だ。が、一度その車内に目を向ければ、その居心地の悪さに思わず息を詰めることになるだろう。
車内に居るのは、赤髪の青年、未だに縛られている金髪の少年、そして白髪の老人。痛過ぎる沈黙に耐えられなくなったのか、金髪の少年は、窓から変わりゆく風景を眺めている赤髪の魔族へ声を掛けた。
「おい、気ぃ失ってる間に馬車に乗せられた、までは理解できたが……この爺さん誰だよ」
「……アホみたいに強い爺さんだ。名は『セバス・チャン』。認めたくはないが、俺の師匠でもある」
「この爺さんがか? どう見たってか弱い御老人にしか見えないけどな……」
アレンは訝しそうに老人――セバスを凝視した。腰は曲がってなく、背は老人にしては高いが、それでも百六十五あるかどうかと言ったところ。二つに分けられた真っ白な髪。その下の顔は一見覇気のない物だが、なるほどよく見ると方眼鏡の奥に見える眼は歴戦の戦士さながらの光を宿している。
しかし、それを心に書き留めたとて、どうという事はない。再び沈黙が下り、ただ時が過ぎていくだけだ。十数分に一度ほどの割合で、馬の鳴き声が耳に入るが、沈黙を破るきっかけに等なるはずもなかった。
そんな気まずい空気に耐えに耐え忍ぶこと、さらに小一時間ほど。馬車はようやく揺れを止めた。ドアが開き、ダウト、アレン、セバスの順で下り立つ。ダウトは腕をクロスし、体をほぐすような仕草をすると、長い爪でセバスを縛っている縄を切り裂いた。
「え?」
「ずっとそのままって訳にもいかんだろう。何か不満があるか?」
「いや、その……良いのか?逃げるかもしれねえんだぞ?」
ダウトはその言葉を鼻で笑うと、言った。
「逃げるって、どうやってだ?言っておくが実力行使は無理だし、ここはすでに魔界の中心。魔王と最も近い町、『カルマ』だぞ」
アレンは目を見開いた。しかしそれも当然だった。『カルマ』と言えば、魔王城と目と鼻の先に存在する魔界最大の都市であり、人間界では日夜血の雨が降る、どんな物も返り血に染まる、などと言う噂から『赤の町』とも呼ばれるある意味トラウマの町だからだ。
「アレン。変な勘違いをしているみたいだから言っとくが……お前が思っているような酷い場所ではないぞ」
「……え? それって、どういう」
「とにかく先へ進むぞ。着いてこい。お前の知る常識は……百八十度覆ることになるぜ」
マグカップを口へ運び、中の黒く苦みのある液体――所謂コーヒー――を一口啜る。苦みが口に広がる。何日かぶりのそれを味わいながら、ダウトは呆然としているアレンに声を掛けた。
「どうだ? 『カルマ』の日常は」
「……いや、なんて言うかその……言葉が出んほどびっくりだよ」
「言っただろう。常識が百八十度引っくり返る、と」
薄く笑いながらコーヒーをもう一口、口に含む。二人の眼に映る光景は全く同じ。一言で表せば『平和』、または『日常』と言ったところだろうか。それほどまでに、魔族の生活は人間となんら変わらないそれだった。
「でも、なんでこんな平和なのに……争いなんかしてんだ。人間も人間だ。態々あんな嘘っぱちの事を言わなくても。ダウト、おかしいと思わないか?いや、絶対におかしい。こんな無意味な争いを続けるのは、人間にも魔族にも、何の得もないはずだ」
カップの中のコーヒーを見つめながら、ダウトは言った。
「アレン。突然だが、このコーヒーが何故黒いのか……分かるか?」
「……コーヒー? なんでってそりゃ、コーヒー豆が黒いから? いや違うのか? ……知らん」
「だろうな。自分で聞いといてなんだが、俺も知らんからな。だから俺はこう考えてる。コーヒーが黒いのは運命なんだと。コーヒーは黒になるべくして黒になったんだと」
「つまり……どういうことだ?」
「人間と魔族が争う理由。それも運命なんじゃないのか?それも、お前の今までの常識なんかとは違って、決して覆しようのない。つまり人間と魔族は、争うべくして争っているんだ。それが無意味なものだと分かっていてもな」
そこまで言い、ダウトはコーヒーを一気に飲み干した。そのままカップを手の中で弄ぶと「だが」と前置きして言った。
「全部が全部、それに当てはまる訳じゃあない。アレン、お前がそうだろう?」
「え、俺?」
「人間と魔族。その二つの血を持つお前は、言い方を変えればこの無意味な争いを終わらせることが出来る、一つの可能性だ。お前が魔王になれば、この争いに終止符を打つことだって可能かもしれない」
「なるほど。そう考えることもできるのか。……魔王、か。目指してみるのも有りか?」
「有りだと思うぞ。っつう訳で、気持ちが変わらんうちに行くか」
ダウトは席を立ち、テーブルに硬貨を置いた。
「行くって、どこに?」
「ん――『魔王城』」