(1)鏡橋鈴音です!
慌ただしい薬局の調剤室。キーボードでタイピングをする音、薬を準備する音、ペンを走らせる音、静かに歩く音が折り重なって響いている。
「よし、監査完了! 鏡橋、投薬行けるか?」
薬や処方せんが入ったカゴを差し出しながら、稲本連が口を開く。茶髪で刈り上げ、いかにもノリが軽そうでチャラい外見をした、社会人五年目になる二十代後半の薬剤師だ。
「あ、はいっ! いけます!」
鏡橋鈴音は戸惑いながらもしっかりと答える。
鈴音はこの春に大学を卒業した二十四歳。癖っ毛で肩に少しかかるセミロングの髪、小柄で童顔、幼く見られるのが少しコンプレックスの新人薬剤師だ。新卒で入社し、この薬局に配属されてからそろそろ二か月。まだまだ分からないことも多いが、一通りの業務フローは覚え、先輩たちの力を借りながらではあるが、ようやく仕事にも少しだけ余裕が出てきた。
「その患者さん、手帳を病院ごとに使い分けてるようだから、一冊にまとめるように説明しといて」
「は、はいっ!」
カゴの中には薬と処方せん、説明の書類の他に、お薬手帳が二冊入っている。
「あとさっきの投薬、少し焦りが出てたぞ。いつもの、復唱!」
「はいっ! 慌てない、端折らない、分からなければ必ず相談……です!」
「オッケー、行ってよし!」
「はいっ!」
鈴音は一呼吸おいて気持ちを静めてから、調剤室のドアを開けた。
……
…
すー、はー、と軽く息を整えてから、鈴音は声のトーンを少し上げて口を開く。
「斎藤しづるさん、お薬の準備ができました。二番室にどうぞ」
「はーい」
調剤室に隣接した小さな部屋──お薬説明室に、一人の老婦人が入ってくる。
「こんにちは」
「はい、こんにちはっ! 本日、服薬指導を担当させていただきます、鏡橋鈴音です! よろしくお願いしますっ」
「はい、よろしくお願いね」
笑顔で元気に挨拶をする。スマイルスマイル!
「斎藤しづるさん。えーっと、今日出ているお薬は……」
薬の確認から始まり、体調変化の有無や併用薬の確認など、必要事項の聞き取りと確認を行う。
「……はい、ご協力ありがとうございました。いつものお薬ですし、薬の飲み合わせも問題ないみたいですね」
「これはもうずっと飲んでる薬だからねぇ」
「そうですね。では次に……」
薬の内容を確認した後は、現物と処方せんを照らし合わせながら間違いがないか最終確認を行い、薬袋に詰めていく。すべて問題ないことを確認した後、お薬手帳に目を向ける。
「あっ、それと、お薬手帳についてなのですが」
「手帳?」
「はい。病院ごとに使い分けていらっしゃるようですが……」
「あぁ、はいはい。この前新しい病院にかかるようになったから、新しく手帳を作ってもらったのよねぇ」
「それなのですが、一冊にまとめていただくことはできませんか?」
「一冊に? どうして?」
きょとんとした表情をする患者に対して、鈴音は表情を柔らかく崩す。
「病院関係なく一冊にまとめていただいた方が、薬局としては把握しやすいんです」
「あら、そうなの? いろんな病院が一緒になってしまうと、見にくくない?」
「いえ、時系列に沿って一度に確認できるので、医師や薬剤師からすると、むしろ把握しやすいんですよ」
「あらまぁ……分かりやすいようにと思って病院ごとに分けたけれど、違ってたみたいね」
「そこまで考えていただいてたんですね、ありがとうございます」
鈴音が笑顔でぺこりと軽くお辞儀をすると、老婦人もつられて小さく頭を下げる。
「それじゃあ、これからは今まで使ってたお薬手帳にシールを貼ってもらうことにするわね」
「ご協力ありがとうございます。あっ、今までの手帳に新しい病院のシールを貼ってもらうまでは、二冊一緒に持ち運んでくださいね」
「はいはい、いつもありがとうね」
手帳を返却し、最後に会計を行うと、鈴音は老婦人を見送る。
「お大事にどうぞー」
言いながら、鈴音は説明に使っていたタブレットのカバーをパタンと閉じる。ふぅ、と一呼吸つき、老婦人の後ろ姿が見えなくなると、鈴音は早足で調剤室の中へと戻っていった。
「お疲れ。ちょうどこれも監査が終わったから、投薬いけるか?」
調剤室に入るなり、稲本連が別なカゴを差し出す。
「は、はいっ! いけま……」
そう言った時、連が差し出したカゴに、綺麗に整えられた手がすっと伸びる。
「……私が、いく」
カゴに手をかけたのは薬師川マリ子──連とは同期で入社し、同じく薬局勤務五年目になる薬剤師だった。チャラチャラした連とは対照的に、長く綺麗なストレートの黒髪、切れ長の目に細い黒縁の楕円眼鏡、そして普段は寡黙で馴れ合いを好まない、黙っていればクールビューティーと言われるタイプの女性。
「あ、ありがとうございます。お願いします、マリ子先輩」
「それじゃあ薬師川、頼んだ」
「……」
薬師川マリ子は無言で小さく頷くと、薬や処方せんが入ったカゴをひょいと抱えるように手元に寄せる。そのまま足音をたてることなく、静かにお薬説明室へと向かっていった。
「マリ子先輩、何件も投薬行ってるのに、もう次……」
マリ子は鈴音の二三倍は優に超える速さで仕事を進めていた。普段は無口で雑談などには一切参加してこないが、口下手なわけではなく、必要な業務連絡はよどみなくきちんと行う。患者に対しても常に落ち着いた口調で、的確に受け答えしていた。
「鏡橋はまだ新人だし、気にすんな。今は速さより正確さを優先。はい、もう一度復唱!」
ビシッと指を立てて鈴音に復唱を促す連。
「慌てない、端折らない、分からなければ必ず相談!」
「オッケー……っと、新しい患者さんが来てるな、事務のヘルプ行けるか?」
「は、はいっ!」
そう答えて小さく一呼吸入れると、鈴音はファイティングポーズをとって受付へと出ていく。
「よし、行ってこい!」
正拳突きのポーズで応える連に見送られながら、鈴音は調剤室のドアを開けた。




