お金のためならどんな手を使ってでも - 1
部屋から一歩外廊下に足を踏み出すだけで汗が一気に噴き出してくる、そんな八月の最初の日曜日の朝、臨時総会と工事説明会が行われる会場へ妻と歩いて行った。場所はいつもと同じなのですが、借りている部屋がいつもとは違いこじんまりしていて、これでみんな入れるのかなと不思議に思った。
僕は理事としてホワイトボードを背にして座り総会の流れを見ていましたが、意見が多少出たのはバイク駐車場規則の時だけで、その駐輪料金では集まらないのではないか、駐輪料金の高さからマンションの周りの歩道に止める住人が出るのではないかと言った程度。
現在の駐輪場はバイクの乗り入れを完全に禁止することや、歩道に駐輪されるバイクは警察が道交法違反として取り締まると回答を得ているので、出席者はみな納得したのか、総会に出された議案はすべて四分の三の特別議決をクリアし、臨時総会は四〇分ほどで終了した。
工事説明会の準備を管理会社の社員が手際よく済ませ、理事長の山下さんと大規模修繕担当の横江さんは引き続き前に座り、その横にコンサル会社と駐車場のメーカー、実際に工事を行う施工会社など四社の担当者が座った。僕は臨時総会の時とは真逆となる、理事長たちと相対する住人側の席に妻と横並びに座った。
「一〇時になりましたので、マンションブリーザ幕路の大規模修繕工事に関する説明会を始めます。説明の最中の質問はご遠慮ください、説明が終わった後に時間を設けますので、その際に質問を受け付けますのでよろしくお願いいたします」
理事長の挨拶に続き、コンサル会社と駐車場のメーカーによる説明が終わると質疑応答に移ったが、意外に居住者側からは日程に関する質問が多く、あとは騒音、振動、粉じん、ニオイに関する質問もあった。
ただ日程に関しては雨など天候の状況に左右されるので、今の時点でこの工事は何月何日から始めるのですね、なんて聞くのはナンセンスだと思うのですが、おそらく工事関係者はこの手の質問が出ることに慣れているのか、
「特に塗装などは天候によって工事期間が延びたりするので、確定ではありません。毎週必ず今週の工事予定をお配りしますので、変更などはそちらでご確認いただければと思います」
工事業者にすれば、天候によって工事ができない日なども考慮して工事期間を決めているだろうし、最終的に決められた日に工事を終えればそれで問題ない。業者だって工事期間の延長は避けたいはずだから、そこは上手く調整していくはずです。
約三時間ほどで説明会は終わり、僕は来られていた四社の担当者と名刺交換を行い一言二言だけ話をして、取りあえずは繋がりを作っておいた。
説明会が終わり帰宅してやや慌ただしく昼食を取ってすぐに出社し、夏休みの日曜日でたくさんのお客様が来られているのでとにかくトラブルが無いように、そしてまた来ていただけるように満足して帰っていただけるように、閉店まで事務所と売り場を行ったり来たりの忙しい一日をこなして帰宅した。
夜遅い時間にサンドイッチとコーヒーと言う軽食をいただきながら、
「ねえ、勝、どうして名刺交換していたの? 理事として必要だから?」
「理事をしているからとかじゃなく、この先何かあった時に少しでも繋がりがあれば話もしやすいだろ?」
「それって、主流派が何かを仕掛けてくる前提ってこと?」
「そういうわけではないけど……、役に立つかなと思ってね」
もちろん主流派は何かを仕掛けてくるという思いもあるけど、仕事柄売場で扱ってほしいと訪れるメーカーの方と商談することも多く、同じようなノリで名刺交換をしたのが本当のところですね。
「あのね、今日の説明会を見ていてあれっと思う場面がいくつかあったんだけど……」
どんな場面でそう感じたのかを聞いてみると、理事長や大規模修繕担当が大規模修繕工事と駐車場の工事がお互いに干渉して作業に影響しないよう、コンサルタント会社が間に入って調整するので問題がないと言った時、コンサルタントの敷上設計と駐車場の工事を行う紅阪工事事務所の担当者の双方が、ポカーンとしたというか寝耳に水状態で、何のことを言っているのかわからない表情をしたように感じたという。
そう言われて僕も思い出したが、敷上設計と紅阪工事事務所の担当者はたしかに驚いたような顔をしたし、説明の間に何度か敷上設計の担当者は戸惑うような表情も見せた。それに引き換え大規模修繕工事を施工する条川工務店の担当者はそんな様子を見せなかったのが、逆に印象的だった。
そもそもコンサルタント会社の敷上設計が、駐車場工事の一次下請けとなる紅阪工事事務所を管理下に置くとか契約を結ぶこと自体がおかしい。そういった話は両者に届いておらず、お互いが事情を呑み込めていないから驚いたのだろう。
ひょっとしたら契約を結んだものだと理事長や大規模修繕担当が勘違いをしているのかもしれない。まさかこれが主流派側の作戦なのかな。
「〝佳奈です、主流派の人たちを見ると、おぬしも悪よのうと言いながら、お金を受け取っている想像しかできません〟〝佳奈です、藤本さんが何も言わなかったときって、筋書きどおりに悪だくみが運んでいるとしか思えません〟」
「佳奈、たしかにそう思うんだけど、ちょっと締めの一節にしてはキレがなかったように思うけど……」
「うーん、昨日今日と生クリームを口に入れていないからかな、生クリーム禁断症状だよ。〝生クリームやめますか、それとも佳奈をやめますか〟って感じ……」
臨時総会と工事説明会が行われた一週間後、ここ数年はアブラゼミよりクマゼミのほうが多いのかうるさく感じる八月第二日曜日、第七回理事会が開かれました。
お盆休みに理事会を設定しても出席が難しいお宅が多数出る可能性があり、お盆明けとなると一部の工事が始まるので詳細を説明できないためです。
施工業者二社の詰所はマンション西側の公開空地の隅に二つ建てられ、その横には仮設トイレも設置されることは説明会で聞いたが、設置工事はやや前倒しとなり盆明けすぐに行われることに。隣接する公園への出入りや利用はできるが、資材を置くために盆明けからは半分程度に利用制限される。また足場が八月末から組まれるために公園の利用制限は工事終了時まで続く。
理事長や大規模修繕担当へ工事に関する質問が続き、工事が少しずつ前倒しで実施されることで、その疑問の解消のための質問が続きましたが、
「もう一度確認しておきたいのですが、本当に敷上設計と紅阪工事事務所は契約を結んでいるのですね?」
土尻さんのご主人が理事長に強い口調で質問しました。
「正確に言えば契約を結ぶと言いますか、あの、協力して工事を進めていくと言う感じです」
理事長がしどろもどろになりながら答えたのを見て藤本さんが、元はと言えば工事の同時施工を主張したことが原因。大規模修繕工事でマンション全体の工事を進めるなか、同じ敷地内で同時に駐車場の工事を行えば当然施工会社間の打ち合わせが必要。その役割を敷上設計にお願いする必要が生じたのだと、土尻さんに説明をするというよりは怒りながら話をした。
土尻さんは理事長が契約を結んだとはっきりと言ってきた、協力と契約とでは意味がまったく違うと反論したが、そもそも工事を別にしていれば起きなかった問題。同時施工をしてもデメリットはないように主張した結果であり、仕方がなく大規模修繕担当や修繕委員会が敷上設計に無理なお願いをせざるを得なくなったのだと、さらに強い口調で攻め立てられた。
それでも土尻さんのご主人は、契約を結ぶのと協力とでは意味合いが違うだろうと迫るのですが、結果的に契約を結んだのと同等の働きを敷上設計にお願いせざるを得なくなった。今後すぐに起きる事例だと、資材置き場の使用や大型車両の駐車について、敷上設計に調整してもらわないと工事が進まないので、契約は結んでいないが協力をお願いした。そうしないと工事が進まないから。同時施工を主張した人たちのせいで契約を結んだのと同じ働きを敷上設計に求めることになったのだと。
ふーん、勝が言ってたように契約は結んでいないんだ。でもやっぱり藤本さんが黙っている時は主流派の筋書きどおりに事が運んでいるけど、マズい点を突かれた時は藤本さんが雄弁に語り始めるんだね――。
妻は土尻さんのご主人と藤本さんのやり取りを聞いてそう思ったという。
「敷上設計と紅阪工事事務所は協力関係にあると、契約は結んでいないけどそういう関係構築ができていると、そういう認識でいいんですね?」
「土尻さん、そう言うことですよ。理事長をはじめ大規模修繕担当や修繕委員会の方々が敷上設計の担当者に頭を下げて、何とか了承してもらったから工事が進められるのです。だから同時施工を主張し、そして区分所有者を説得した人たちは理事長たちにお礼を言うべきじゃないですか?」
えっ? 理事長の山下さんや大規模修繕の横江さんに〝私たちの主張でご迷惑をお掛けしました、本当にありがとうございました〟って頭を下げなきゃいけない?――。
妻は真顔になってそう思った瞬間に土尻さんは立ち上がり、
「あの、理事長、横江さん、御足労をお掛けし申し訳ありません」
土尻さんのご主人が頭を下げる様子を見て、妻もその場に立って頭を下げた。
「土尻さんも竹盛さんもそこまでしなくてもいいですよ。マンションの区分所有者の多数が同時施工を支持した、だからその時に理事長をしている私がお願いをしに頭を下げた。当たり前のことですから」
「ははは、悪い流れの時に理事長になってしまいましたね」
理事長はニヤッとしながら土尻さんのご主人と妻に話し掛け、藤本さんは高笑いしながら理事長に語った。
「説明不足な点はあったと思いますが、とにかく大規模修繕工事を無事に完了させる、これが今季の理事会に課された命題です。私も大規模修繕担当として説明に至らぬ点があったと思います、そこは率直にお詫びします」
横江さんも笑みを浮かべながら謝罪の言葉を並べた。
「ただいま、佳奈。今日の理事会はどうだった?」
管理組合から理事会の内容を記した報告書が当日中に配布されますが、これを見ただけではほぼ内容がわからない。だから理事会があった日は妻から詳細を聞きます。リアリティがあってわかりやすいですしね。
コンサルタント会社の敷上設計と駐車場の工事を担当する一次下請けの紅阪工事事務所は、やはり契約は結んでいなかった。この件でやり合った土尻さんのご主人と藤本さんだったが、土尻さんのご主人は追い込まれていき理事長と大規模修繕担当に頭を下げて謝罪し、そして、
「横で立って謝るから、私も慌てて立って頭を下げたんだよ」
「え? 佳奈も謝ったの?」
「うん、なぜこんな流れになるのかなって思いながら頭を下げたよ、理事長と修繕担当に……」
結局は土尻さんのご主人にまずい点を徹底的に、そして執拗に突かれたことで理事長の返答ではまずいと思い藤本さんが助けに入って形勢逆転の上、最後は土尻さんのご主人が追い込まれた。
藤本さんが黙っている時は主流派理事たちが描いた筋書きどおり事が進んいて、藤本さんが話し出すときは軌道修正して元の筋書きに戻そうとし、追い込んでいくのが主流派理事たちのパターン。
しかし主流派理事たちは敷上設計や紅阪工事事務所にすでに手を回しているのだろうか。特に敷上設計に手を回しておれば前回のコンサル会社の素山建設設計は完全に切ったことになるし、もうすぐ工事に入るという今の時点で手を組み直すことはさすがに考えにくい。
敷上設計との契約を解除すれば違約金が当然発生するし、手を切った会社はこの先何があってもこのマンションの管理組合とは契約はしない。そんなリスクを冒してまで契約した会社との契約を切るメリットはないと思う。やはり主流派理事たちは敷上設計に裏で手を回し、裏金が入る算段ができているということだ。
紅阪工事事務所はメーカーと契約を結んでいる立場上、主流派理事たちがその間に割って入ることは不可能なはず。さすがの藤本さんたちでも紅阪工事事務所に手を回すことは無理だったはずだ。
「敷上設計と契約を解除したら、主流派は素山建設設計と契約して裏金ガッポガッポだね」
「さすがの主流派もそこまではできないと僕は思うのだけどな」
「たぶんね、藤本さんか黒幕の人に〝勝つこと、勝つことだけがすべてだ!〟〝勝たなければゴミ!〟って発破を掛けられているから、私はやってくると思うよ」
「よし、佳奈、じゃあ賭けをしようよ」
「うん、主流派が素山建設設計と契約したら、私に毎日美味しいケーキを買ってくること」
「じゃあ、素山建設設計と契約しなかったら、僕のお小遣いアップでどう?」
「よし! それで決まりね。何だか毎日勝がケーキを買ってくる未来が見えるなあ、ウフフ」
「本当かよ……」




