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4, Four to Go ーまたは噓つきとヴィランについてー

一番は金

ショーは二の次

三つ数えて準備ができたら

四つ数えて出発だ

 ブギーの取引がこれから行われるという港は驚くほど穏やかだった。


 遠くに停泊する船をぼんやり眺めながら、ゼノは最後尾をのろのろと歩く。


「すっげーこの船久しぶりに見た!」


 前では相変わらずアレックスが子どものようにはしゃいでいる。

 その声にロンがすぐ反応した。


「ここはボストン茶会事件の……」


「へー!ロンって物知りなんだな!」


「つか、お前今日講義は」


 エースの問いに、アレックスは妙に視線を泳がせた。


「あ、なんか?休講になったぽくて?」


 嘘だな。


 エースも同じ結論だったらしい。すぐにやいやいとアレックスをなじり始める。


「少し落ち着いたか?」


 ふいに誰も並んでいなかったはずの隣から声がかかる。レオナルドだった。


 ゼノの返事がないことなど端からわかっているようにレオナルドは言葉を続ける。


「外の空気吸うと変わるもんだぞ、こういうときは」


「ブギーの取引がここであるから来た」


 前を向いたまま答える。


「気晴らしのピクニックみたいに言うなよ」


 レオナルドはやれやれ、と肩をすくめたあと、何の前触れもなく頭に手を乗せた。そのままぐしゃぐしゃ、と髪をかき回される。

 同時に視線を感じる。


「ちょっとなにその『きしょっ……』みたいな顔は!」


 ゼノの顔を覗いて不満そうな声を上げたレオナルドに無言で前方を指差してやる。

 前方に目をやれば、アレックスとエースが妙に生温かい顔をしてこちらを見ていた。ロンだけが事情を飲み込めず口を少し開けている。


 エースが芝居がかって申し訳なさそうにおずおずと手を上げた。


「お熱いところ悪いんだけどさ、俺ちょっとクソしてきていい?」


 エースの言葉にレオナルドは深々とため息をついた。


「そういう言い方するんじゃない」


「ねえそれどっちのこと?」


「どっちも」


 レオナルドとアレックスのしょうもないやりとりに背を向けてエースは手をひらひら振りながら建物の方へ歩いていく。言うことは言いましたからね、とでも言いたげな背中をゼノはどこかほっとした気持ちで見送った。


   ***


「すみません。お車を出していただいて」


 隣に座って、礼儀正しく頭を下げる男の言葉にポールは思わず流し込んでいたコーヒーを置いて姿勢を正した。


「いえ、いいんです。いつもお世話になってますし。今回だって働いてもらうわけですから」


「皆さんと違って能があるわけでもないんですけどね」


 常識がお有りです、と返せば、彼、ジョシュは少し表情を緩めて苦笑してみせた。こうした仕草も含めて彼の一挙手一投足には品の良さがよくにじみ出ている。ポールはこういう人間が嫌いじゃない。


「2つある逃走経路のうち僕らが塞ぐのはそこです。最も車に乗られた場合だけですけどね」


 彼と一緒なら久しぶりに安心して仕事ができそうだ。人知れず、ほっと息をつき、もう一口コーヒーを口にした。


「でも大丈夫でしたか?こんなにアレックスと離れてしまって」


 特にこれ以上確認することもなかったので何の気なしに聞いてみれば、ジョシュもいくらかリラックスした様子で答えてくれる。


「まあ四六時中一緒にいるわけでもありませんし」


「失礼ですけど発信機とか付けてるんですか?」


「護衛は何人かついてますけどね」


 少々突っ込んだことを聞いてみれば、ジョシュは肩をすくめてみせる。さすがにそこまでは教えてもらえないか。


 ポールは資料に目を落としながら、仕切り直すようにわざと感心したような声を作った。


「御曹司の護衛だ。さぞかしいい暮らしができるんでしょうね」


 そうだったらいいんですけどね。


 え?と思わず顔を上げるとなんてことないようにジョシュは涼しい顔で車窓を眺めていた。


   ***


 波止場の丸太の杭の表面にしゃがみ込むようにして少年は海を眺めていた。


 何してんのあのガキ?


 一人ぷらぷらと辺りを歩いていたエースは異様な光景に思わず足を止めた。


 それはそれとして、少年の姿にはどことなく見覚えがある気がする。

 じっと眺めるとその理由はすぐに分かった。

 

「この前の」


 少年の両手には昨日、アレックスが渡したおんぼろの手袋がはめられていた。


「あ、てぶくろ屋さん!」


 ほどなく少年もエースに気がついた。満面の笑みを浮かべ、こちらにむかって手袋を見せるように大きくぶんぶんと両手を振る。


「うっわ馬鹿、落ちる落ちる」


 彼の立つ丸太の表面は片足が乗ればいいくらいの広さしかない。バランスを崩せば冬の海に真っ逆さまだ。


「そこ動くなよー」


 重力操作をしてこちらに手を引いてやれば、なんとかなるだろう。

 大人しくしててくれよというエースの願いは虚しく、少年は気にせずにおしゃべりを続ける。


「友達と待ち合わせしてたんだけど全然来てくれないからさあ、困ってたんだよね。てぶくろ屋さんが来てくれて嬉しいよ」


 はたと足を止め、エースは怪訝そうな顔をする。しかし、相変わらず少年は壊れたラジオのようにしゃべるのをやめない。


「でもー、用があるの君じゃないんだよね」


 まずい、と思ったときには既にエースの足はピクリとも動かなかった。


 舌打ちをして少年の顔を睨む。


 右目の二時。

 ちくしょう、このガキ異能力者かよ。


 それだけではない。どこから出したのか彼の右手には拳銃が一丁握られていた。


「ばいばーい」


 エースを嘲笑うように少年は左手を振ってみせた。

 

   ***

 

 唐突に響いた銃声に逃げまどう人の群れを逆走していけば、その先には地面に倒れたエースと見知らぬ少年の姿があった。


「大丈夫!?」


 エースの姿をとらえ、アレックスが一目散に駆けて行く。


「もう一人のてぶくろ屋さん!」


「……お前がエースに何かしたの?」


 少年の言葉にアレックスはショックを受けたように震えた声を絞る。アレックスの言葉に少年は不思議そうにきょとんと首を傾げた。


「そうだけど?」


 と、そこでのろのろとエースが体を起こした。口からペッと金属片のようなものを吐き出すと、アレックスというよりは全体に知らせるように声を張り上げる。


「詰んだわ、あいつ影使いだ。日影入りながらポールとジョシュに知らせてこい」


 アレックスは心配そうに二、三度エースの方を振り返ったが、やがて決心が浮いたように走っていった。


 その姿を見届けると、エースは少年から目を逸らさずに再び声を張った。


「ダヴィンチは盾、他は適当に頑張って」


「了解」


 エースに今にも駆け寄ろうとしていたレオナルドはその言葉にうなずくと、ゼノとロンを守るように対角線状の少年の前に立ちふさがった。


「……なんで俺まで」


 ため息をつきながらゼノが再びロンの方に目をやると、彼の顔色は先ほどより悪くなっていた。何かに恐怖するように小刻みに震えている。


「話が違う」


「え?」


 ゼノが聞き返そうとしたそのときだった。


「ダヴィンチ!ゼノ!」


 少年は軽やかに杭から地面へ移動すると、また軽く一飛びでロンの隣へと移ってきた。


「久しぶり、ロン」


 親し気に笑いかけながら少年はロンの肩にそっと手を置く。


「ルイ…?なんで…今日はいないはずじゃ…」


 今度はクスリと慈しむように笑うとルイと呼ばれた少年はロンの体を自分の胸に抱き寄せた。


「迎えに来たんだよぉ」


「おい」


 明らかに異様な二人の様子にレオナルドがつかつかと歩み寄ってくる。しかし、その意に反するようにロンが悲鳴を上げた。


「来ないで!」


 叫びとともに一瞬火柱が立つ。

 間一髪レオナルドは方向を変えるとゼノを庇うように立ちふさがった。右目に三時の模様が浮かぶ。


「何者だお前」


 火の粉が舞う視界を睨みながれレオナルドは少年に向かって声を上げる。


「つよつよお星様クラブから龍をお迎えに来ました!」


 少年の言葉にレオナルドの堪忍袋の緒が切れた。


「ふざけるな!」


 いや、たぶん。


 遠くのエースも同じことを考えていたらしい。すぐさまレオナルドに鋭い声が飛ぶ。


「そのなりで、お星さまじゃあ一つしかねえだろ!ったくお前が言ったんだろ気をつけろって!」


 エースの言葉にレオナルドは、ハッとする。


「天星盟……」


 今度は少年がレオナルドの言葉に少し顔をしかめる。


「僕そっちの名前あんま好きじゃないんだよねえ」


 構わずエースは冷静に今度は茫然としているロンに叫ぶ。


「新入り、お前の仲間なの?」


 ロンは我に返って声を上げた。


「っちが、」 


「嘘ついたらだめだよ?」


 すぐさま飛んでくる少年の脅すような声にロンがまたひるんでしまう。

 少年は煮え切らないロンの態度にイラついたように声を荒げた。


「お仕事は済んだんでしょう?早く僕のところに帰ってきてよ」


 が、次の瞬間、少年はガクッと力なく足元から崩れた。

 少年の背後にはいつの間にかゼノが立っていた。


「ダヴィンチ!新人連れて逃げろ!」


 驚いたように事態を見守るレオナルドとロンにすかさずエースが指示を飛ばす。レオナルドは一拍遅れて頷くと、ロンに手を差し出した。ロンはその手を取ろうとするが自分が付けた火傷の跡を見つけて思わずひるんでしまった。


 ロンの様子に気が付いたレオナルドは黙って龍の手をつかんで走り出す。


 ひとまず落着かと思ったそのとき、少年がよろよろと起き上がった。


「まじか、打ったの首だろ?」


「いや、何秒か動けなくしただけ。死んだら困るから」


 信じられないという風にエースが呟けば、いつの間にか隣に移動してきたゼノが淡々と答えた。


 今度こそ信じられないという顔でエースはゼノに舌打ちをこぼした。ゼノは肩をすくめて見せた。


「まだ動けないの?」


「たぶんタイムリミット系。時間稼いでこい」


「解けたら逃げて」


「おー」


 目を合わせないまま会話を終えるとゼノは少年の方へ姿を消した。


   ***


 カースピーカーに入った無線を切るや否や、ダニエルは深く深くため息をついた。


 どうして、こう、あのガキは、いつもいつも。


 後部座席でジュリアンが怯えたようにビクリと肩を揺らすのがバックミラー越しに見えた。拍子に手に持っていた白杖が床に転がってしまう。

 ああ、いけない。すみません、と声をかけようとしたそのときだった。


「睿(ルイ)がどうしたって?」


 レインの不思議そうな声がそれを遮った。

 

 今度はダニエルが驚いて目を丸くした。

 カースピーカーの音量は自分のみに届けばいいとかなり絞ってあるはずだ。


 思わずバックミラー越しに、ジュリアンの隣に座った彼の顔を覗く。気配ですぐに気がついたようで、レインは口元に笑みを浮かべた。もっともその顔がこちらに向けられることはなかったが。


 そこでようやくダニエルは合点がいった。


「ああ、あなたなら聴こえますよね」


 ダニエルの言葉にレインはふふんと胸を張る。装飾の揺れる首元や華やかな背広が勢いでシートベルトに挟まるのを横から慌てたようにジュリアンが直してやっている。


 愚問だった。彼の耳の良さを忘れるだなんて。

 

 最近疲れが溜まっていたのだろうか。

 気を抜いてる場合じゃないとフロントガラスに視線を戻す。


「睿が無断で龍に会いに飛び出しました。恐らくこの後他とまとめて合流になります。いなかった場合は私は捜索に向かうように言われました」


「おや?その場合帰りの足はないってことだね?」


 困ったようにレインが声を上げると、助手席で機嫌よく鼻歌を歌っていたソニックがイヤホンを外して勢いよく振り返った。


「そんときゃおぶってやるよ。歩けねえ距離でもないし」


 同調するように彼の膝で大人しく丸まっていた毛むくじゃらの犬が相変わらず奇妙な声で鳴いた。


 いや、目立つだろ。


 ダニエルは表情を変えないまま心の中でつぶやいた。傍らにこの犬を連れた彼が奇術師みたいなレインをおんぶしていたらマフィアじゃなくてサーカスだ。


「早めに退散との命令なので今回はジュリアンにお願いします」


「あ、はい、わかった」


 慌てて返事をするジュリアンに、いい加減そこまで緊張しなくてもと思う。


「ああなんて優しい、まるで慈愛に満ちた女神のようだよ!僕のミューズ!」


「サンキュー」


 年の近い二人は別段気にしていないようでやいのやいのと絡み始めた。

 最初に今日のメンツを聞かされたときは一瞬どうなることかと思ったけれど、空気感で言えばまあだいぶ良い方だろう。一人言ってることがどうかしているが。

 問題児だらけのうちの構成員を毎回仕事に合わせて組み分けている司令塔には頭が上がらない。


「にしても睿の奇行には困ったものだね。約束を破って龍に会いに行くなんて」


「あいつ今日外されてたもんな」


 三人の会話はいつの間にか睿の話題に戻っていた。レインがぼやくのに犬を撫でながらソニックが返す。


「準備、しておいてくださいね」


 ダニエルは一度彼らに視線をやると速度を落として左折した。


 目的地まではもうまもなくだ。


   ***


 無線を切ってレオナルドが振り返ると、先ほどとほとんど変わらない姿勢でロンは立ち尽くしていた。


「ちょっとだけ待っててな。すぐポールたちと合流するから」


「……はい」


 安心させようと掛けた声も上手く届いていないようで、遅れてポツリと返事をしたきり論は黙り込んでしまう。


 これ以上何を言っても苦しくさせるだけだろう。そう判断してレオナルドはロンをかばえる体制をとったままあとは沈黙を受け入れることにした。


「ごめんなさい」


 沈黙を先に破ったのはロンの方だった。


 小刻みに震えるまつ毛を眺めながら、レオナルドは落ち着いた様子でロンに目線を合わせる。


「ロン、それは誰に、何についてだ?」


 ロンは顔を上げないまま、しばらく口をはくはくと動かして、やがて途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。


「……騙していた、こととか……レオナルドさんたちを今、こんな……危険な目に合わせてしまっていること、とか……」


 完全にロンの言葉が途切れたタイミングで、レオナルドはぽんぽんと頭を撫でた。


「いいんだよ俺たちは。だまされるのも危険な目に合うのもしょうっちゅうだ。そんなヤワじゃないんだぞ?」


 レオナルドの言葉にロンはやっと目線を上げた。両目の際には今にも零れそうな涙が断崖を掴むように引っかかっている。


「でも……」


「……一番謝ってやったほうがいいのは、ロン自身なんじゃないか?」


 こらえていた涙が一粒、静かに溢れた。


「っ……」


「ずっと怖かっただろ。もう少しだけ待ってくれ。後のことは帰ったら考えよう」


 くしゃりと笑いかければ、ロンは唇を噛みながらコクリと小さく頷いた。

 レオナルドも大きく頷き返して、もう少し声をかけてやろうと思ったその時だった。


「お熱いところ悪いけど、早いところずらかるぞ」


 ぶっきらぼうな声と不釣り合いなおどけた言葉と共に二人の体が宙に浮いた。

 気がつけばエースの左右小脇に抱えられ屋根から屋根へ飛び移っていく。


 おい、と声をかけようとすると黙れというようにエースが眉をしかめた。


「なあダヴィンチ、あのガキ、相当新人にご執心みたいだぜ」


 エースの言葉に龍の表情が強張る。

 それを見たレオナルドの表情にもやや緊張の色が走った。


「ゼノは?」


「押されてる。お前ら車に投げたら俺も戻るから心配すんなって」


 言葉とは裏腹にエースの声にはやや焦りが交じっていた。


 エースはゼノの姿を確かめるように後方を振り返る。


「……ガキ相手に油断してんじゃねえよ」


 舌打ちが一つこぼれた。 


   ***


「なあ、もう少し飛ばせないのか?」


 アレックスは後部座席からほとんど腰を浮かせて、そわそわとこちらに顔をのぞかせながら問いかける。


「焦るのは分かるんだけどこれ以上は無理」


 ポーカーフェイスを保ったままポールは返す。アレックスは依然不安そうだが構っている余裕ははっきり言ってあんまりない。


 車の後方、数百メートル先。

 どう考えても男が一人追ってきていた。

 あろうことか生身で宙に浮いている。ここから彼の瞳は確認できないが、異能力者なことは間違いなかった。


「エースさんを襲った影使いですが、天星盟の者のようです」


 レオナルドと繋がった無線に応答していたジョシュが顔を上げる。その言葉にポールは思わず顔をしかめた。


「まずいことになったね」


「どういうこと!?」


 相変わらずなアレックスの問いかけにポールは少し苛立ちを覚える。


「うかつに手を出していい相手じゃないってことだよ」


 ピリついた声で返事をしながらちらっとバックミラーに目をやる。


「伏せて!」


 男の様子が変わったのに気がつくのと、自分の口から怒号が飛び出たのはほぼ同時だった。

 ぽかんとしているアレックスの頭をジョシュと一緒になって力任せに押し付ける。


 次の瞬間、轟音と共に車の前後のガラスが貫通した。


 ポールは体を起こすと、風圧に顔を歪めながら人通りの少ない方向にハンドルを切った。


「どうして市街地でこういうことするかな」


 遅れてジョシュとアレックスもゆっくりと体を起こす。


「アレックス様、後部座席のケースを取ってもらえますか」


「これ?どうするの?」


「ほんの少し牽制するだけですよ」


 アレックスから子供の身長ほどのケースを受け取るとジョシュは手慣れたように中身を出して構えた。やや小ぶりなライフルだ。


 だからここ市街地なんだってば。

 ていうかうちの州じゃアウトでしょ。


 ポールは天を仰ぎたかった。


「ねえ、みんなはどうするの?」


 追い打ちをかけるようにアレックスが尋ねる。


 ああ、もう。


「いったんあのサイコ野郎撒かないと」


 一撃じゃ気が済まないのか男はまだこちらを追ってきている。


 と、窓から身を乗り出してライフルを構えていたジョシュが何かに気が付いた。


「アレックス様、もう一度今度は前方に寄って伏せてください」


「え?うわあああ!」


 アレックスはもう一度車内の前方に思いっきり押し倒される。


 次の瞬間、バックドアガラスの割れ目からレオナルドと龍を小脇に抱えたエースが突っ込んできた。


「わりぃポール」


 額の血を拭うエースは口ばかりで特に悪びれた様子はない。


「修理代高くつくよ」


 ポールが深くため息をついて振り返れば、エースはぼんやりと天井を見上げていた。


「いやー廃車かも」


 言い終わらないうちに天井部分にドスンと沈んだ。振動で車が悲鳴を上げる。


「ねえー、いるんでしょロン!出てこないとみんな殺しちゃうよ!」


 遅れて地面を踏み鳴らすようにガンガンと鈍い音が響く。


 続けて派手に殴り合うような音が絶えず車内に鳴り響く。車の上にはゼノもいるようだ。


「どーすんだよこれ……」


 さすがのエースの口からも言葉が漏れる。


 と、そのときアレックスが慌てたように前方を指差した。


「待って!待って!待って!対向車!」


 言葉通り突然角から出てきた車が車線を無視して近づいてくる。もう避けなければかなり危ない位置だが向こうが止まる気配はない。


 どのみちもう車で逃げ切るのは得策ではない。

 ポールは盛大にため息をつくと、再び思いきりハンドルを切って対向車をかわした。

 減速する余裕はなく路肩に乗り上げる。振動で天井上の二人は地面に投げ出されてしまっただろうが、まあゼノは心配いらないだろう。


 まもなく例の対向車も動きが止まった。


   ***


「まったく君はもう少し安全運転ができないのかい?」


 荒っぽく道路の真ん中に車が停まると、すぐさまレインから抗議の声があがった。後部座席にどっかりと腰掛けたまま不服そうにしている。


「すみませんが、早く降りてください」


 ダニエルの言葉にレインはまだ何か言いたげだった。が、白杖を持って先に降りたジュリアンが手を差し出せば、機嫌を良くしたように大人しく降りて行った。


 対照的に助手席から降りたソニックは機嫌良さそうに歌を口ずさみ始める。遅れて座席から飛び降りた犬がその周りをくるくると回る。


 全員が降りたのを見届けると、ダニエルもドアを開けた。


「One for the money」


 ターゲットは歩道に突っ込んだ車内に留まったまま、各々絶望的な表情でこちらを見ている。


「Two for the Show」


 その更に奥からは彼らを追っていた同僚が涼しい顔で手を振ってこちらに近づいてくる。


「Three to make ready」


 車道では天井から飛ばされた睿がうずくまっている。透過の異能力者は見当たらないが近くにいるのだろう。


 先に車の前へ並んだ三人のもとへ、ダニエルも歩み寄る。


「Four to go」


 ソニックの歌を合図にするように、四人はVATの前に立ちはだかる。


 さて、さっさと帰れるといいが。


 ダニエルは小さくため息をついた。

【VAT】

ゼノ・デフロリアン

VATの社員で右目六時、透過の異能力者。

無気力な厭世家だが言われた仕事はきっちりこなす。ボストン大学へ通いながら現場業務を担当する。


レオナルド・デフロリアン

VATの所長で右目三時、身体硬化の異能力者。

面倒見がよくコミュニティ意識の強いオカン気質の好青年。前職はACDの刑事。


エース

VATの社員で右目九時、重力操作の異能力者。

ボストン大学ではゼノの一学年先輩。シニカルで現実主義だが、一度懐に入れた人間には面倒見がいい。


アレックス

VATの社員。エースの同級生。

人懐こく親切で依頼人の対応や地域、異能コミュニティでのボランティアなどを担当する。


ポール

VATの社員。

冷静沈着な常識人。大学生組に手を焼いたり、丸め込んだり。VATのあるブラウンストーンの3階に部屋を借りている。


ロン

右目二時、火炎の異能力者の中国人留学生。天星盟の少年、睿と確執がある模様。


ジョシュ

VATの社員で一般人。普段はアレックスの運転手兼雑用係をしている。


【天星盟】

睿(ルイ)

右目の二時、影の異能持ちの少年。アレックスからもらった手袋を大事にしているが、その正体は天星盟の一員。龍(ロン)に並々ならぬ執着を見せる。


ダニエル

天星盟の一員。睿のお目付け役のようなポジションに据えられている。表向きは丁寧な姿勢を崩さないが、心のなかではよく周囲に毒づいている。


ソニック

天星盟の一員。風変わりな犬を連れた音楽好きの陽気な青年。


レイン

天星盟の一員。芝居がかった振る舞いが特徴的な盲目の青年。


ジュリアン

天星盟の一員。控えめで臆病そうな仕草を見せがち。レインに付き添い彼の介助をしている。

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