【第二十七話】再建の朝議
195年 初秋 洛陽
朱儁の国葬から数日後、洛陽の北側に仮の宮殿が急ごしらえで造営された。廃墟と化していた都は、わずかに生気を取り戻し始めていた。
そしてその日、献帝自らが親政を宣言する初の朝議が執り行われた。
大尉・楊彪、司徒・周忠、司空・張喜が正装で座し、右側に士孫瑞ら朝臣、董承、韓暹らが並び、左側に孫堅以下、荀攸、陳羣ら孫堅陣営の幕僚、将軍達が並んだ。
そして、若き帝が玉座に現れる。軍鼓が打たれ、朝議が始まった。
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朝臣、白波賊、孫堅陣営の三派閥、互いの思惑が交錯する中、まず楊彪が献策した。
「陛下の御親政を祝い、元号を改めるべきと存じます」
これは満場一致で賛同が得られ、元号は『建安』と改元された。
さらに楊彪は、群雄たちへの官職追認、新任を提案。
「今、帝国の版図は群雄割拠を呈しております。彼らに任官を通じて正統を示すことで、彼らの帝への忠誠を得られ、また、漢室再建の礎となりましょう」
献帝はこれを認め、荀攸が各地の情勢を奏上する。
河北では、劉虞の子・劉和が袁紹と連携し公孫瓉と抗争中。
兗州では曹操が呂布を追い払い、支配を固めつつある。
徐州では、陶謙の後を劉備が継承。
揚州では刺史・劉繇が袁術に押され、劣勢。
荊州は劉表が南方の掌握を進めている。
益州は劉璋が父の跡を継ぎ、国内統治に追われており、漢中では五斗米道の教祖張魯が勢力を拡げていた。
長安では李傕・郭汜が不当に政権を握っており、その奥の涼州では、馬騰・韓遂が異民族を束ね、動向が不穏であった。
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検討された結果各地の群雄への官位と役職が発表された。
公孫瓉を征北将軍、劉和を幽州牧に任じて和議を結ぶことを命じ、袁紹には冀州牧兼督河北諸軍事の役を与え、河北を鎮めさせることを期待することとした。
兗州の曹操、徐州の劉備はそれぞれの州牧を、漢中の張魯は漢中太守を、荊州の劉表、益州の劉璋は現状の支配体制をそれぞれ追認した。
劉繇には揚州牧として軍権の強化を図ることとし、袁術は寿春太守として朝廷に従うよう命じ、劉繇との講和を求めることとした。
最後に、涼州の馬騰には涼州牧を授け、韓遂には鎮西将軍を授け、長安の李傕・郭汜の討伐を命じた。
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朝議がすすむなか、白波賊出身の韓暹、李楽らが声を上げる。
「我らの功績は明らか。帝のために何もなさぬ輩ではなく、我々にこそ、まず将軍位を与えるのが道理ではないか」
楊彪は眉をひそめ、あからさまに軽侮の態度を取る。
「元賊徒の身で、将軍とは滑稽な話ですな」
空気が凍りつく中、孫堅が間に立った。
「功績は、出自ではなく行いで量るべきです。彼らは陛下をお守りしました」
この言葉により、一触即発の雰囲気はさり、献帝の勅命で、韓暹を前将軍、楊奉を後将軍、胡才を左将軍、李楽を右将軍とする任官が行われた。
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そして、献帝は孫堅に向き直る。
「孫堅将軍、そなたの功績こそ朕は大と考える。大将軍として、軍事、政務を輔けてはもらえないか」
孫堅は一礼し、固辞する。
「私は兵の長ではありますが、政の才は陛下の近臣の方々に及ぶものではありませぬ。ゆえに、大将軍の任は我が才にはかちすぎるものと考えます。
願わくは都の再建こそ急務な時と考えており、洛陽の復興に尽くしたいと存じます」
献帝は孫堅の謹み深い姿勢に感銘を受けると共に、その意を汲み、司隷校尉に任官し、洛陽復興と司隷の安寧を託すこととした。
更に孫堅は提案を続けた。
「現状の洛陽では防衛はままならず、また、賊徒どもの跋扈する長安にも近すぎます。再建までの間、許昌を仮の都とすべきと愚考します」
楊彪と韓暹達は反発するが、陳羣が冷静に指摘。
「洛陽は今、防壁も物資も乏しく、陛下をお守りするには不適です。許昌には安全な地勢と資源がございます」
周忠と張喜もこれに賛同。献帝も最終的に許昌遷都を決断する。
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同夜/孫堅の幕舎
夜も更けた頃、一人の若者が幕舎を訪れた。
「朱儁が次子、朱皓と申します。父の遺志を継ぎ、玄鴉と共に孫堅様のために尽くす所存にございます」
孫堅は静かに頷き、共に幕舎を出た。
二人は月下、朱儁の墓前に立つ。
「――朱儁将軍。我ら、必ずや都を甦らせましょう」
誓いの言葉が、夜風に溶けた。
――第三章、ここに終幕。




